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おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行)
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ハウルの動く城

 

今さらながら、『ハウル』を観ました。

といっても、二度目です。最初の鑑賞は映画館でした。その時の感想は「?」でした。

説明不足の部分が多く感じたのです。キャラクター設定と世界背景が最後までつかめず、どうやらハッピーエンドだったらしいこと、キムタクの声が想像よりもハマっていたことくらいの感想しか出てきませんでした。ということで、次はもっと奥の部分が読み取れるかな、という期待を持ちつつ、二回目を観ました。

宮崎アニメは感覚的に楽しめる映画だと思っていました。カラフルで奥行きのある映像、美しい音楽。善悪どちらも魅力あふれたキャラクター、かわいげある動物、などなど。

しかしこの作品は、受動的に観てしまうと物語に入りこめず困惑してしまいます。老婆に化けると性格まで変わってしまうソフィー、怖がりなのに戦地へ赴くハウル、ハウルとカルシファーの契約、サリマンに魔法をかけられてからの荒地の魔女の言動、やはり今回も設定と着地点がつかめませんでした。

要するに、監督はこの映画において何を描きたかったのかということです。不思議な魔法の世界なのか、若さと老い両方のすばらしさなのか、女性の強さなのか、戦争の理不尽さなのか、それが見えないだけに物語に入りこめなかったのだと思います。原作の細かい部分を省いてしまったせいでしょうか。やはり宮崎作品はオリジナルが良いと感じます。

ただ、ソフィーに着目してみれば、非常にピュアなラブストーリーなのかもしれません。私もレティーよりはソフィー寄りの人間ですから、鏡を前にうじうじしてしまう気持ちはわかります。歳をとると、18歳の頃よりもいろんな部分で大胆になれます(笑)。もともと、容姿に自信がなくても帽子屋を切り盛りできるくらいですから気の強い部分はあったのでしょう。そう考えると老婆にされたソフィーが今までよりうってかわってアクティブになったのも理解できます。それにしても、最近の宮崎作品は女性の強さが目立ちます。『ラピュタ』のパズーの勇敢さや、『紅の豚』のポルコのダンディズムにはとんとお目にかかれません。これも時代か、それとも意識の変遷か・・・。

倍賞千恵子は上手でしたが、18歳を演じるには無理があったかと。ここは別の声優を使ってほしかった。我修院達也と美輪明宏の違和感のなさは異常ですが。7年も前か、神木隆之介はまだ子どもだったのだなあ・・・。

『ポニョ』も実はまだ未見です。が、『コクリコ坂』も気になっています。

評価:★★★☆(3.5)

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マルホランド・ドライブ

意味不明ながら不気味なインパクトを残し、今でも数シーンは明瞭に思い返せる『インランド・エンパイア』のデヴィッド・リンチ監督作でカンヌ映画祭の監督賞を受賞した作品です。

女優を夢見る主人公、記憶喪失の美しい女、謎の大金と鍵。当初はサスペンスの様相で、物語が展開します。失われた記憶を取り戻すため手がかりを探すふたり。不安を抱える者が手を貸してくれる相手に縋り身も心も捧げてしまう流れは理解できます。これが男女であれば、恋愛物語によくある手法なのでしょう。しかしこの映画においては女同士。ベッドに横たわり夜衣をはいで唇を重ね。本来ならば画面の中でも見る機会がほとんどないだけに瞠目してしまう場面なのですが、なぜかふたりの心情にシンクロし、切ない慕情に胸が痛くなりさえするのです。

唐突に世界が変わる後半。前半に頭をめぐらせた「謎解き」はここで一気に粉砕されます。当初はナオミ・ワッツが二役を演じていることに気づかず、わけがわからないまま終わってしまい、あとでヤスオーの解説を聞いてようやく納得するありさまでした。思い返せば要所要所で、キーポイントとなる台詞をいろんな登場人物が口にしていました。この監督の作品はくり返し観て、ようやく理解できるようなものが多いのでしょう(もっとも『インランド・エンパイア』は二度と観る気は起きませんが・・・)。この話は世界が「夢」と「現実」のふたつで構成されていたので、まだわかりやすかったのだと思います。

リタの紅い唇、ベティの清楚なたたずまい、ダイアンの絶望の涙、もの悲しい泣き女の歌ごえ。めくるめく色彩と効果音が眼裏に鮮やかによみがえります。この映画を観はじめたその時から二時間、クラブ・シレンシオに連れていかれていたのかもしれません。そして今でも、その魔法は解けていないのでしょう。

評価:★★★★☆

 

ヤスオーの感想はこちら

【キャンペーン対象】トイ・ストーリー3

 

1・2を観ていないのに、いきなり3を観てしまいました。

しかし設定に不明な点もなく、自然とストーリーに入り込めました。回想と節々の表現で説明くさくなく経緯を教えてくれるところは心にくいです。

個性あるキャラクター、ブレのない起承転結、盛り上がりと大団円のタイミング。古びたこのおもちゃたちに、不覚にも心突き動かされ涙をこらえきれませんでした。

子どもと、少し大人になった子どもと、大人。いちばん大切なものはおもちゃから思い出、そして我が子へと変わっていく。人間の成長といえばそれまでだけれど、おもちゃたちはずっとおもちゃだから、思い出の箱には入りたくない。ずっと大切にされる存在でいるのを望むのは自然なこと。その思いは通じないはずだった。それでも信じることが、未来へと、奇跡へとつながる。

あくまで人間とおもちゃの境界線を超えず、それぞれがそれぞれの世界で大切にすべき思いを見失わずに守り続けたその結末は、どんなものを大切にするどんな世代の人間の胸も深く打つ、素晴らしい作品です。

小さい頃から捨てずに取っておいたおもちゃ。恥ずかしながら、ありません。もっとも長く持っていたのは、作品にも出てきたバービー人形です。今のようなアメリカン風になる前の、リカちゃん人形を少し大人っぽくした風体のやつですが(なぜかジェニーとも呼ばれていたような・・・)。ドレスを買ってもらったり、本物みたいなアイシャドウでお化粧をほどこしたり。それなりに楽しく遊んでいましたが、おもちゃ箱から取り出すこともめっきり減ったある日、血迷った私は彼女の髪をじょきじょき刈ってしまいました・・・そしていつの間にかゴミ袋へ。私のバービーもきっと、夜な夜な泣いていたのでしょうね。

『ウォーリー』などでも見事だったアニメーション技術。今回も、おもちゃの視点から描かれたゴミ処理工場が、下手なアクションものよりもハラハラさせられるほどリアルで迫力満点でした。

さすがディズニーといったところです。はずれがありません。

評価:★★★★(4.2)

ドニー・ダーコ

 

飛行機のエンジンが部屋に落下したその夜から、ドニー・ダーコの運命は転変する。突如現れ「世界の終わり」までの残り時間を告げる兎。美人の転校生。学校への破壊と暴力。ドニー・ダーコは一躍ヒーローとなった。「世界の終わり」が来るまでの時間「28.06.42.12」は――。

とても不思議な映画です。SFなのか、青春物なのか、ミステリーなのか。答えは判然としないまま、エンディングを迎えます。しかしこれまた不思議なことに、違和感は残りません。良い作品を観た後の、爽快さとも呼べる感覚に支配されました。

タバコに恋に反抗に。青春を謳歌しているように見えて、ドニー少年には影がつきまとう。放火の前科、精神安定剤にカウンセリング。家族との不和。催眠術で夢とうつつのはざまを行き来しながら、つぶやくうわごと。真の彼は、世界はどこに在るのか。観ている者の足もともまた、おぼつかない。

兎の言い残した28日後の世界の終わり。その瞬間に、世界は「始まり」へと戻る。ドニーの部屋にエンジンが落ちた、あの瞬間に。ドニーは死んだ。翌朝現場を通りかかったのは恋人「だった」はずの転校生。もちろん彼女はドニーのことを知らない。知らない、はず。

ドニーの過ごした28日間は、果たして「本物」だったのか。それとも彼が今わの際に寝床で見た、幸福な夢だったのか。答えはもちろん観ている者に委ねられ、提示されることはありません。

夢の世界は荒唐無稽なように見えて、実はすべてがどこかで目にした人物や風景で構成されているといいます。得体のしれない不気味な兎の着ぐるみ、エンディングにおいてドニーが死んだその時には、まだラフスケッチの段階であったかのように見受けられますが、果たしてそれが真実かどうかはわかりません。ドニーが彼の絵を何かの拍子に目にしていた可能性はあると思いますし、グラッツェンとも街のどこかですれ違っていたかもしれません。英雄願望は誰しもに存在するもの。ドニーの欲望を満たす28日間は彼の潜在意識によって作り上げられた限りなく現実に近い夢だったという単純な解釈も、否定できないと思います。確かに最後は悲劇が襲う。しかし世界の終わりは回避された。彼が目覚めることによって。だから笑えた。彼は世界を救ったのだ。最後まで、英雄として。

もちろんタイムパラドックスやパラレルワールドと考えるのもありですし、これほど自由に解釈できる、しかし消化不良の残らない作品も稀有なのではないでしょうか。

時に狂気じみた陰影を両眼に宿すジェイク・ギレンホールの演技が秀逸でした。『プリンス・オブ・ペルシャ』の主演と同一人物とは思えませんな・・・。

評価:★★★☆(3.7)

 

ヤスオーの感想はこちら

ラスト、コーション

タイトルの「ラスト」は、"last"だと思っていました。"lust"の意味は情欲。

原題は『色|戒』。

確かに、劇中展開される性描写は過激です。その煽り文句だけでも衆目を集めるでしょう。しかしこの生々しく描かれるセックスは他人が興味本位に覗いてしまうと返り血を浴びてしまうほどに暴力的で、交尾後に命を落とす虫のごとく野性的です。

舞台は1942年、日本軍占領下にあった上海。あこがれの人クァンに影響されて抗日運動に参加したチアチーは、傀儡政府に協力する特務機関の中心人物イーを暗殺するため、マイ夫人という架空のセレブに化けてイーを誘惑する。

当初は純朴な女子大生であったチアチー。平和な時代であったなら、恋に演劇にとごく平凡な青春時代を送ることができたでしょう。しかし時は戦時下、抗日運動の熱にうかされていく周囲の若者たち。チアチーも淡い恋心ゆえにその嵐の中へ飛び込んでいく。気づいた時には遅かった。稚拙な暗殺計画は彼女に色仕掛けを強要し、処女さえ好きでもない仲間に捧げなければならなかった。「目的」を果たすまでには三年の月日を要した。その日、イーは彼女の衣装をひき破り殴りつけ縛りつけ背後から犯す。練習で得たテクニックなど披露しようもない。ことを終えコートをぽんと放りイーが部屋を去ったあと、チアチーはぼろぼろの身を横たえたまま、静かに微笑む。

観ている者まで痛めつけるような壮絶なレイプシーン。しかしこれも物語の展開には必要な伏線だったのかもしれません。特殊な任務上他人を信用することのできないイーは、女を相手にしても正面から向き合えず暴力でねじ伏せる。狂ったように相手を求め、あらゆる体位で交じり合う。やがてふたりの視線が交差する。冷たく獰猛だった男の目に愛憐の情が滲む時、騙す女はその顔に枕をかぶせ、より激しく腰を振る。

交わる視線は、男と女だけではない。

冒頭から、幾度となく差し挟まれる麻雀シーン。四人の女のせわしなく動く牌と手と口。イーが入室すると空気が止まる。女たちの目が彩られる。イー夫人は見逃さない。知っているのだろう、この中の誰が夫と関係を持っているのか。争いは国と国だけのものではない、こんな身近にも起きている。

女は怖い、そして強い。抗日運動に燃える学生たちは、イーを暗殺するためにチアチーの肉体を利用しようとした。しかし処女である彼女に残酷な命を下すことができず、男たちは外へ逃げる。できるならチアチーに自分から言い出してほしかったのだろう。口火を切ったのは仲間のやはり女だった。チアチーはそこで男の意気地のなさを知る。普通の女でありたいという迷いを捨てた瞬間だった。彼女は身も心もスパイとなった。だからイーのレイプにも耐えることができた。はず、だった。

イーとチアチー。身体だけの関係であったはずのふたりの間に想いが芽生えたのは、どちらの心が先だったのだろう。

スパイ仲間に苦しい胸の内を吐露するチアチー。セックス以外の方法で愛を表現するすべを得たイー。そしてふたりの愛は別々の場所で結末を迎える。寝床でともに死に近い絶頂を迎えながら、イーはなりふり構わぬ生への欲求を見せ、チアチーはみずからではなく男に死を選ばせる。処刑場で仲間からの非難の視線を受けながら、チアチーはまた微笑みを見せる。

愛したい男を愛することができず、愛したくない男に抱かれ、愛してはいけない愛を知る。ただひとことの甘美なささやきも聞けず包み込むようなくちづけさえも受けられず。チアチーの行き場のない想いは今も採石場にさまようのだろうか。

欧米人とアジア人が入り乱れる戦時下の上海の街並み。あどけない女子大生姿からドレスの下の肉体までさらけだしたタン・ウェイと、憂いのある瞳で魅了するトニー・レオンの、両演技のぶつかり合い。考えさせられるというよりは、観終わったあとに激しい虚脱感に襲われた作品でした。ただ五官で感じる生身の生と性。生きていく上で不可欠な色と人間たるゆえに心に命じる戒めと。永遠に交わらないそのどちらをも孕むのが、それこそがひとの愛なのかもしれないと。

評価:★★★★(4.5)

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ヤスオーと古都の片隅で暮らしています。プロ野球と連ドラ視聴の日々さまざま。
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