忍者ブログ
おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行)
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

5月のことですが、何年ぶりやら? のライブコンサートに行ってきました。

奈良で行われると知って、なら100年会館の会場販売日、朝早くから買いに並びました。
いい席あるのかなあ? とちょびっと期待していたのですが、案の定ほとんど余っておらず。
それでもおひとり様なら会場の1階の隅っこに設けられた補助席ひとつが空いていました。3階席よりはよかろう。
なら100年会館はレミオロメンのライブで行ったことがありますが、あれはオークションで手に入れたので比較的良席だったのですよね。

マッキーのライブははじめてです。ドキドキしながら幕が上がりました。

白い布にたくさんの音符。素敵なイントロ。パーンと紙テープが舞いあがり、大きな歓声。

『Life Goes On~like nonstop music~』
最初の曲はマッキーらしい、やさしくてあたたかい歌詞とメロディー。終わると関西弁の親しげな口調で生マッキーのあいさつ。ワクワク感がいっそう高まります。

最新アルバムの『可愛い人』と、20年前の『僕の彼女はウェイトレス』。恋をすると世界がぱっとあかるくなる、そんな心模様が手にとって見えるよう。
同じく最新作から『鋭く尖った細い月』のあとは、なつかしの『雷が鳴る前に』『この傘をたためば』『LOVE LETTER』の3連続。とくに後ろ2曲は大大大好きで、生歌に涙が出そうでした。

ここでお座りタイム。年齢層が高いファンにやさしいマッキーのライブ。昨年の奈良公演の際に大仏を見に行った話だったり、3階席まである縦長のホールを宇宙裁判みたいと評したり、トークも軽妙です。

座ったまま、しみじみと耳で味わう『ミタテ』。マッキーの曲すべてに言えることなのですが、本当に歌詞が素晴らしい。3年かかったそうですが。

歌いながらのジェスチャーが楽しかった『君の書く僕の名前』。ウッチャン主演のドラマ主題歌で心に沁みいる『5minutes』、今となってはいろいろなことを考えさせられるがん検診啓発キャンペーンソング『新しいドア』、壮大なラブソング『君への愛の唄』。

ここから後半戦。ふたたびなつかしの『DARLING』は、はじめて借りたマッキーのアルバムの1曲目だったので、いわばいちばんたくさん聴いたマッキーソングなのかも。『HAPPY DANCE』はニュースステーションの天気予報のバックで流れていたので、お風呂あがりに1階でそれを見てから2階に上がるのが習慣でした。

ラストへ向けて盛り上がっていきます。

一緒に拳を振り上げていると元気が出てくる『超えろ。』。カッコイイ曲調の『Fall』。ファンとしてはちょっとつらかった思い出もある『Hungry Spider』。『1秒前の君にはもう2度と会えない』をはじめて聴いた時は、誰かを好きになるとしあわせと同時に抱えてしまう背中合わせの淋しさをどうしてこんなに的確に伝えることができるのだろうと自然に涙が出てきたことを思い出します。

世界が空のように広がっていく『Elderflower Cordial』。
果てしない未来が見えた気がした『Alone』。

しばしの暗転を経て、アンコールはなんと演歌の花道のナレーションから。着物姿のマッキーと法被を着たメンバーたち。『言わせてください』は歌手活動25周年を記念して作ったそうです。「こんな曲ならミスチルの桜井くんも書けないやろうと。というか書きたくないやろうと(笑)」。

『Oridinary Days』。15年前、いろんな思いを抱えながら聴いたマッキーのアルバムのラストを飾るのがこの曲でした。勇気と希望。陳腐な言葉だけれど音楽の持つ力。きっとその真理をマッキー自身もわかりきっていたのだと思う。

ラストを飾るのは、想像してはいたけれどやっぱりこの曲でした。「一緒に歌ってください、わからない方も適当に歌ってください!」『どんなときも。』。

余韻の残る足取りの帰り道。頭の中でくり返すたくさんのメロディー。あったかくてやさしい曲の数々、耳でなく心でしっかり受け止めました。
体力に自信がなかったけれど明日の筋肉痛も気にせず飛び跳ねて笑って涙ぐんで、ライブってやっぱり楽しいー!



PR
ひさしぶりに先生の尺八リサイタルへ足を運びました。

ずいぶんごぶさたしてしまったなあ…。
今年こそ伺わねばと思い立ったのは、10年連続のこれが最後の年だったからです。

大学に入った頃「なんかカッチョイイ」「持ち運びしやすい」という非常に短絡的な理由で尺八を始めて、邦楽に慣れ親しんだ日々からは、もうすっかり遠のいてしまいました。

それでも『産安』の最初の一音が響き渡ると懐かしさで胸がいっぱいになりました。

尺八本曲とはもともと虚無僧たちの演奏した曲のこと。彼らの学び説く仏の道をその音に託したともいえましょう。壮大で荘厳な宇宙は一尺八寸の竹の中、気の遠くなるような過去も未来もそこに存在しているのかもしれません。
お稽古ではその技法を追うのに必死で(しかも結局会得できず)途中で挫折してしまいましたが、先生の本曲を聴くたびに、尺八の魅力とそれに惹かれた理由が思い出されます。先生の音が、究極の理想であったのでした。

『明鏡』は2回目の拝聴ですが、以前とは自分の感じ方が変わっていることに気づきました。前回は自分の学生時代のつたない演奏を思い出していたのですが、今回はただただ純粋に大好きな曲として、尺八と三絃の一音一音を味わいました。『上弦の曲』も、学生時代、どこかの演奏会で耳にして「えらいムズカシイ曲だなあー。こんな曲演奏してスゴイなー」という他人事きわまりない感想しか抱かなかったのですが、同様に、音楽の描く美しさを耳からまぶたの裏に感じさせる珠玉の一曲であると思います。和楽器の魅力を発信し続ける先生がたの思いを強く感じました。

フィナーレを飾るのは、尺八・筝・十七絃・打楽器の合奏群と筝独奏・尺八独奏で演奏される『複協奏曲』でした。曲の主題は「不完全な自己から脱皮しようとする祈りの心」。胸を熱くする圧倒的な迫力と、管絃が紡ぎ出す無限の空間に圧倒されました。

朗々と雪雲を溶かす竹の音。

リサイタルはこれでいったんお休みされるとか。
また、先生の音に出逢える日を楽しみにしています。


 
 
ゲッツ!
 
 
カバー曲が多くてびっくりしました。
 
個人的にカバー曲を好んで聴くことはほとんどないのですが、『さすらい』や『さよなら大好きな人』などは、マサムネさんが歌うとこうなるんだな~とオリジナルをよく耳にしていただけにこれはこれでまた味わいを感じました。
 
『テクテク』はシングルで何度も聴いていたけれど、やっぱり名曲だよなあ~。
 
 
しばらくはエンドレス。

前回のスピッツ坊主が意外にさや氏に好評で、その2をすることになりました。

その2はさや氏からリクエストがあった「バニーガール」です。

 

寒そうなバニーガール 風が吹いた

意地悪されて 震えていた

恋は(恋は) 恋は何故かわがままに

光のシャワーを 闇に向けた

俺もまたここで 続けられそうさ そんな気がした曇りの日

Only Youの合図で 回り始める

君と落ちてく ゴミ袋で受け止めて

夢見たあとで 夢に溶けた

灯りを消して 一人泣いた

いいなぁ(いいなぁ) いいなぁと人をうらやんで

青いカプセルを 噛み砕いた

名も知らぬ君に 気に入られようと 底の無い谷を飛び越え

Only You世界中が 口を歪める

君に消される 砂嵐にさらわれて

俺もまたここで 続けられそうさ そんな気がした曇りの日

Only You世界中が 口を歪める

君に消される

Only Youの合図で 回り始める

君と落ちてく ゴミ袋で受け止めて

 

 ちょっとこの歌は前回の「稲穂」より解釈が難しいと思うので最初に全体の解説をします。「バニーガール」に例えられた女性が「寒そうな」「震えていた」「恋は~闇に向けた」とあるのですから、明らかに恋愛が上手くいかなかったのでしょう。そしていきなり「俺」と急に自分が出てきて、俺が「続けられる」んですから、まあ「俺」が今度このバニーガールと恋に落ちるんでしょうが、その後「曇り」「落ちる」などのマイナスイメージの語句を連呼していることから「俺」とバニーガールの恋愛もダメになることが想像できます。ただ「俺」はこの恋愛に対してすごく前向きです。まあつまりこの歌も僕好みの退廃的な恋愛の歌です。

 まずこの歌はタイトルにもありますがこの歌に登場する女性を「バニーガール」に例えたのが秀逸ですね。「名も知らぬ君に~」とありますから、特定の女性ではないんでしょうが、女性をバニーガールに例えるのは一見かわいいですが裏にマサムネのエロさや鬼畜さを感じさせます。「バニーガール」はいわゆるウサギをモチーフにしたレオタードのコスチュームですが、これは女性の性の商品化のシンボルのようなものですから、性的に魅力があるというプラス面ももちろんありますが、「不特定多数の男性を対象とした性の商品」ということから、性的な魅力「しか」なく、男の食いつきはいいけどすぐに別れてまた違う男とくっつくような女性を指していると思います。もちろんその女性も相手の男性も幸せにはなれません。そしてさらにこの歌はそういう人との恋愛の始まりをOnly You」という言葉で表しています。ここでこの言葉を使うということがマサムネが天才たるゆえんですね。僕はこの歌ではこのフレーズが一番好きです。この歌に出てくる男(「俺」)は一途なのかもしれませんが、少なくとも「バニーガール」と「Only You(あなただけ)=恋愛に対する一途さ」は言葉の意味的に明らかに相入れませんからね。僕の印象ではマサムネはあまり歌詞に英語は使いません。それなのにあえて使っているということは、よほどこの言葉に自信があるのでしょう。

 また、「世界中が口を歪める→世間の嫌悪感のイメージ」がある恋愛なのに「俺」がこの恋愛に対して前向きなのは、底の無い谷を飛び越え」という言葉で分かります。前回の「稲穂」の「最後の花火~」と同じく、さすが最後のサビに突入する直前の歌詞はいいですね。「底の無い谷」は言い換えれば「闇」そのものです。「俺」と「バニーガール」の恋愛が上手くいかなかった時どうなるかということを「俺」が分かっているのなら、彼に谷の底は見えるはずなんですが、見えていないということは、この恋愛の行方を「俺」も分かっていないんでしょうね。そんな勇気のいる恋愛に対して「飛び越え」という能動的なプラスイメージの単語を使っていることに、彼のこの恋愛に対する前向きさがとてもよく伝わってきます。 そんな彼の恋愛の行方を「落ちてく」ならともかく「君に消される」とまで言ってのけるところもすごいです。なかなか恋愛ソングで「消す」なんていう物騒なフレーズは出てきません。もちろん「殺される」という意味ではなく「存在がなくなる」ぐらいの意味なんでしょうが、より一層退廃的な恋愛観が滲み出ていていいと思います。

 あと、青いカプセルを 噛み砕いた」の部分も、別に好きではないですが、なかなか普通には浮かんでこないフレーズだと思いますね。この噛み砕いているのは1フレの構成と失恋後の状況ということから考えておそらく「バニーガール」の方でしょう。「青」は憂鬱さを連想させる色ですが、さらに「カプセル」ですから憂鬱さがいっぱいつまっているものなんでしょうね。まあ簡単に言うと今までの憂鬱な恋愛の思い出なんだろうなと思います。それを「噛み砕く」というのはその前の「うらやむ」気持ちが非常にわかりやすく行動に出ており、女性の情念のようなものを感じさせていいと思いますね。噛むだけじゃなく、粉々にしていますからね。言葉の使い方が上手いなあと思います。

 全然話は変わりますが、スピッツの歌詞の研究サイトみたいなものがネットにいくつかあります。しかしこれらのサイトではみんなすごくメルヘンな解釈をしていますね。僕みたいなベクトルの解釈の人は皆無です。どちらが正しいとかそういうのではなく、やはりスピッツの歌は解釈が難解なんでしょうね。

今日観た映画「ホッタラケの島」のエンディング曲がスピッツだったのですが、やはりスピッツはいいですね。好き嫌いを別にしてバンドとしての完成度が素晴らしいのは誰でも分かるのですが、僕がスピッツを特に好きな理由は歌詞です。僕も今思えばキモいですが作詞にはそれなりに自信があったのですが、スピッツの歌詞を読んでから自分がいかに凡才かがよく分かりました。どういうところでそれが分かったのかを言いたいと思います。

まず第1回はおそらく大多数のスピッツファンはそんなに好きじゃないと思いますが僕だけが超越的に好きな曲である「稲穂」です。歌詞は以下の通りです。

 

(はじまり)

美しく実る稲穂に 愛を知る 夢も終わる頃

駆け出した 風に逆らい 夕焼けが 僕らを染めていた 

あり得ない 明日に憧れ 何度でも 無理にふくらまし

そんな日々を 軽くなでられ なんでだろう? 涙が止まらない

なんでだろう? 君から逃げられない

 

 

誰にも会えない気がしてた クジ引きだらけの街にいて

 

もうウソはつけない 無性に何か飲みたい

初めて本気でカワイイ蜂に刺された

泣き笑い ドラマよ続け 夕焼けが 僕らを染めていた

夕焼けが 世界を染めていた

ケモノになれないケモノでも 優しくされたら燃え上がる

遠い国の景色 今 君に見せたい

最後の花火を二人で打ち上げようよ

泣き笑い ドラマよ続け 夕焼けが僕らを染めていた

夕焼けが 世界を染めていた

(おわり)

 

出だしの「美しく実る稲穂に 愛を知る」でのっけからセックスを連想させます。まあいつもマサムネはエロ歌ばっかり作ってますからそれはともかくとして、僕がこの歌で好きな歌詞の一つは「無性に何か飲みたい」ですね。それまでの歌詞の流れからして、この部分で「飲む」という言葉は凡人では絶対に出てきません。僕みたいな凡人だったら「食べたい」という言葉を使うと思います。世間ではよく「女を食う」とは言いますが「女を飲む」とは言いませんからね。ただ、ここで性に対しての「餓え」ではなく「渇き」をイメージさせるところがマサムネの素晴らしさです。「餓え」も「渇き」も得られないものへの欲望や欲求の高まりを表しますが、人間は食べ物がないのと飲み物がないのでは飲み物がない方がかなり早く死にますから、「飲みたい」の方がより切羽詰まった性への欲望を表せると思います。

また、 「夕焼けが 僕らを染めていた 夕焼けが 世界を染めていた」というフレーズが2回出てきますが、「夕焼け」という言葉で連想するのは、一日が終わる無常観による人生に対する「はかなさ」や「せつなさ」だと思います。「夢も終わる頃」や「風に逆らい」などの言葉からも分かるとおりこの歌のセックスは完全に退廃的なものです。その退廃的なところを本当に上手に表しているところが、僕がこの歌の二つ目に好きなところの「最後の花火を二人で打ち上げようよ」です。ここで「花火」を使うとは本当にあっぱれです。「打ち上げようよ」と言っていますからこの花火は当然ですが打ち上げ花火でしょう。打ち上げ花火は「上がって」「落ちる」ものです。そして、「形には残りませんが、記憶には残るもの」です。退廃的なセックスを歌うにあたってラストのサビ前で使うのにこれ以上ふさわしい言葉はないでしょう。

あと、クジ引きだらけの街(くじ→平等さ→誰にでも平等に出会いのチャンスがある)なんかも言っていることは単純ですが、なかなか「クジ引き」という言葉は浮かんでこないと思います。歌詞を載せるとどうしても改行が多くなり、忍者ブログは改行したらおかしくなるのでもっと言いたいんですがこれぐらいでやめます。またさや氏からリクエストの歌があったら語ることにします。僕が好きでない歌じゃないと語りませんけど。

 

カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
プロフィール
HN:
さや
性別:
女性
自己紹介:
ヤスオーと古都の片隅で暮らしています。プロ野球と連ドラ視聴の日々さまざま。
ブログ内検索
バーコード
ATOM  
ATOM 
RSS  
RSS 
Copyright ©   風花の庭   All Rights Reserved
Design by MMIT  Powered by NINJA TOOLS
忍者ブログ [PR]