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おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行)
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はじめて買った『ユリイカ』はこうの史代特集。
寄稿あり、対談あり、のんのインタビューあり、単行本未収録作品あり、豪華ラインナップでじっくり堪能しました。

二次元の表現世界を最大限に生かしながら、この世界の片隅に生きる人びとを戦中戦後の呉に配置して描き、この世で生きていくということの意味と意義を心の深い場所へ直接問いかけてくるこの作品。何度も何度も読み、そのたびに涙しました。それは、いわゆる「戦争モノ」に対して抱いてきた感想とはまるで異なる場所から湧いてきたものでした。
他者によって与えられた「死」、それは恐怖であり悲しみであり、戦争の一面でありすべてでもあります。
しかし爆撃機の飛び交う空の下にはたくさんの「生」があり。
爆弾が落下するその直前まで積み上げられてきたたくさんの「生」があり。
そして「死」のあとにもまた、それを記憶するたくさんの「生」によって生かされていくのであり。

それは戦中であろうと戦後であろうと、永遠に変わらない生の営み。
この世界の片隅で、人は人と出逢い、人のかけらを集めて生きていく。
そして命は連綿とつながれていくのです。

この世界の片隅に生まれたこの作品が、今、大きな反響を読んでいます。
主人公・すずを演じたのが能年玲奈ことのんであったことも話題のひとつとなりましたが、評判が評判を呼んでロングランとなりそうな勢いです。
クラウドファンディングによって公開されたため、上映館数はわずかなものでした。
公開当初、調べたら、奈良で上映されていない(;゚Д゚)
すっかり田舎に慣れた人間に梅田の人混みは耐えられるものでなく、一大決心が必要なうえ、立ち見も発生しているという…ぐぬぬ、どうしたものか…。

と、うじうじしていたら。
やっと! やっと! 来年1月から橿原で上映キタ━(゚∀゚)━!! 

動いてしゃべるすずさんたちに逢える。
今からワクワクしています。




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今さらながら、アニメを全話視聴しました。
デジタルリマスター版が放送されていたので…。

原作とは趣が異なる、とは聞いていたものの、実際ここまで別物であるとは思いもしませんでした。
いきなりオスカルが「俺」なんて言うし…アンドレはクールだし…全体的に暗いし…。
原作の随所に見られたギャグ場面が皆無なのはアニメの演出的に難しかったせいだとしても、オスカルとアンドレの関係性が終盤までなかなか距離が縮まらなかったのは少しもどかしいものがありました。

私がはじめて原作を読んだのは、それが最初に出版されてから30年以上も経っていましたが、まったく色あせない登場人物とストーリー展開の魅力にとり憑かれたものです。女ながら軍人としてカリスマ性を発揮するオスカルという架空の人物は、当時であればなおさら、世の女性たちの憧れの的となったことでしょう。男社会でその能力をいかんなく発揮するワーキングウーマンの理想型。現実的には非凡な存在でありながら、人なみに恋もするし、想い人の前ではドレスも身にまとって胸をときめかせる、きちんと共感できる部分も持ち合わせています。一方、身分違いの恋に苦悩するアンドレの想いは切ないし、お家の事情で結婚させられたアントワネットの孤独は悲痛。誰しもに感情移入しながら読み進めていくことのできる、おそらく永遠に語り継がれるであろう少女漫画の金字塔たる作品です。

そう。これは少女漫画に他ならず、オスカルとアンドレの身分を超えた愛の物語であり、フランス革命はその色づけに過ぎません。だからこそ原作のフランス革命は民衆の掲げる自由と平等という崇高な理想が強調され、オスカルがそれに心を動かされるという流れになっています。
しかしアニメでは、革命の持つ正と負の側面がそれぞれフラットに描かれていました。ロベスピエールやサン・ジュストは野心に燃えるテロリストであり、平民の貧しさをオスカルにつきつける存在であったロザリーはほとんど目立たないので、オスカルがフランスの現実を実感していたかどうかは判然としません。むしろ己の意志で積極的に革命家の講演へと出向いていたアンドレに影響され、革命に対して受け身な姿勢でいたように映りました。
そして最後の選択に対し、「アンドレに従う」と他人に委ねたのも、受動的、女性的とも受け取れる描かれ方であったようにも思います。

なぜわざわざこのように異なる演出をしてフランス革命を描いたのかはわかりません。ただ女性的というならば、確かにアニメのオスカルは出撃を前に妻として夫の選択に従うというわかりやすい夫唱婦随発言をしていますが、それまでの彼女はアンドレを遠ざけうすうす自覚しつつある想いを押し殺すかのように黙々と業務を遂行していました。何かと感情に左右されやすい女性の行動ではありません。
一方、原作のオスカルはそばにいるのがあたりまえのアンドレに時にはむきだしの感情をぶつけ、それをアンドレがすべて受け止めるものだから、ますます甘えて思うがままに振る舞っていたようにも思えます。それもまたオスカルの持つ女性的な一面かもしれません。

いずれにせよアニメオスカルも原作オスカルも、男性的な強さと女性的な愛らしさを兼ね備えた、女性から見てこれほどカッコいい女性は他にいないだろうと思わせるほど魅力的なキャラクターなのです。その点ロザリーは読者あるいは視聴者そのものです。

どちらが好きかと言われたら、やはり原作なのですが…。


日の鳥

こうの史代さんの新作。妻を探して旅をする雄鶏が見た東日本の風景を描いています。

ぼおるぺんで描かれた東北の景色の片隅に、妻を探す一羽のにわとり。
空を飛び、大地を歩み、妻の姿を求めて各地を転々。

《三時二九分で 時計が止まっている
 時計の動いていた頃を 知らない花が 供えられている》

あの日から半年。
それでも季節は過ぎていく。人の心より先を行く。

《そうか わたくしは恵まれているのだな
 足と翼でどこへでも妻を探しにゆける
 松さんよ
 あなたのなかまを見つけたら あなたが今でもここで待っていると伝えておくよ》

枯れすすみながらも凛然とその地に根ざし屹立していた一本松。このようなまなざしをニュース映像ごしに、奇跡と同時に悲劇の象徴でもあったあの松へ一瞬でも向けただろうか。

《おっと!? ここからは「立入禁止」だってさ
「妻がメイク中のため」だったら 皆さんには じつに申し訳ない》(福島第一原発から約13kmの楢葉町)

時にはおどけながら、妻との思い出を語りながら、にわとりの旅は海へ、山へ。町へ、川辺へ。

《ああ 空が 「生きよ」と言っている
 無責任に
 他者だからだ ヒト事だからだ
 でもそれを 真に受けるかどうかは わたくし達の 自由なのだ》

空を羽ばたきさまざまな場所へ降り立ち、自由に見えて、それでも時には涙をこぼすこともあるのかもしれない。己の力ではどうしようもない、あらがえない運命とやらに。

《こんなにきらきら 輝いているから 非情なんだと 忘れてしまう
 こんなに優しく 波が歌うから 非情なんだと 忘れてしまう
 わたくしの命は短くて 短いからこそ 非情なんだと 恨む間が惜しくて 忘れてしまう》

かつて牙をむいた海を前にして、にわとりのつぶやきは優しく、あたたかい。その波を照らす陽ざしのように。
それは救いのようにも思える。
それでも愛さなければならないのだ。生きていくために。我々は、この日本を取り囲む、この海を。

《それでも生きのびた
 それでも生きている
 それでも生きてゆく
 やるせないような
 けれどもすこし ほこらしいような》

にわとりは生きる。となりに妻がいない淋しさとともに今を生きていく。
しあわせな思い出で悲しみの隙間を埋めながら、愛する妻のふるさとである日本の東の地のうえで。

にわとりは妻に会えたのだろうか。
しかし最後のページをめくってもなお、その旅は続いていました。
血の気が多くて、カープもイーグルスも好きで、通ったあとの道をぼこぼこにして、大蛇に飲み込まれた夫を助けた時にすごい形相をしていたという、どうやら普通の雌鶏ではないらしい彼の妻はいったい何者なのだろうと、読めば読むほど不思議になってきました。
もし、カバーの下に描かれていた鳥がその妻なのだとしたら…。
彼女は今、にわとりよりもずっと高く東日本の空を翔けながら、その復興を見守っているのかもしれません。
再会の日は、まだ先になりそうです。

そういえば、サインをもらった時のイラスト。
こっこさんではなく、日の鳥だったのかもしれません。

終わった・・・。

 

 
 

凛と万次の長い長い旅は、ようやく終わりを迎えました。

このお話のラストはまるで想像ができなかったのですが、なんというか、

あー、せつなかった。

という感じでした。

凛がその後、どのような旅路を歩み、誰と出会い、子孫を残したのか・・・。

江戸へ戻る頃画家として大成していた練造? などと考えるのは少女漫画的思考でしょうか;

 

それにしても、

んん~。はじめて読んだのは高校生だったのだよなあ・・・。

本棚に一巻から並ぶ蔵書も、長い旅路でした。

みさおとふくまる

ネットで見かけて、「はっ!」としてすぐにアマゾンの購入ボタンをクリックしてしまったこの写真集。

みさおおばあちゃんと、猫のふくまるの「家族写真」の数々がおさめられています。

ときどき喧嘩はするけれど、とっても仲良し。

ふたりで畑に出て、お仕事して、一緒に帰ってごはんを食べて。

陽だまりの中お昼寝して。

たくさんの四季を迎えて、送って。

「ふたり」の絆が、詰まっています。

心がふわあっとあったかくなって、いつしかぽろぽろ涙がこぼれてきて。

そこには、たくさんのアイがあふれているから。

たくさんたくさん悲しいことがあったって、アイするものがそばにいて、寄り添ってくれるなら、いつだって人は笑顔でやさしさを忘れず生きていけるのです。

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自己紹介:
ヤスオーと古都の片隅で暮らしています。プロ野球と連ドラ視聴の日々さまざま。
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