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おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行)
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大好きなこうの史代作品の新作です。

今年は古事記編纂1300年。

奈良でも、すこーし盛り上がっています。

以前読んでからずいぶん時間がたってしまいましたが、やはり世界のはじまりの物語のインパクトは違います。

それでも、やはり文字で追うだけでは、イメージがつきにくい。

マンガを読みふけって育った人間ですから、絵で楽しみたいところでもあるのです。

で、この作品。ネットで連載されていた頃から、毎日楽しみに読んでいました。

それでも、パソコンの小さな画面では仔細までわかりにくい。

液晶画面でなく紙媒体で育った人間ですから、本で楽しみたいところでもあるのです。

ようやく待ち望んだ書籍化でした。

HPでは見過ごしていた細かい描写まで、しっかり堪能できました。

こうのさんなりの大胆な解釈で、いろんな神様をデフォルメしています。天照大神のつるピカおでこには笑ってしまいます。それでもしゃべっているのはちゃんと原語で、ちゃんと『古事記』になっている、不思議な読後感です。

『ぼおるぺん古事記』をかたわらに、もう一度古事記を読んでみようと思いました。

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最近新しい本をめっきり買わなくなって、本棚に並んでいるすでに読みつぶしたものや、実家から持って帰ってきたものをくり返し読む毎日ですが、

(それでも読書量はかなり激減している、情けない日々ですが)

『源氏物語』を読み終えて次に手に取ったのがこの本。

明治の軍人・乃木希典の生涯を綴った【問題作】。

問題作、と紹介されているのは、明治帝に忠誠を捧げ「軍神」と崇められた乃木将軍に対し、日露戦争の旅順での采配ぶりから戦才のない愚将の烙印を押しているからかもしれません。

歴史的評価を創作物である「小説」から読み手が下すほど滑稽なことはないと思いますし、司馬氏の描いているのは、「軍神」でもなく「愚将」でもなく、乃木希典という血の通ったひとりの人間なので、ただその生から死までの濃密な時間を、字を追いながら伴走することで、生涯を取り巻く数々の偶然と必然、絡み合う因果律のようなものを感じるばかりです。

生まれいでた場所、育った環境などは、乃木の精神形成に大きな影響を及ぼしたことは間違いありませんが、それを己の血肉とし、人生の基盤を幼い頃からしっかりとつくりあげた乃木の生きざまは、非常に芯の通った理想的な一本道であったかもしれません。

己の資質を知り、屈辱に耐えたことも、その基盤があればこそ。

そしていかにして死を迎えるか、それを長い長い時間をかけて問うていくのが、生でもある。

乃木は生と死を鮮烈に過ごし、そして迎えた。たまたま時代が彼を呼び歴史に名を残したことで、誰もが考えるべき生と死について、気づくきっかけを与えてくれた。司馬氏もまた、乃木という材料を使って、創作者としての観点から人間の生きざま、死にざまというものを描いたにすぎない(と、感じた)。

今この瞬間も、生は少しずつ削られている。タイムリミットのその日まで、自分なりの答えを見つけ出さなくてはならないのだろうと思う。

 

そういえば、本棚に並んでいる中からこの本を取った時、「やたら汚いな~。古本屋で買ったんだっけな?」と思いました。でも値札のあとも見当たらないし、おかしいな~と発刊日を見たら・・・。

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私が買えるはずがない!

親の本、間違えて持ってきちゃった?

 

光り輝く君の物語も、斜陽の時代に入ってまいりました。

 

まじめな息子は出世、美しい娘は入内、自身はようやく皇族扱いに。家内安全、一族安泰、あとは老後を妻とのんびり過ごすだけ・・・のはずだった源氏のもとに降ってわいた女三の宮の降嫁問題。

もし展開を知らずに読んでいたら、

「この色ぼけじじいが! この期に及んでまだ藤壺に未練があるか、紫の上の気持ちを考えろよバカタレが!」

と罵倒していたでしょうが、あらすじを知っている身ですからそこは冷静に、

「主人公が歳を取るとトーンダウンするのが一代記の宿命、しかしここにきてまたひと波乱起こすとは・・・。作者・・・恐ろしい子!」

と紫式部のストーリーテラーぶりに感嘆してしまうわけです。

 

しかし容姿身分年齢性格問わず、それぞれに個性あるさまざまな女人をはべらせてきたハンター源氏の最後の獲物が、源氏のみならず彼女に恋いこがれていたはずの柏木さえも落胆させてしまうほどのがっかりさんだったとは、皮肉な話です。あげくに継母と密通した自分が、めぐりめぐって妻を寝盗られる身となるとは、仏教でいう因果応報の道理とはいえ予想もつかない展開に後宮は騒然としたことでしょう。

 

源氏が藤壺と最初に契ったその描写は、物語中にありません。ただ胸中のつぶやきから、何かおそろしく罪深いことを起こしたのだとほの知り、終生光る源氏につきまとう暗い陰が差しこんだことを感じるのみです。ただその相手の藤壺が冷静で頭の良い女性だったことは、源氏にとっては幸運だったのかもしれません。逢瀬を重ねずとも、共犯者としてともに大きな罪を背負っていくことで、不毛な愛の意味を見いだせたのですから。

しかし柏木と女三の宮の間に、絆が生まれることはなかった。一時の情熱は見事に破綻し、死と出家という破滅を導く。源氏と藤壺の精神的な繋がりと比較すれば、あまりにもお粗末な終焉なのですが、柏木が夜通し語りかける甘い言葉の数々は、読んでいる者の心さえ溶かしていきそうなのに、恋を解さぬ女三の宮にはまるで通じず、最後まで実を結びません。もしかしたら源氏がたどっていたかもしれない運命を請け負った柏木には悲劇でしたが、もし女三の宮が藤壺のように罪を隠しおおせる強さを持っていたとしたら、この三人はどのような結末を迎えたのでしょうか。

 

精神的に幼く、源氏からはうとまれ、紫の上からもライバル視されない女三の宮ですが、それでも彼女は彼女なりに、他の女人にはない魅力を持って描かれています。

柏木の密通より先んじて、琴の名手とうたわれた源氏に指南され、一生懸命琴を練習するシーンがあります。源氏はただ自分の面目をつぶされぬよう、義務感から手ほどきするのですが、女三の宮は上達したと褒められるのがうれしくて素直に喜びます。すっかりハマってしまって、源氏の御渡りがあると琴を二面出して「さっ、レッスンしてちょうだい!」と張り切る女三の宮に、「そんなんもうええがな」とやることやっちゃう源氏のおっさん。人の心を深読みして疑う心を知らない純粋無垢な性格、それが悲劇を招いたといえばそうですが、それはそれでひどく愛らしくいじらしいのです。

容姿の書き分けや、感情的な言動の描写が少ないだけに、それぞれの女人のイメージを具体的に描けないことも多いのですが、ちょっとしたエピソードで生身の人間らしさを感じます。

 

ただ、頭で思い浮かべる時はどうしても『あさきゆめみし』の図になってしまうのです・・・。柏木の苦悩する姿は切なかったなあ・・・。

文庫本『源氏物語』もようよう5巻目に入りました。読み始めるとやめられぬ。

源氏が須磨・明石とさすらう中明石の君と出会い、姫が産まれますが、やがてその子は二条院の紫の上のもとで育てられることになります。

母として苦悩する明石。姫を手放したくはない、しかし身分がものを言う時代。卑しいわが身のもとで育つよりは・・・と苦渋の決断を下します。

作者自身が母親であったからでしょうか。若草の君や夕霧、明石の姫君など、幼い子の描写は愛情あふれ、ざれてまつわる様子が目に浮かぶようです。

 

古文を習ううえで本当に苦労したのが、敬語。

現代語でさえ厄介なのに、これが主語のない古文となるといったい誰が誰に対して使っているのやら、最初はさっぱり。なんとなくニュアンスで解いたら、あとで現代語訳を見て「えっ、違うの?」とガックリすることはざらです。『源氏』では登場人物皆兄弟で高貴な方々ばかりなので、もう誰が誰やら。註釈万歳。

ただ、明石の君は本人が嘆くように身分が低いので、敬語がないのはわかります。

それが、明石の姫にまつわる描写になると、敬語が使われていることに今更気づきました。姫君にはいずれ国母となるお告げが下っていることはすでに読者には知らされているのですが、つまり明石の君は将来的に帝の祖母となる御方のわけで、語り部も読者も、思わずそういう目(将来の国母とその生みの親)で見てしまうせいでしょうか。ところが姫君がいなくなるとまた並みの人扱いに戻るわけです。

現代語訳だと気づかないところも、熱心に原文を読むといろいろ発見があります。

昔の日本語は面白いな、と思います。

さて、『平家物語』に挫折しそうになった頃観た映画のおかげで、最近の読書タイムは、角川ソフィア文庫『源氏物語』なわけですが。

ようやっと雨夜の品定めまでたどりつきました(ってまだ二話・・・)。

まー、男が寄り集まってだらだらと、女について好き勝手くっちゃべっているこのくだり、

指を食われただのニンニク臭い女だの、どーでもえーから早く源氏の話してよ、と読み始めた頃はここでまず退屈になったわけです。

しかし改めて読んでみると、この男どもの女性論、不思議と今の男の理想像とあまり変わらないのかも。

「おっとりとかわいらしい女を妻にしたい、しつけ甲斐もあるだろうから」と言ったそばから「でも自分のことも夫の世話のこともなんでもできないと困る」「浮気されてもあからさまに嫉妬せず匂わす程度に」「仕事の愚痴も聞いてくれる人がいい」など、なんつー自分勝手なと思うのですが、当時の女房たちも、「キーッ、そんな都合のいい女いるわけないでしょうが!」などとツッコミを入れたのでしょうか。

 

とまれ、人生の先輩方の体験談を睡眠学習した源氏は、さっそく「中の品」なる女に手を出すわけですが、空蝉の恋はするりとその手を滑りぬけてしまいます。はじめて描かれた愛のささやきが実らないというのは、これものちのちの満たされぬ人生の暗示だったのかと思うと非常に皮肉な話です。というわけで、このくだりがお話の核を握っていることに20年目にしてようやく気づきました。

 

作者の恋愛観を最初にぶちあげておいてから、それに基づいて恋愛ハンターとして動いていく源氏。退屈だった「雨夜の品定め」ですが、ようやく重要性を感じながら話を読み進めていくことができました。

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