こうの史代さんの新作。妻を探して旅をする雄鶏が見た東日本の風景を描いています。
ぼおるぺんで描かれた東北の景色の片隅に、妻を探す一羽のにわとり。
空を飛び、大地を歩み、妻の姿を求めて各地を転々。
《三時二九分で 時計が止まっている
時計の動いていた頃を 知らない花が 供えられている》
あの日から半年。
それでも季節は過ぎていく。人の心より先を行く。
《そうか わたくしは恵まれているのだな
足と翼でどこへでも妻を探しにゆける
松さんよ
あなたのなかまを見つけたら あなたが今でもここで待っていると伝えておくよ》
枯れすすみながらも凛然とその地に根ざし屹立していた一本松。このようなまなざしをニュース映像ごしに、奇跡と同時に悲劇の象徴でもあったあの松へ一瞬でも向けただろうか。
《おっと!? ここからは「立入禁止」だってさ
「妻がメイク中のため」だったら 皆さんには じつに申し訳ない》(福島第一原発から約13kmの楢葉町)
時にはおどけながら、妻との思い出を語りながら、にわとりの旅は海へ、山へ。町へ、川辺へ。
《ああ 空が 「生きよ」と言っている
無責任に
他者だからだ ヒト事だからだ
でもそれを 真に受けるかどうかは わたくし達の 自由なのだ》
空を羽ばたきさまざまな場所へ降り立ち、自由に見えて、それでも時には涙をこぼすこともあるのかもしれない。己の力ではどうしようもない、あらがえない運命とやらに。
《こんなにきらきら 輝いているから 非情なんだと 忘れてしまう
こんなに優しく 波が歌うから 非情なんだと 忘れてしまう
わたくしの命は短くて 短いからこそ 非情なんだと 恨む間が惜しくて 忘れてしまう》
かつて牙をむいた海を前にして、にわとりのつぶやきは優しく、あたたかい。その波を照らす陽ざしのように。
それは救いのようにも思える。
それでも愛さなければならないのだ。生きていくために。我々は、この日本を取り囲む、この海を。
《それでも生きのびた
それでも生きている
それでも生きてゆく
やるせないような
けれどもすこし ほこらしいような》
にわとりは生きる。となりに妻がいない淋しさとともに今を生きていく。
しあわせな思い出で悲しみの隙間を埋めながら、愛する妻のふるさとである日本の東の地のうえで。
にわとりは妻に会えたのだろうか。
しかし最後のページをめくってもなお、その旅は続いていました。
血の気が多くて、カープもイーグルスも好きで、通ったあとの道をぼこぼこにして、大蛇に飲み込まれた夫を助けた時にすごい形相をしていたという、どうやら普通の雌鶏ではないらしい彼の妻はいったい何者なのだろうと、読めば読むほど不思議になってきました。
もし、カバーの下に描かれていた鳥がその妻なのだとしたら…。
彼女は今、にわとりよりもずっと高く東日本の空を翔けながら、その復興を見守っているのかもしれません。
再会の日は、まだ先になりそうです。
そういえば、サインをもらった時のイラスト。
こっこさんではなく、日の鳥だったのかもしれません。
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