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おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行)
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今年見た映画を10点満点で

・R100 2点
 (松本人志は好きですが、この映画は特に褒めるところがないですね。)
・アウトレイジビヨンド 5点
 (面白くないわけじゃないですが、前作の方が良かったです。たけしが目立ちすぎです。)
・海の上のピアニスト 7点
 (観終わった後色々考えさせられ、語り合える典型的な良い映画)
・英国王のスピーチ 7点
 (僕もスピーチが下手なので非常に主人公に感情移入できました。)
・オブリビオン 7点
 (SFとしては凡庸だが、ラブストーリーとしては良いです。前半の退屈さが難点。)
・崖っぷちの男 6点
 (適度な緊張感と爽快感がある、娯楽作として普通に面白い映画。)
・キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン 6点
 (主人公の父親役の俳優の演技が素晴らしかった。ストーリーは普通ですね。)
・キャビン 7点
 (この映画、特にラストは何なんでしょう(笑)。しかしそこが良かったです。)
・桐島、部活やめるってよ 6点
 (スクールカーストの描き方が上手です。文化系のカースト下位の僕は面白かったです。)
・クライモリ 5点
 (普通に楽しめる王道のホラー映画です。僕はキャビンの方が好きかな。)
・第9地区 5点
 (世界観は良いですが、ストーリーはそんなに面白くないですね。)
・100万円と苦虫女 4点
 (僕はこの主人公よりも生き方が不器用なので、あまり感動しませんでした。)
・プレッジ 4点
 (僕はこういうラストはあまり好きではないですね。好みの問題でしょうが。)
・フローズン 5点
 (雪山のリフトに置き去りという設定だけで退屈しない映画にしたのは評価します。)
・マイ・ビッグ・ファット・ウェディング 2点
 (この映画は男性が見ても面白くないでしょう。)
・マネーボール 3点
 (面白くなかったです。僕は原作を読みましたが、映画向きの作品ではない気もします。)
・モンスターズ・ユニバーシティ 5点
 (悪くないですが、どうしても前作と比べてしまい、このぐらいの点数になります。)
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マネーボール

野球大好き、よってもちろんこの映画の原作となった本も読みました。
確か新聞の書評で見つけて、すぐ本屋へ向かいました。
「驚きの野球理論!」と銘打ったその内容に、えらく感動していた相方とは対照的に、自分は「ふーん」程度で読了してしまいました。
ま、簡単に言うと、カタカナばかりの登場人物になじめなかったからです。昔から、外国文学を読まないひとつの理由でもあります。
それともうひとつ、数字が導き出すデータと野球を結びつけるマネーボール理論に今ひとつ共感を憶えなかったから、というのがあります。私は一貫して野球を観る側であり、打った、守った、走ったという結果に一喜一憂し、心動かされてきました。時には数字では圧倒的に不利なチームや選手が強い敵を倒す瞬間を目にして、才能や努力の結実を凌駕するその奇跡を楽しみに観戦しているところもどこかしらにありました。
素人です。ビリー・ビーンが否定した古参のスカウトたち側の人間でもあるのでしょう。
今はその頃とは違い、目に映るものがすべてではない野球の奥深さがわかるようにもなってきました。
マネーボール理論も、今なら納得して話を聞けます。
その頃には時遅く、すでにセイバーメトリクスは時代遅れとなっておりました。学問は日々進化していきます。野球とて同じ、強さを求めるならば同じところにはとどまってはいられません。
その中でなぜか今さら公開されたこの『マネーボール』。
映画作品としては、弱者が強者を倒す一種の下剋上譚でもあり、ひとりの男の過去を克服する人生劇場でもありました。
選手としては大成できなかったが、GMとしてその手腕を発揮するビリ-・ビーン。かつては自分がその立場であったはずの選手たちの人生を電話一本で次々に操っていくビリーに、当初反発心を憶えるピーター。元アスリートらしい負けず嫌いな性格に端を発してGMとして身に着けたビリーの非情さと、選手たちを数字で表現しているはずのピーターが選手の気持ちに寄っているのが対照的で、面白い構図でした。くり返される体温のないトレード話のやりとりが、ラストに引き抜きの話を蹴るビリーのエピソードをより生かしています。
野茂のトルネードにしろ、イチローの振り子打法にしろ、ビリー・ビーンのマネーボール理論と同様に、周囲の反発をくらいながらもポリシーを貫き、そしてそれを結実させました。
何事においても、先を行くのに必要なのは踏み出す勇気。
野球を知らずとも、セイバーメトリクスに共感しなくても、人生の進む先を選ぶ時に必要なものを教えてくれる作品です。
ただやはり、数字では推し量れない奇跡の瞬間を超えるものはどこにもないと思っています。
そして数字と人間の情。両者相いれないとはいっても、動かすもの動かされるのも人間である以上、そのバランスが良い状態を保つ時、真の強さを発揮するのだと思います。野球を見ていて、つくづく思います…。
最高の人生の見つけ方

ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンという二大名優の共演というだけでも見る価値はありますが、それ以上に内容の素晴らしさに心が磨かれるようでした。
たまたま同じ病室に入ることになった自動車整備士カーターと大富豪エドワード。お互い余命いくばくもない。ある日、カーターが書き出した死ぬまでに叶えたいこと《バケット(棺桶)リスト》をエドワードが目にし、それを実行するためにふたりは病院を出て人生最後の旅に出る。
――与えよ、さらば与えられん
聖書の言葉がずしりと重く響きます。
真の喜びとは、自分の心にではなく誰かの心に現れたことで、鏡のごとく反射してみずからも満たされるのではなかろうか。無垢な赤ん坊の笑顔に、自然と微笑みが生まれるように。
愛する人に愛されながらも労働にあけくれ思うように人生を過ごせなかった不満をどこかに抱えるカーター。
巨額の富を築きながらも愛する人からの愛を得ることなく孤独に生きてきたエドワード。
対照的なふたりの人生が交錯する時、紙上の夢は現実のものとなる。
互いは、互いの人生に欠けたピースを最後にはめこんだ。最高の景色、最高の料理、最高の旅。少しずつ消されていったバケットリスト。最後に残ったのは愛と聖書の言葉だった。エドワードの夢はカーターによって与えられた。巧みに用意されたプロットには涙を禁じえませんでした。
孤独だったはずのエドワード。しかしその隣にはいつも、有能すぎるほど有能な秘書がいた。悪態をつきながらも、エドワードは本当はトーマスとの皮肉めいた会話の応酬をずっと楽しんでいたのかもしれません。最後に与え、与えられたラストシーンを見てそう思いました。
私は死を知りません。
死を知っている人も知りません。
だから、その死が訪れる日を知りたいかどうか、選ぶこともできません。
死ぬために生きているにもかかわらず、人はその死を畏れ目をそらし続けます。
最後に目を閉じる時、なにが見えているのでしょうか。
最高の人生であったと満足しながら天国の門に旅立てるでしょうか。
誰かの心にその価値を残していけるでしょうか。
そのために与え続ける日々を積み重ねなければならないと、あらためて強く思うのです。
桐島、部活やめるってよ
「好きなことができるのは、学生の間だけ」
「子どもは自由だ、大人には自由がない」
「学校行って勉強したり部活したりするだけいいなんて、働くよりずっと楽だよなあ」
子ども時代に大人からよく言われる言葉です。
今の生活に不満があると、過去のことはいい記憶しか思い出せなくなるものです。
生活のために嫌なことも我慢してあくせく働いてばかりいると、学生生活が懐かしくなるのです。
が、子どもには子どもの社会があるわけで。
大人が思うほど、好きなようにも生きられないし、自由でもないし、勉強も部活もほどほどにしないと息苦しさをみずから招くことになるのです。
「スクールカースト」なる言葉が流行りだしたのはつい最近のことですが、子ども社会の上下関係なんてはるか昔から存在していて、誰しもがその理不尽さを目のあたりにしそのまっただ中でもがいてきたのです。
運動もできて勉強もできて美人の彼女がいるいわゆる「リア充」桐島。その彼が、部活をやめる――。この作品は、桐島が桐島たることによってアイデンティティを保ってきた周囲の生徒たちの、揺れ動く数日間を描いています。
原作は朝井リョウ、20歳の時の作品です。高校を卒業して間もなく、まだその時の感覚を保っていたからこそ、描けた世界だったのかもしれません。
記憶は日々上書きされ、変化していきます。
作中、映画部の顧問が言います。「高校生のリアルを撮れ」。その言葉に対し部員の前田は反発心を憶えます。自分が撮りたいのはゾンビ映画だ、ゾンビが今自分にとってのリアルなのだ、と。
20年前の自分なら、前田に共感していたでしょう。今自分がやりたいこと、好きなこと、それがゾンビの襲撃やら剣と魔法の世界やら熱烈な恋愛やら、自分の周囲を取り巻く現実とかけ離れていても、それが自分にとってのリアルだと。
しかし今の自分は、顧問に共感してしまいます。私が顧問であっても同じことを言うでしょう。ゾンビなんていつでも撮れる、大人になってからいくらでも撮れる。10代には10代にしか見えない、感じ取れないものがあって、そのリアルを大切にしろ、と。たとえそれが相手の心に届かない言葉であったとわかっていても、なお訴えかけるでしょう。リアルは自分の心の中ではなく、自分の外にある世界のことであり、それを感じ取ることができるのは今だけなのだと。
学校という空間は、不特定多数の人間と否が応にもかかわらざるを得ず、そしてその世界で生きていくために「普通」を装わなければなりません。『ヒミズ』の時にも書きましたが学校社会では違和感を押し殺し、うわべの友達を作り、お弁当も移動教室も放課後も誰かとつるんで「普通の学生」を装わなければいけないのです。それは子ども時代だけの特別な生き方です。大人になるとその苦痛を忘れてしまいます。あんなに毎日を苦しめた学校生活だったのに、当時の日記を読み返してハッとさせられるほど年月はその記憶を風化させてしまいます。
顧問もそれを感じていたからこそ、前田たちに呼びかけたのでしょう。しかしお金やら家族やら、大人と較べて守らなければならないものがない子どもにとってアイデンティティはいちばん大切なものであり、前田もやはり自分の守るべき世界を譲らない。桐島というアイデンティティを失ったカースト上層部の生徒たちが乱れる姿とは対照的でした。
前田のレンズの先にあるリアル、それが20年後同じ世界を保っているとは限らない。それでも未来は見えないし、過去にも絶対戻れない。未来の自分からかもしれない誰かの言葉は絶対に届かないし、過去は都合のいいようにかたちを変えてしまう。
今を生きるしかないのだ。
無数の選択肢の散らばる世界で、その時その時の己の守るべきアイデンティティとリアルのためにどれかひとつを拾い上げる。
人生なんて、そんな瞬間のくり返しにすぎないのだ。

『あまちゃん』メンバーが大勢出ていました。ユイちゃん、リーダー、若大吉(今は悠さん)、AD小池。古びた校舎を照らす夕日と取り巻く紅葉、体育館にボールの跳ねる音、響き渡る吹奏楽。ロケ地は高知のようですが、いつかどこかで目にしたような懐かしい風景。いつの間にか高校生たちの誰かに自分の姿を投影させてしまいます。誰もが通ったはずの17歳の一日。それはもう心の奥で未来の自分に踏み潰されてかたちを変えたいつかの記憶。
アウトレイジ ビヨンド

そろえにそろえた役者のほとんどを死なせてしまった1作目から、どのように続編が作られるのか期待していましたが、今回も芸達者ぞろいの俳優陣が火花を散らせて目の離せぬ展開となりました。
「全員悪人」のキャッチフレーズのとおり、今回も悪人どもが悪行の数々をくり広げます。中でも小日向文世と加瀬亮の悪人っぷりは際立っていました。むしろ悪すぎて小物感までただよっていました。加瀬亮の額に青筋立てて感情を昂らせる姿は、『SPEC』の瀬文を彷彿とさせました。名だたる悪人の中のひとりとして静かな存在感を発揮していた一作目と違い、今回はトップに近い位置で権力をふりかざしギラギラした野心を隠そうともせず、その勢いにやや押されぎみに見えた三浦友和とは対照的で、その過剰な演技が少し浮いてしまったかなという気がします。
一作目の登場人物がほとんど死んでしまっていたため、新キャストも話題を呼びました。若手の中でも演技派として名高い新井浩文と桐谷健太。さぞかしヤクザ組織の期待枠として活躍を見せてくれるのだろうと思っていたら、ただのチンピラ役でたいした見せ場もなくあっけなく殺されてしまいました。なんてもったいない…。
それよりさらに贅沢な使い方であったのが高橋克典。途中まで気づかないくらいセリフもなければアップもない! それでも出たいと言わしめる北野監督の大物感です。
椎名桔平に代わる立ち位置であったのかもしれない松重豊ですが、この役柄が必要であったのかどうか少し疑問です。キャラクターも存在意義もこれといった見せ場もないままラストになってしまいました。
監督が主演を兼ねるとおいしいところをなにかと持って行きがちですが、この作品においても例外ではなく、俳優ビートたけしが人情と冷酷さをあわせもつ人間くさいヤクザを演じ真の勝者としてラストを飾ります。
が、これは一作目でも感じたことでありますが、ビートたけしの演技がいかんせん劣っており、見せ場のはずなのにそこだけ張りつめた空気が弛緩してしまいました。たけしが俳優として駄目なわけではないのでしょうが、周囲が周囲だけに、見劣りするのは避けられません。しかし主役がまた別の名優であったなら、いくら北野武監督作品であったとしても見ようという気になったのかどうかは疑問です。名だたる俳優たちが名演技で迫力あるヤクザの抗争を描いたいわば異世界のような出来事を、こちら闇社会とは無縁の娑婆と結びつけたのが、親しみのある芸人ビートたけしの稚拙な演技であったのかもしれません。
総括としては、一作目のほうが見ごたえがあったかな、という感想です。
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ヤスオーと古都の片隅で暮らしています。プロ野球と連ドラ視聴の日々さまざま。
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