忍者ブログ
おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行)
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

凶悪
凶悪犯罪と呼ばれる、おそろしい事件を検索してはひとりで勝手に震えて、しかし文字を追うことをやめられない。なぜ、人はここまで残酷になれるのか。何が犯人をそうさせたのか。法廷はそんな心の闇を暴けるのか。死刑や懲役は、本当にその罪に値する刑罰なのか。思うところはつきずそれでも日々、理解を超える凶悪な真実がテレビ画面を転がり続ける。
しかし、我々が目にするそれらの真実は誰かの手によって真実となりえたもの。
この世には、白日のもとにさらされることのない多くの罪が、闇の中に眠っている。
主人公・藤井が生活を犠牲にして追い続けた真実。最初は獄中の須藤の曖昧な記憶からは浮かび上がってこない「先生」像。それが藤井の取材により徐々にあきらかになっていき、やがて物語は過去にさかのぼり、須藤と「先生」が犯した罪のすべてが白日のもとにさらされる。まるで熟した果実を握りつぶすようなたやすさで、その手は他人の命の歩みを止める。心は何も感じない。むしろ誰かが死ねば死ぬほど潤される。その目に映る世界は希望と光に満ちている。そういう人間も、この世には存在するという。
藤井が真実の追究に執念を燃やしたのは隠蔽された罪に対する怒りだった。真実を記事にすることで凶悪犯罪者を認知させ、理不尽に失われたいくつもの命を弔うこと、それは記者としての使命なのかもしれない。だが世間が同じ怒りを共有するとは限らない。
かつて藤井のいちばんの理解者だったであろう妻は、仕事にかこつけて家庭の問題から目をそむけ続ける夫に失望する。そして痛烈なひとことを投げつける。「記事を読んで、楽しかった」と。
犯罪小説のようにショッキングでスリリングな凶悪事件。藤井が伝えたかったのは罪の重さとそれに対する怒りであり、娯楽では決してなかったのだ。妻だからこそ、夫をいちばん傷つける言葉を知っていたのかもしれない。冷酷な犯罪者よりも、背筋を寒くするひとことだった。
人の命に軽重はないという。その通りだと思う。
しかしテレビで殺人事件や虐待のニュースを見るたびつぶやいてしまう。こんな奴、死ねばいいのにと。
どこかで命の線引きをしている。それをしないのは神だけだ。
裏切りをもっとも嫌っていたはずの須藤が自分を裏切っていたことを知った時、神ならぬ藤井は叫ぶ。「死ね」と。
誰かの命を奪うこと。誰かに死んでほしいと思うこと。その心は紙一重なのかもしれない。
人は誰でも、いつでも凶悪になれるということなのかもしれない。


PR
塔の上のラプンツェル

巷で話題の『アナと雪の女王』、見に行きたいな~、でも人が多いしな~と考えているさなか、地上波で放送されていたので、ディズニーの雰囲気にひたりたくて見てしまいました。
もともと、『ラプンツェル』のお話が大好きだったのです。
小さい頃から家にあったぼろぼろの絵本。おそらく姉のおさがりだったのでしょう。タイトルは『こびととくつや』。しかし私が惹かれたのは、表題作のあとに収録されていた『ラプンツェル』でした。
魔女にさらわれた少女が王子様によって救われハッピーエンドというあらすじだけ見ればよくある玉の輿譚なのかもしれませんが、なぜか絵のタッチが表題作に較べ暗かった。からたちの枝に目を刺され失明し森をさまよう王子様の姿なぞ、本当に暗かった。例によって暗い話が好きだった子どもゆえ、あまり幸福感のないそのお話に惹かれました。
ところで私の持っていた童話集(これもおさがり)では、『眠り姫』は王子様と結婚したのち、王子の母親であった魔女が王子と姫の子どもたちを食べようと画策して失敗し結局死んでしまう結末であったり、『白雪姫』の継母が真っ赤に焼けた鉄の靴を履かされ死ぬまで踊り続けさせられたりして、純真な子ども心は恐怖のどん底に陥れられたのですが、今思えば出版社はなぜ子ども向け童話集にそんな残酷きわまりない無修正話を挿入したのであろうか…。
それはさておき、あの暗い『ラプンツェル』が、ディズニーの手にかかるとこんなにハッピーでスリリングでアグレッシブなプリンセスのお話になるのかと驚きました。
もはや私の好きだった『ラプンツェル』ではないけれど、これはこれで本当によくできたストーリーであると思います。さすがディズニー。しょこたんの声も違和感なく、本当にかわいらしいラプンツェルでした。
そういえば、童話の魔女といえばいじわるで執念深くて、若くてきれいなお姫様を妬んで殺そうとしたりする生きものだと思っていたのですが、『ラプンツェル』の魔女はあっさりラプンツェルを放逐するのでずいぶん他の魔女と違うなあと思っていました。もともと魔女の憎む相手はチシャを盗んだ夫婦であり、ラプンツェルを攫った時点で復讐は完了していたので、彼女自体に執着はなかったからかもしれません。あと、『眠り姫』や『白雪姫』の魔女はその後きちんと報いを受けましたが、『ラプンツェル』の魔女はいったいどうなったのか気になっていたので、その行く末を描いてくれたのは胸のつかえがとれた感がありました。
『アナ雪』も早く見たいです。



悲夢

キム・ギドクが隠遁生活に入る前の最後の作品です。
やはり『ブレス』と同様の雰囲気で、ギ毒は薄めです。
かつての恋人を忘れられないジン。元恋人を心底憎んでいるランは、なぜか彼の見る夢と同じ行動を取ってしまう。それぞれが見る夢と感じる現実。痛みは同じ。いつしか通じあっていく心と心。
オダギリジョー演じるジンだけ日本語だけれど普通に韓国人と会話している、とか、医者とは思えない無責任なひとことで始まってしまう関係、とか、あいかわらずの強引きわまりないギドクワールドですが、そんなことはまさにどうでもよいとギ毒に慣れている者は思うものの、オダギリジョーのファンがまちがって見てしまうと絶対に受け入れられない設定でしょう。ものづくりにあたって、閉鎖的な姿勢は必ずしも正しいとは思えませんが。
あと、ギドク作品にはめずらしくセリフが多めでした。とくにジンのように(あくまで比較的)饒舌な男性主人公ははじめてかもしれません。日本以外の国ではセリフは字幕で感じるものなので、発声が多くても気にならなかったかもしれませんが、日本語として聞きとれてしまうと、少し違和感が残りました。オダギリジョーも目力の強い俳優なので、もっと寡黙な設定にしても良かったと思うのですが。
この愛は暴力的でも野性的でもなく、互いが互いの心を優しく包んでいきます。
色彩に咲く、夢ともうつつともつかぬラスト。
ここでふと思うのでした。なぜジンとランたちの会話が成り立つのか。それを強調するかのようにギドクらしからずセリフが多かったのはなぜなのか。すべては夢であったのか。そしてそれは、荘子の見た夢なのか、あるいは胡蝶の夢であったのか…。
ジンとランの部屋や寺院デートは、ギドクらしい美的感覚にあふれていました。黒白同色という言葉を可視化した場面も印象的でした。
映画「闇金ウシジマくん」

深夜ドラマ『闇金ウシジマくん』の映画版。
ドラマのSeason2を見終わったばかりのところで鑑賞。
そのせいか、少し違和感をぬぐいきれませんでした。
ドラマ版では専門用語(とも限らないが)にはテロップで解説がつき、ことあるごとに「犯罪です。」の注意書き。深夜ドラマらしいノリで、借金地獄に堕ちていく人びとの深刻であるはずの展開にも、どこか力を抜いて鑑賞できたのです。
が、映画にその演出はありませんでした。もちろん映画ですからドラマの延長であっても困るのですが。
そして、ウシジマくんとカウカウファイナンスの社員たちを中心に回っていたドラマとは異なり、映画では借り手側の視点で描かれていたのも、主な違いであったかと思います(しかし思い返せば、ドラマSeason1も借り手視点だった)。
今回の主人公はイベントサークルを切り盛りするチャラ男。ドラマの読モくんも、若さゆえにあやまちを犯し人生を棒に振ってしまう、なかなかに悲惨なエピソードでしたが、今回は言葉で語られるのみに終わったドラマとは違い、その行きつく先を映像化したあたり、「映画だなあ」と思いました。
ドラマなら許される「女っ気なし」も、映画ではアレコレ大人の事情が優先されてしまうのでしょうか。大島優子演じる出会い系カフェで小金を稼ぐ少女は、実は物語の重要なカギを握っていたにもかかわらず、あまり重要性を感じませんでした。ちなみに大島優子は、AKBということで無駄にあれこれ言われてしまうところもあったでしょうが、まあ別に見られないことはなかったです。しかしこれが10数年前の池脇千鶴であるとか、今でいえば二階堂ふみあたりが演じていれば、もっと深みのあるエピソードになったのではなかろうかと。
千秋に至っては、出す必要がまったくなかったです。おそらくカウカウファイナンスを辞めたはずの千秋が出演するという前宣伝でドラマファンの気を惹く計画だったのでしょうが、もはや詐欺レベルです。
肉蝮との絡みも、いるか? という感じでした。ウシジマくんに期待しているのはアクションではないですし。
警察とのやりとりと、アーガイルのウシジマくんはなかなか面白かったです。
ラスト、ちょっと人情に触れたウシジマくんは、Part2への布石だったのかもしれません。

結論から言うと、「ドラマのほうがおもしろい」でした。


チャイルドコール/呼声

『偽りなき者』のDVDに予告編として収録されていて、興味深かったので借りてみました。
夫のDVにより8歳の息子を連れて郊外に逃れてきたアナ。恐怖の記憶にとらわれているアナは、別のベッドに眠る息子の様子を確認するため《チャイルドコール》を枕元に置く。ある夜、そこから聞こえてきたのは、子どものすさまじい悲鳴。あわてて部屋に走ると、息子は静かに眠っていた。
声の主は誰なのか。

『ドラゴン・タトゥーの女』のヒロインだったノオミ・ラパスは、一転不安と恐怖にかられ続ける母親を巧みに演じています。
曇り空、静かな街。あいかわらず、おしゃれでのどかなイメージとはかけ離れた北欧です。昼下がりの散歩道になるはずの近所の森も、残酷なひと幕の舞台となりました。
物語は、チャイルドコールから聞こえてきた声の正体を探るアナの視点で進みます。しかし周囲の人びとは、アナの見てきたものとは異なる話を事実として語り出し、アナの心とは乖離していきます。
もともと、DVを受けたことで精神不安定であり、息子への執着も強すぎるほど強いアナ。幻聴や幻覚を体験しても不思議ではなく、次第に謎の行きつく先を感じ始めます。
少し佐々木丸美を思わせる展開でした。

悲しい事実から逃れてきたはずの街。しかしそこも、結局、悲しい街だった。
一度鑑賞しただけでは、謎をすべて解釈することはできませんでした。しかし二度観ることはないでしょう。あまりにも、悲しい物語であるからです。
カレンダー
12 2025/01 02
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
プロフィール
HN:
さや
性別:
女性
自己紹介:
ヤスオーと古都の片隅で暮らしています。プロ野球と連ドラ視聴の日々さまざま。
ブログ内検索
バーコード
ATOM  
ATOM 
RSS  
RSS 
Copyright ©   風花の庭   All Rights Reserved
Design by MMIT  Powered by NINJA TOOLS
忍者ブログ [PR]