ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンという二大名優の共演というだけでも見る価値はありますが、それ以上に内容の素晴らしさに心が磨かれるようでした。
たまたま同じ病室に入ることになった自動車整備士カーターと大富豪エドワード。お互い余命いくばくもない。ある日、カーターが書き出した死ぬまでに叶えたいこと《バケット(棺桶)リスト》をエドワードが目にし、それを実行するためにふたりは病院を出て人生最後の旅に出る。
――与えよ、さらば与えられん
聖書の言葉がずしりと重く響きます。
真の喜びとは、自分の心にではなく誰かの心に現れたことで、鏡のごとく反射してみずからも満たされるのではなかろうか。無垢な赤ん坊の笑顔に、自然と微笑みが生まれるように。
愛する人に愛されながらも労働にあけくれ思うように人生を過ごせなかった不満をどこかに抱えるカーター。
巨額の富を築きながらも愛する人からの愛を得ることなく孤独に生きてきたエドワード。
対照的なふたりの人生が交錯する時、紙上の夢は現実のものとなる。
互いは、互いの人生に欠けたピースを最後にはめこんだ。最高の景色、最高の料理、最高の旅。少しずつ消されていったバケットリスト。最後に残ったのは愛と聖書の言葉だった。エドワードの夢はカーターによって与えられた。巧みに用意されたプロットには涙を禁じえませんでした。
孤独だったはずのエドワード。しかしその隣にはいつも、有能すぎるほど有能な秘書がいた。悪態をつきながらも、エドワードは本当はトーマスとの皮肉めいた会話の応酬をずっと楽しんでいたのかもしれません。最後に与え、与えられたラストシーンを見てそう思いました。
私は死を知りません。
死を知っている人も知りません。
だから、その死が訪れる日を知りたいかどうか、選ぶこともできません。
死ぬために生きているにもかかわらず、人はその死を畏れ目をそらし続けます。
最後に目を閉じる時、なにが見えているのでしょうか。
最高の人生であったと満足しながら天国の門に旅立てるでしょうか。
誰かの心にその価値を残していけるでしょうか。
そのために与え続ける日々を積み重ねなければならないと、あらためて強く思うのです。
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