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おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行)
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ブーリン家の姉妹

 舞台は16世紀、イングランド。世継ぎのいない国王・ヘンリー8世に愛された姉と妹の数奇な運命。

『エリザベス』を初めて鑑賞した時、ストーリーがさっぱりわからなかったということは以前のブログに書きましたが、これはそれよりさかのぼること20年ほど前のお話。

気が強く利発な姉のアンと、おっとりしていて控え目な妹メアリー。政略結婚が当たり前のように行われていたこの時代、姉妹の父と叔父はアンを国王に差し出そうとするが、国王が見初めたのはメアリーの方。冷静を装いながらもプライドを傷つけられたアン。そして、仲の良かったはずの姉妹の間に亀裂が生じていく。アンは極秘結婚が露見し国外追放、メアリーは国王の寵愛を受け妊娠する。しかしフランス宮廷でセンスを磨いて帰ってきたアンは、見事に国王の愛を奪い、メアリーが男児を産み落とした時には国王はアンの虜。メアリーが田舎へ送還される一方、アンの国王に対する要求はエスカレート、前王妃と離婚を成立させるためカトリック教会からの脱却を決意させるまでに至る。しかしその栄華は長くは続かず、不貞の罪を着せられたアンは処刑台にその命を散らすこととなった。

なんとも壮絶な作品です。

傾城傾国という言葉が当てはまるほど実際のアンは美人ではなかったようです。しかし国王が女に夢中になると国家が不安定になるのは国境を隔てても変わらぬ真理であるようで、アン・ブーリンはイングランドの歴史を変えてしまいました。その事実ひとつを取れば国民が彼女をそう呼んだように魔女という罵詈がふさわしいのかもしれませんが、この作品を観ていると彼女が悲しい女性のように思えてなりません。むしろ被害者は前王妃でありメアリーであるのでしょうが、どうしてもアンを嫌うことができません。そのくらい、魅力的で悲劇的なのです。

長女として幼い頃から自分の役割を理解しそれこそが運命と信じきってきたアン。二番目の気安さで恋愛結婚を夢見るメアリー。アンからすれば、自分の果たすべき役割をやすやすと奪ったメアリーが許せなかったことでしょう。メアリーもそんなアンに気おくれを感じつつ、最初はなりゆきだったとしても、国王の愛を得た瞬間にみずからも相手を欲するようになり、能動的な女性へと変わります。愛を得ると女性には自信が生じる。相手はそれを敏感に察知する。そして単純な自信にすぎないそれは相手の中で自分に対する優越感と変化する。両方が、反発心とここでは姉妹愛、相反するふたつの感情に苛まれることとなる。厄介で、しかし不変の女性特有の感性だと思います。

家の事情で結婚を決められ男児を産むことを強要される自由のない時代でありながら、自分を信じ自分の選択を信じ自分の手足で人生を作り上げていこうとするアンの姿は、現代人の私にも深く印象づけられました。

もちろんメアリーも芯の通った生き方であったと思います。人を愛し人を憎み、しかし最後には優しさと思いやりを失わずしなやかに運命を受け入れた。あらゆる感情の営みを経験した彼女の人生こそ理想でありましょう。

一歩間違えれば昼ドラ的ドロドロドラマになるところ、女性の持つ根源的侃さを体現したナタリー・ポートマン、スカーレット・ヨハンソン、二名の女優の感性のぶつかり合いは見事でした。

6人の愛人がいたらしいけれども実数はその何倍も存在したであろうヘンリー8世を演じたエリック・バナは男前でしたが、途中からは色欲ボケのおっさんにしか見えませんでした。女性目線の映画ですから、これは仕方ないことなのかもしれません。

一方で前王妃は凛としていて素敵でした。子を産めず、愛も得られず、最後には王妃の座も追われてしまう女性としては悲しい人生だったでしょうが、それでも最後まで王妃としての誇りを守り続けた立ち姿は優美でさえありました。

姉妹を対比させた鮮やかな緑と穏やかなベージュの衣装、あまりにも異なる初夜の演出など、仔細にこだわった部分も印象に残りました。

アンの産み落とした女児がのちのエリザベスⅠ世となるのですが、もう一度『エリザベス』を観てみたくなりました。今度はちゃんとストーリーを追えると思うので・・・。

評価:★★★★☆

 

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ダーリンは外国人

私は3人兄弟の末っ子ですが、おそらく「外国」に対する憧れであるとか好奇心であるとか、そういったものすべてを持って行かれた状態で産まれてきたのだと思うほど、それらに興味がありません。

英語は苦手でした。とはいえ座学であれば、理数ほど不向きではありません。和訳は直訳するとおかしな日本語の文章になるのが許せず勝手に意訳してよくバツをもらっていましたが。

しかし大学に入ると、ネイティブ講師の授業があり、これが苦痛でたまりませんでした。なんで日本史学びに来たのに英会話せなあかんのや! と何度心の中で毒づいたことか。必須単位でなければ確実にブッチしていたはずです。そのせいだけではありませんが、さまざまなトラウマにより英語パニック症候群です。観光地に住んでいるため、道に迷っている外国人を時折見かけますが、ガイドブックに目をこらしている彼らのそばを通る時は、お願いだから話しかけないで~と念じてしまうヒドイ日本人です。

こんな人間ですから、留学なんて考えたこともありません。

ましてや外国人と結婚するなんて、考えただけでも身震いがします。

しかし、トニーさんのように日本語がペラペラなのであれば、オッケーです。

原作は未読です。が、ちょいちょい目にする広告で、トニーさんの外国人ならではの素朴な疑問や、日本語の不思議さに改めて気づかされるところなどが、おもしろそうだと思っていました。

偶然の出会いから、少しずつ距離を狭めて、交際することになったさおりとトニー。一緒に暮らし始めて、親に紹介する予定もできて、順風満帆だったはずの恋人同士は、親の反対にあったり、心がすれ違ったり、さまざまな紆余曲折を迎えることとなる。

言葉が通じても、文化が違えば、いろんな違和感が生まれるもの。

国籍が同じでも、それは変わりません。違う家に育てば、おみそ汁のダシひとつとっても違います。劇中、大竹しのぶ演じる母親が朝食の話をしていましたが、聞きながらウンウンとうなずいてしまいました。結婚生活において思いどおりにいかないことは少なくないものです。

さおりとトニーのすれ違いは、国籍が日本とアメリカという以前の、恋人同士なら誰でも突き当たる思いの伝え足らずによるものに見えました。言いたいことを我慢したり、相手の気持ちを汲めなかったり。気づいた時には遅かったり。

洗いものの流しが足りなかったり、洗濯ものをネットに入れなかったりするのは、男性ならよくある失敗だと思いますし。ですから、『ダーリンは外国人』というタイトルにしては、外国人であることはあまり関係なく平凡なラブストーリーで終わってしまった感があります。

しかし、プロポーズの場面は外国人ならではで少し感動さえ憶えました。ひざまずいて求婚など、日本男子にはできないでしょうね。外国人の男性がドアを引いて待つ動作や、なにげに花を持ってくるところなどは、こちらが気恥ずかしくなってしまうほどスマートですから。

評価:★★★☆☆

ウルトラミラクルラブストーリー

 

青森県出身の松山ケンイチが津軽弁まるだしで大爆発です。

松ケンが演じるのは「町の変わり者」である陽人。彼がひとめぼれしたのは保育士の町子。彼女は恋人を亡くし、東京から青森までやってきた。強引なアタックに目もくれない町子。しかしあることがきっかけで陽人に奇跡が起きる。

なんとも複雑な感情に支配される導入部です。おそらく陽人には何かしらの病名がつくのでしょう。母親も、医師も、農協の職員も、時には陽人の力になり時には突き放し、身内として一定の距離感を保っています。しかし観ている側としては、いきなり陽人のスタンドプレーを目の当りにしてすぐ彼の状況に気づくものの、どう受け止めて良いのかわからない。倫理観は彼への不快感を否定する、しかし松ケンはせいいっぱい素の陽人を演じている、それは後々変身した陽人とのギャップとして活きてくるわけですが、ここで陽人のキャラクターをなんらかのかたちで受容できなかった時点でこの作品と私との間に最初の溝ができてしまったのだと思います。

生意気な子ども、葬儀の風景などは同じく田舎を舞台にした『松ヶ根乱射事件』のようなねちっこさがあります。麻生久美子と変化後の陽人がふたりで自転車を押しながら歩く映像などは、本当のラブストーリーのような都会的美しさがあるのですが、この作品を観ていると清濁が次々と入れ替わる不思議な感覚に包まれます。

しかしどちらかというと濃いのは「濁」のほうで、なんとも胸の悪くなるような描写が多く、特にラストシーンは唾棄したくなるほどに不快でしかありませんでした。

制作した側にはもちろんなんらかの意図があり、脚本にもそれを匂わせるような言葉がたびたび出てくるのですが、それをなんともウルトラミラクルなかたちで表現するあたり、特殊な感性の持ち主なのだろうと思います。まあ、今後の作品には注目していきたいと思います。

町子の元彼である「死体」が、首なしであるにもかかわらず異様なオーラを放っていると思ったら、ARATAが演じていたのでした。ナルホド、個性派の中でも群を抜いて個性を放っていた松ケンと対峙していても、首がなくても、負けず劣らずの存在感でした。

評価:★★★☆☆

間宮兄弟

こんな生活、いいなあ。うらやましいなあ。

そう思ってしまう時点で、これは一種の理想形ファンタジーなのでしょう。

実際、兄弟ふたりで暮らしていると聞いたらどうなのか。夜な夜な横浜ベイスターズのスコアをつけて勝ったら紙ふぶきを飛ばす兄弟ってどうなのか。30超えてジャンケングリコで商店街を行く兄弟ってどうなのか。蔵書や模型やゲームで満載の家はどうなのか。お酒がだめでコーヒー牛乳が好きってどうなのか。

しかし、なぜだか心地いい。カレーパーティーに誘われたら行ってみたいと思ってしまう。海でじゃれる30男を微笑ましいと眺めてしまう。荒れて帰ったら塩むすびを出してほしいと思ってしまう。

兄弟は日々の生活に感謝するように、いとおしむように生きている。

一見満ち足りているようであって、しかし欠けているものがある。それが、恋。なんとなく誰かを好きになってみたいと思う。好きになったような気がする。それでも他者との縁はほんのちょっとした偶然とすれ違いで結ばれたり結ばれなかったり。兄弟とは言葉を尽くさずに通じても、他者とはそうもうまくいかない。模型はうまく飛ばせても、女性の扱いには手をこまねく。そんな不器用な男ふたり。ちょっとした人生のひっかき傷をなめあって、また元どおりの日々を生きていく。

なにか大きな感銘を受けるわけではありませんが、たまにはこうして心を洗われるのもいいものです。

なんとなく、洗濯ものを丁寧にたたんでみたり。散らかった部屋を片づけてみたり。本を読んでみたり。日本茶を入れてみたり。それだけでも、観た価値がありました。

それにしても、沢尻エリカはかわいかったなあ・・・。

評価:★★★☆(3.2)

候補→ヤスオー&さや両名で鑑賞した35作品より。

 

★脚本賞★

愛を読むひと

《両者一致。かなしい愛の静謐な筆致に感動しました》

 

★監督賞★

西川美和(蛇イチゴディア・ドクター

《両者一致。嘘を描かせたら輝く独自性》

 

★助演女優賞★

ヘレナ・ボナム・カーター(アリス・イン・ワンダーランド・・・赤の女王)

 《余貴美子と悩みましたが、娯楽作の中で唯一光る演技が印象的でした》

 

★助演男優賞★

ジェームズ・フランコ(ミルク・・・スコット)

《二名で六人の候補者が出ましたが、ヤスオーの勝ち》

 

★主演女優賞★

ケイト・ウィンスレット(愛を読むひと・・・ハンナ)

 《両者一致。アカデミー賞も納得の熱演でした》

 

★主演男優賞★

ショーン・ペン(ミルク)

《またも六名の候補者が出る中、アカデミー賞級の演技を評価しないわけにはいきません》

 

★作品賞★

アバター

《演技も脚本もイマイチだけれど、作品としてのスケールは最高でした》 

 

来年も、もう少し映画を観たいと思います・・・。

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ヤスオーと古都の片隅で暮らしています。プロ野球と連ドラ視聴の日々さまざま。
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