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おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行)
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自虐の詩

大阪の下町、通天閣を見上げるボロアパートの一室に同居するイサオと幸江。無職のイサオはギャンブルと酒とちゃぶ台返し、幸江はラーメン屋のバイトにあけくれる日々。ラーメン屋の店主に求愛されたり、銀行強盗の前科がある父親と再会したりするうちに、幸江は妊娠してしまう。

『嫌われ松子の一生』で壮絶な不幸女を演じた中谷美紀ですが、こちらも本来は絶世の美女であることを忘れてしまうほど、ブスで貧乏で不幸な女を演じ切っています。愛する内縁の夫にはせっかく作った料理を台なしにされお金を黙って持ち出され入籍もしてくれない。他人事ながらどこがいいの? と訊きたくなるようなダメ男に尽くす女は現実に存在しますが、幸江もそんなMっ気女のひとりなのかな・・・と最初は思っていました。

やはり私は女なので、どうしても幸江目線で見てしまいます。幼い頃から貧しく、学校ではいじめられ、さらには父親が犯罪者になってしまうというこれでもかこれでもかというくらい辛い体験をしてきた幸江。それなのにイサオのようなちゃぶ台ひっくり返すしか能のない男となぜ一緒に暮らし続けるのか。

ですが、途中でアレ、と思います。イサオは家ではちゃぶ台をひっくり返し街ではチンピラと取っ組み合いをするような乱暴者ですが、幸江には手をあげません。こういうダメ男は女房にも暴力を振るうのが典型なのですが。ストーリー展開を追うにつれその違和感の原因はすっきり判明します。ふたりの、ふたりだけにしかわからない過去。その積み重ねにある現在を、否定することは誰にもできません。幸江の愛、イサオの愛。ささいなすれ違いによる一瞬の崩壊と新しい世界の永遠の構築。ラスト近くでようやく幸江の愛を理解しイサオの愛を受け入れることができました。見事な構成と感情表現です。驚きなのは、この流れが4コマ漫画であるはずの原作を汲んでいることです。ラストを知っていると感動が半減するかもしれませんが、ぜひ泣ける漫画と評判だった原作を読んでみたいです。

男ならすぐにイサオの真の思い、不器用なやさしさに気づくようです。警察からの帰り道、幸江に軽く説教されて踵を返したイサオに、幸江は「どこ行くの? お金あるの?」と尋ねます。そのひとことが、男からすればもうダメだと(byヤスオー)。私が幸江でも同じことを言うでしょう(いや、「もう知らんわ勝手にし!」あたりでしょうが)。相手がどう思うかも考えずに。幸江からすれば親切心なのでしょうが、懐の心配が男のプライドをずたずたにするとはちょっと意外でした。男と女ではこの作品のとらえ方(途中までの)もきっと違うのでしょうね。幸江が中学時代、唯一の友達を裏切って別のグループと一緒にお弁当を食べているシーンは、妙にリアルでした。女子って、お昼休みの机の状態がそのまま人物相関図なんですよね・・・。

幸江と熊本さんのエピソードも心に響きました。殴り合って関係を深める姿はまるで男同士のようでしたが、信頼関係は休み時間の会話や一緒にお弁当を食べることではなく、男女問わず心をさらけだしてぶつかりあうことで築き上げていくものなのでしょう。同じように貧しいはずの熊本さんが作った彩りのある最後のお弁当、そしてきっと今まで一生懸命ためてきたに違いないせんべつ。互いが互いの心を推し量り涙する別れ、そして互いが互いのしあわせを祝福する再会。きっと今の彼女たちの姿を見たら、藤沢さんのほうがうらやましがるに違いありません。

阿部ちゃんのパンチからカタギ、マトリックスまでの多彩な変装ぶりは見ものです。脇を固める遠藤憲一、西田敏行、カルーセル麻紀なども良かったです。阿部ちゃんとエンケンの共演は『白い春』を思い出しました。あちらも阿部ちゃんがヤクザあがりでエンケンが店主だったな・・・。ドラマもう一度観てみたい。

幸江の故郷は気仙沼。風光明媚な港のシーンも多くあります。少し切なくなりました。

評価:★★★★☆

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男たちの大和/YAMATO

 

《大和じゃ! よう見たってくれ。

あれが東洋一の軍港で生まれた世界一の軍艦じゃ。

「お帰り」言うたってくれ。すずさん》

「誰もかれも」の「死」の数で悲劇の重さを量らねばならぬ「戦災もの」をどうもうまく理解できていない気がします、と語るこうの史代さんの作品に出てくる、戦艦大和を紹介する言葉です。

子どもの頃、「戦争」で「兵隊さん」や「子ども」や「動物」や「愛する家族」が「次々に死んでいく」お話や映画をたくさん、読まされ、観せられました。

だから「戦争で死んだ人」は「かわいそう」であり、「戦争とは憎むべきもの、二度とあってはならないもの」と思っていました。

基本的には、間違いではないと思います。

けれど、「戦争で死んだ人」にもきらめく生の日々があったこと。

彼・彼女がこの世に生を受けてからの日々の積み重ねを「かわいそう」のひとことで結論づけることはできないこと。

人の死に触れることは、その人が生きて死に至る歴史に思いを馳せること。

今生きている私がその是非を問う権利はないこと。

その真理を教えてくれたのが岩波文庫『きけ わだつみのこえ』であり今井雅之さんの舞台『THE WINDS OF GOD』でした。

この作品は、あまたの大和乗組員が戦地へ赴く意義を彼らなりに受け止め、意味ある死=意味ある生を完遂する物語です。

太平洋戦争を語るにあたり感情論は排除できません。そもそも戦争に絶対的な正義は存在しない。右から語れば右が、左から語れば左がそれぞれに主義主張を持ち大義名分を振りかざし相手を攻撃するのが常。敗戦国は正義を放棄せざるをえなくなり、勝者の論理が正義となる。

しかし否が応もなく潮流に呑みこまれていった人々を語るにあたり、世界情勢やら国家事情やらを考慮に入れる必要は必ずしもない。ひとりひとりの命の見地からすれば、戦争とは無機質で残酷なもの。片道燃料と知らされ援護もない中、真っ向から米軍機に挑んだ乗組員は、次々と血を流し肉を吹き飛ばされ死んでいく。祖国に思いを馳せることもなく、愛する人の面影も描けないままに。たった、ほんの一瞬で。

米軍機は機械的に空中を舞い弾丸の雨を降らし、それに対峙する乗組員も命ぜられるまま、学んだままに銃砲を操る。その先に人がいて、生きていて、死ぬことには思い至らない(正確には、思い至る描写がない)。人としての思考回路を遮断するのが戦争だ。自覚なきままに殺し合う、それこそが悲劇なのだと思う。

当時の世界情勢、国家事情。この作品においてはあまり語られなかったそれらについては、なぜ戦艦大和が勝ち目のない海戦に臨まなければならなかったのかを端的に説明していました。要約すると「敗戦のために、大和は沈まなければならなかった」――それが真実のところどうなのかは知りません。しかし、戦局が絶望的となった頃、傾き始めた艦長室で、ある軍人がこう言います。「もうこのあたりでよろしいかと」。その外で展開したさまざまな乗組員の「死」よりも、このひとことが心に響き背筋を冷やし言葉では説明しがたい涙を誘いました。もしかしたら、この言葉こそが作品のテーマだったのかもしれません。大和において命を散らした3000人以上の男たち。彼らの生死は「このあたりで」と線引きされた。線引きする者もまた、別の場所から線引きされていた。地の上に立つ人の「死んだらいけん」という言葉が薄っぺらくなってしまうほど、絶望も抑揚もないその台詞には「人の生死を操る」戦争の持つ真のおそろしさをしらしめるインパクトがありました。

かの戦争を知る人たちはまだ大勢いる。しかし語り部たちが勇気を賭して語る体験談を「つまんない」と堂々と言う子どもがいてそれを容認する大人が存在することも事実。戦争を知らない人間が戦争を知るにはどういう手段が有効なのかといえば、やはり映像しかないのかもしれない。

小学生の頃体育館で観たタイトルも憶えていない戦争映画。話がよくわからなくて半分眠かったことしか印象にありません。今でもそういう戦争学習が行われているのかどうかは知りませんが、このような有名な俳優がたくさん出ていて迫力があってスピーディな展開の戦争映画なら、子どもたちの心をつかみやすいかもしれません。もっとも、そこから何をどう学ばせるかは大人たちの手にゆだねられることになるのですが。少なくとも私が学んだように「たくさん人が死んだ、かわいそう」だけで終わってはいけないとも思うのです。

評価:★★★☆(3.6)

バッテリー

 

原作は、野球少年という設定と評判の良さに惹かれて読みました

でも、想像していたものとはまったく違っていました。

読書は、喜怒哀楽を得て心を豊かに満たすもの。なのにこの本は、とにかく痛かった。読み進めるのが辛かった。具体的な理由はわかりません。二度三度と読めば、その答えを手に入れることができたのかもしれませんが、痛みに耐えられず一度読んだだけで売ってしまいました。あさのあつこ作品は他にもいくつか読みましたが、とにかくすべてが痛かったです。稀有な作家だと思いました。

ですが、この映画はその「痛み」をうまく緩和しつつ原作の流れを壊さず、仲間と家族の関係性を中心にまとめた、さわやかな仕上がりになっていました。

全体的に野球のシーンは迫力がありました。巧役の林遣都や豪役の山田健太はおそらく野球経験者なのでしょう。原作のイメージそのままでした。映画の展開上門脇と瑞垣の存在感がなかったのは仕方ありませんが、それにしてももう少し中学生らしい役者さんをだね・・・(そういえばまた林遣都のライバルは渡辺大だったのか@風が強く吹いている)。

岡山は住みやすい街と聞いたことがあります。豊かな自然と街並みの背景が美しく、そこにすっかりなじんでいる菅原文太の演技が作品をよりいっそう引き締めていました。

ラストの母親の行動が不自然でしたが、まあ、そこをのぞけば全体的にさわやかな青春のひとときを味わうことができて、良かったと思います。原作に思い入れがあれば、残念と感じたかもしれませんが。

評価:★★★☆(3.2)

さや侍

映画館に足を運ぶことは多くありませんが、その数少ない経験の中で、イビキをかいて寝る観客がいたのは『大日本人』『しんぼる』と、そしてこの『さや侍』でした。つまり松本人志監督作品だけってことですが。

ま、アクションでハラハラさせることもなく、息詰まる展開になることもないから仕方ないのかもしれません。

監督が、「笑い」にひどくこだわりを持っていて、自分なりの矜持を大切にしていることは非常に伝わってきます。今回も、脱藩した罪により「三十日の業」を背負うことになった情けないダメ男の物語。業の内容とは、母君の死後笑わなくなってしまった若君に笑顔を取り戻させること。男は娘や牢番たちと知恵を絞り、アノ手コノ手で笑いを生みだそうとする。

前二作に較べれば、ストーリー展開は非常に平坦でテーマも最初から一貫しており、とっつきやすかったと思います。「笑い」も、素人の薄汚いオッサンが必死で笑いを取ろうとする滑稽な姿で笑わせようとしているところなんでしょうね。ひねくれない素直な手法だと思います。まったくおもしろくなかったですが。個人的に、最近テレビでもよく見かけるちょっとおもしろい素人を芸人がイジって笑わせるパターンは大嫌いなので。

裏話によると、監督は主演であるこの素人のおっさんに映画を撮影することは告げず、共演者にも協力してもらって「本当に誰も笑わない」状況を作り上げたのだとか。お仲間の好きそうで盛り上がりそうなシチュエイションですね。

まあそれは別にいいのですが、監督が描きたかったのは「笑い」ではなく「親子愛」なのだと思います。問題は、勘十郎とたえの間に親子愛を感じるシーンがラスト以外にまったくなかったことです。

勘十郎は台詞がほとんどなく、たえの言動や行動だけで、ふたりの関係性が進展していきます。しかしほとんどない台詞の中のその貴重な場面において、素人臭が爆発し、それまでたえがひとりで頑張って作り上げてきたこれまでの絆が一挙に崩壊してしまいました。おかげでようやくテーマを終結させて感動を呼ぶはずのラストシーンが非常にとってつけた感になってしまったように思います。ここはよけいなことはせず、監督が演技指導をしなかった(できなかった?)というあのまったく存在感のなかった國村隼か伊武雅人を父親役にすれば、もっと重厚な作品になったのではないかと思います。

個々のシーンもぶつぎりで因果関係も成立しない、描きたいシーンがそれぞれあってそこにどうにかしてつなげていくだけの、おもしろくないドラマの典型のような作品でした。

唯一笑えたのは、

「字幕監修 チャド・マレーン」

でした。

あと、歌も良かったです。歌う場面ではなく、歌のみ。

評価:★★☆☆☆

 

~ヤスオーのシネマ坊主<第2部>~ 

さや侍をさや氏と公開初日に見に行きました。

田舎の映画館ということもありますが、席ははっきりいってガラガラでした。全部で20人ぐらいでした。僕が見た回の「さや侍」の終了時刻が、同じ映画館でやっていた「X-MEN」の開始時刻とほぼ同じだったのですが、明らかに「X-MEN」の方が客が入っていました。「パイレーツ・オブ・カリビアン」や「星守る犬」にも間違いなく負けるでしょうから、とりあえず興行収入1位にはならなさそうですね。まあ、そんなことはどうでもいいんですけど。

客観的に見て普通に楽しめる映画だと思います。僕は1作目の「大日本人」が一番「人と違うものを作ってやる!」という野心が感じられて好きなのですが、今回の映画はあまり感じられません。本当に普通の映画なので、たぶん誰が見てもそれなりに楽しめると思います。普通の映画だからこそ、ストーリー展開や心理描写の粗さが目立ちますが、他の映画でもこのへんが完璧だと思う映画なんてそうそうないので別にいいのではないかと。

ただ、僕は本当に松本人志は誰も作れないような映画を作れると信じていて、今まで3作品ともすべて公開初日に映画館に観に行っているので、ちょっと今回の映画は残念でしたね。唯一オリジナリティが感じられる30日の業のところが一番間延びして面白くなかったところですしね。無理難題を押し付けられ30日後に切腹させられる男が生み出す笑い。「面白いけど、どこか悲しい」みたいなものを表現したかったのでしょうが、当たり前ですが死が迫っている人間の生み出す笑いなんて普通は楽しめるはずがないですし、そもそもこの映画は死が迫っているという緊迫感は全然伝えることが出来ていませんでした。まあ薄汚いオッサンが一生懸命頑張っているところに多少の物悲しさは感じますが、ここでいう悲しさは笑いとは両立しないものです。「ライフ・イズ・ビューティフル」は松本が自著でも言っているように上手に「おかしみ」を表現してるなあと思いますが、まあ、なかなか表現するのが難しいものだと思いますので、あまりこれにこだわる必要はないんじゃないかなあと思います。

素人を主役に抜擢したというところも、彼なりのオリジナリティですね。どうも彼は「大日本人」からもわかるのですが素人のリアルさを追い求めています。まあその気持ちもわからいでもないのですが、素人(下手な役者も含む)の演技というのは、怒れと言われれば怒るだけですし、笑えと言われれば笑うだけです。ストーリーの流れに沿って喜怒哀楽を表現しているだけですので、それはもはや登場人物ではありません。背景の木やビルと同じです。演技の上手い俳優はストーリー上「何もしない」ところでも、その状態でその登場人物が何を思い何を感じているかというのを表現しています。これがないと少なくとも僕はその登場人物への感情移入が出来ないです。今回のさや侍もここがないから、最後の感動がなかった。主役の野見さんが「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」の主演の人ぐらいの演技力があれば、僕はたぶんラストは泣いていたと思いますよ。

けなしてばっかりですけど。もちろん良いところもあります。僕が好きではない「しんぼる」を除いて、「大日本人」と「さや侍」だけで言うと、どうも松本には観客を裏切ってやろうという気持ちがあります。その裏切ってやろうという気持ちが単純なハッピーエンドにならない原因なのですが、そこからは彼の「シャイな性格」が伝わってきて、どこか温かい気持ちになります。僕もシャイなのですごくよくわかります。たぶん僕も仮に映画監督になっても絶対に王道ストーリーの映画は気恥ずかしくて作れないですから。映画の技術とかそういったものとはまったく関係ないですが、この人の映画が多少出来が悪かろうがやっぱり公開初日に観てしまうのは、これが一番大きい理由じゃないかと思います。

「さや侍」だけで言うと、主人公の野見の最後のプライドが、この映画をハッピーエンドにしない原因なのですが、このプライドというのははっきり言ってまったく理解できません。しかしこの本人にしか理解できないプライドというのが、実は誰もが持っていて、その人自身ともいうべき大事なものなんじゃないかなあと思います。僕も色々人生に疲れ、プライドもどんどんなくなっていますが、やっぱり野見と同じくさやは持っているんじゃないかなあと思います。

豪華寝台特急〈トワイライトエクスプレス〉に乗り合わせた詐欺師グループ5人組。3年前のとある事件以後落ちぶれた元カリスマ・志方、美人詐欺師・宝田、元アル中の佐々木、ちょっと頼りない久津内、宝田の相棒でお調子者の横山。京都で3年前の事件にかかわった巨乳小悪魔・今井を交え、ひと仕事するため札幌へ向かう。にせ羽毛布団の販売は大成功をおさめ、無事大金を手にした帰り道。車内で札束を詰めたトランクが消えたことから、犯人探しが始まる。

舞台は車内のみ、『キサラギ』のような密室劇です。

主人公が詐欺師グループなことから、騙し騙されの手に汗握る展開かと思いきや、一貫して素直な物語仕立てでした。計画を立てる密談シーンはあるものの札幌での詐欺行為場面はカットされ、詐欺師の集まりのくせに義理堅く儀式を強要する宝田や到底詐欺師には見えない善人風の久津内など、詐欺師というイメージを逆手に取った演出が効いています。

アッサリ風味に期待はずれ感はなく、個性豊かなキャスティングと彼らの卓越した演技力ですべて相殺。くわえて、一度は体験してみたいトワイライトエクスプレスの雰囲気を味わうことができて満足です。

『永遠の仔』を思い出す中谷美紀&椎名桔平の共演。やはり美しいですね~。妻夫木聡の情けない表情も光っていました。役によって出来不出来が激しいのは何なのでしょうか。二枚目も三枚目も演じることができる稀有なイケメン田辺誠一もハマっていたし、いささかうっとうしい自信過剰なKY男を演じさせたら八嶋智人の右に出る者はいませんね。3年前と今回、両方の事件の鍵を握るミルキーちゃんの伴杏里、この下手っぷりが地なのか演技なのかはわかりませんが、名だたる出演者に囲まれて技量不足感が否めませんでした。ただあえて無名の役者を持ってきた意図はなんとなくわかる気はします。

まあ、それにしても椎名桔平はかっこいいのよ。たとえ「おなら」と口にしても~。

評価:★★★☆(3.2)

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ヤスオーと古都の片隅で暮らしています。プロ野球と連ドラ視聴の日々さまざま。
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