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おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行)
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さや侍

映画館に足を運ぶことは多くありませんが、その数少ない経験の中で、イビキをかいて寝る観客がいたのは『大日本人』『しんぼる』と、そしてこの『さや侍』でした。つまり松本人志監督作品だけってことですが。

ま、アクションでハラハラさせることもなく、息詰まる展開になることもないから仕方ないのかもしれません。

監督が、「笑い」にひどくこだわりを持っていて、自分なりの矜持を大切にしていることは非常に伝わってきます。今回も、脱藩した罪により「三十日の業」を背負うことになった情けないダメ男の物語。業の内容とは、母君の死後笑わなくなってしまった若君に笑顔を取り戻させること。男は娘や牢番たちと知恵を絞り、アノ手コノ手で笑いを生みだそうとする。

前二作に較べれば、ストーリー展開は非常に平坦でテーマも最初から一貫しており、とっつきやすかったと思います。「笑い」も、素人の薄汚いオッサンが必死で笑いを取ろうとする滑稽な姿で笑わせようとしているところなんでしょうね。ひねくれない素直な手法だと思います。まったくおもしろくなかったですが。個人的に、最近テレビでもよく見かけるちょっとおもしろい素人を芸人がイジって笑わせるパターンは大嫌いなので。

裏話によると、監督は主演であるこの素人のおっさんに映画を撮影することは告げず、共演者にも協力してもらって「本当に誰も笑わない」状況を作り上げたのだとか。お仲間の好きそうで盛り上がりそうなシチュエイションですね。

まあそれは別にいいのですが、監督が描きたかったのは「笑い」ではなく「親子愛」なのだと思います。問題は、勘十郎とたえの間に親子愛を感じるシーンがラスト以外にまったくなかったことです。

勘十郎は台詞がほとんどなく、たえの言動や行動だけで、ふたりの関係性が進展していきます。しかしほとんどない台詞の中のその貴重な場面において、素人臭が爆発し、それまでたえがひとりで頑張って作り上げてきたこれまでの絆が一挙に崩壊してしまいました。おかげでようやくテーマを終結させて感動を呼ぶはずのラストシーンが非常にとってつけた感になってしまったように思います。ここはよけいなことはせず、監督が演技指導をしなかった(できなかった?)というあのまったく存在感のなかった國村隼か伊武雅人を父親役にすれば、もっと重厚な作品になったのではないかと思います。

個々のシーンもぶつぎりで因果関係も成立しない、描きたいシーンがそれぞれあってそこにどうにかしてつなげていくだけの、おもしろくないドラマの典型のような作品でした。

唯一笑えたのは、

「字幕監修 チャド・マレーン」

でした。

あと、歌も良かったです。歌う場面ではなく、歌のみ。

評価:★★☆☆☆

 

~ヤスオーのシネマ坊主<第2部>~ 

さや侍をさや氏と公開初日に見に行きました。

田舎の映画館ということもありますが、席ははっきりいってガラガラでした。全部で20人ぐらいでした。僕が見た回の「さや侍」の終了時刻が、同じ映画館でやっていた「X-MEN」の開始時刻とほぼ同じだったのですが、明らかに「X-MEN」の方が客が入っていました。「パイレーツ・オブ・カリビアン」や「星守る犬」にも間違いなく負けるでしょうから、とりあえず興行収入1位にはならなさそうですね。まあ、そんなことはどうでもいいんですけど。

客観的に見て普通に楽しめる映画だと思います。僕は1作目の「大日本人」が一番「人と違うものを作ってやる!」という野心が感じられて好きなのですが、今回の映画はあまり感じられません。本当に普通の映画なので、たぶん誰が見てもそれなりに楽しめると思います。普通の映画だからこそ、ストーリー展開や心理描写の粗さが目立ちますが、他の映画でもこのへんが完璧だと思う映画なんてそうそうないので別にいいのではないかと。

ただ、僕は本当に松本人志は誰も作れないような映画を作れると信じていて、今まで3作品ともすべて公開初日に映画館に観に行っているので、ちょっと今回の映画は残念でしたね。唯一オリジナリティが感じられる30日の業のところが一番間延びして面白くなかったところですしね。無理難題を押し付けられ30日後に切腹させられる男が生み出す笑い。「面白いけど、どこか悲しい」みたいなものを表現したかったのでしょうが、当たり前ですが死が迫っている人間の生み出す笑いなんて普通は楽しめるはずがないですし、そもそもこの映画は死が迫っているという緊迫感は全然伝えることが出来ていませんでした。まあ薄汚いオッサンが一生懸命頑張っているところに多少の物悲しさは感じますが、ここでいう悲しさは笑いとは両立しないものです。「ライフ・イズ・ビューティフル」は松本が自著でも言っているように上手に「おかしみ」を表現してるなあと思いますが、まあ、なかなか表現するのが難しいものだと思いますので、あまりこれにこだわる必要はないんじゃないかなあと思います。

素人を主役に抜擢したというところも、彼なりのオリジナリティですね。どうも彼は「大日本人」からもわかるのですが素人のリアルさを追い求めています。まあその気持ちもわからいでもないのですが、素人(下手な役者も含む)の演技というのは、怒れと言われれば怒るだけですし、笑えと言われれば笑うだけです。ストーリーの流れに沿って喜怒哀楽を表現しているだけですので、それはもはや登場人物ではありません。背景の木やビルと同じです。演技の上手い俳優はストーリー上「何もしない」ところでも、その状態でその登場人物が何を思い何を感じているかというのを表現しています。これがないと少なくとも僕はその登場人物への感情移入が出来ないです。今回のさや侍もここがないから、最後の感動がなかった。主役の野見さんが「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」の主演の人ぐらいの演技力があれば、僕はたぶんラストは泣いていたと思いますよ。

けなしてばっかりですけど。もちろん良いところもあります。僕が好きではない「しんぼる」を除いて、「大日本人」と「さや侍」だけで言うと、どうも松本には観客を裏切ってやろうという気持ちがあります。その裏切ってやろうという気持ちが単純なハッピーエンドにならない原因なのですが、そこからは彼の「シャイな性格」が伝わってきて、どこか温かい気持ちになります。僕もシャイなのですごくよくわかります。たぶん僕も仮に映画監督になっても絶対に王道ストーリーの映画は気恥ずかしくて作れないですから。映画の技術とかそういったものとはまったく関係ないですが、この人の映画が多少出来が悪かろうがやっぱり公開初日に観てしまうのは、これが一番大きい理由じゃないかと思います。

「さや侍」だけで言うと、主人公の野見の最後のプライドが、この映画をハッピーエンドにしない原因なのですが、このプライドというのははっきり言ってまったく理解できません。しかしこの本人にしか理解できないプライドというのが、実は誰もが持っていて、その人自身ともいうべき大事なものなんじゃないかなあと思います。僕も色々人生に疲れ、プライドもどんどんなくなっていますが、やっぱり野見と同じくさやは持っているんじゃないかなあと思います。

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ヤスオーと古都の片隅で暮らしています。プロ野球と連ドラ視聴の日々さまざま。
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