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~ヤスオーのシネマ坊主<第2部>~
この映画は結論から言うととても良かったのですが、その一番大きな理由は僕がこの映画をどんな映画かをよく分かっていなかったことです。僕は映画を観る前にできるだけ前知識を入れないようにしているのですが、それが今回は非常に良い方に出ました。僕は初めの30分見て、「この映画は苦渋の選択をしてしまった主人公が、家族にサポートされながらだんだんとその時のショックから立ち直っていく様子を描いた人間ドラマだな。ああこんな映画借りなきゃよかった。」と思ったのですが、実は「ユージュアル・サスペクツ」のようなサスペンス映画でした。ラストまで人間ドラマと信じて疑わずに見ていた僕も相当なバカだと思いますが、バカだったからこそラストで大きな衝撃を受けました。
ラストを見るまでまったく気づきませんでしたが、振り返ってみると、この映画はかなりの数の伏線が丁寧に張り巡らされています。絵や詩や教授の言葉なんかは言わずもがなだし、エヴァン・レイチェル・ウッドが水着姿でプールに入るシーンが多いのは、重苦しい人間ドラマを真剣に観ている観客へのサービスだなと思っていた自分が情けないです。ラストまでのすべての要素が伏線になっていると言っても過言ではないぐらいヒントは多いです。悲しすぎるラストですが、ここまでヒントが多いとこの映画の解釈は一つしかありません。最近は有名どころでは「ゆれる」のように解釈を観客に任せる映画が多いですが、僕は、この映画のようにラストの解釈は一つで、そこに行きつくまでの伏線がきっちりとしていて、ラストでちゃんと納得できる映画が好きですね。そして、今回のように、ラストまで自分が気付かないでいることが一番の理想です。まあこの映画の場合は、ほとんどの人は途中で気付いてしまって、そこから悲しい気持ちで観ていると思いますが。
そして、表題にもあるこの映画の核ともいえる「選択」は、普通に考えたらありえないものなのに、それもありかなと思わせてしまうところも、この映画のすごさだなと思いました。僕は完全に結末を読み間違えていたし、一般的な不良少女にありがちな日常生活を淡々と描いているだけなのですが、主人公の心の動きを追っていくと、むしろその選択をしないとおかしいような気もします。ちなみに主人公の親友も選択を迫られるのですが、こちらもキャラ設定がきちんとされているので、選択に違和感はありませんでした。サスペンスとして見ても、人間ドラマとして見ても、ストーリーが破たんしていない、非常に完成度の高い映画だと思います。
完成度が高いのは誰もが認めると思うので、あとは好き嫌いの問題ですね。たぶんマジメで頭が堅い人はこの映画はダメだと思います。こんな「自分が死ぬか、親友を殺すか」みたいな重苦しそうなテーマの映画に、こんな大オチをつけられたら、ムカつく人もいると思いますね。そういう人は僕が初めに想像していた、過去の大きなショックから段々と立ち直っていく女性を描いた人間ドラマが好きなんじゃないかなと思います。僕はそんな直球映画は好きじゃないので、これでいいんですけど。点数は★7ですね。ユマ・サーマンも、エヴァン・レイチェル・ウッドも、子役もみんな演技が上手でしたし、ダメなところはまったくない映画なのですが、他の映画にはない突出した何かはなかったですね。
評価(★×10で満点):★★★★★★★
助演女優賞候補…エヴァン・レイチェル・ウッド
雪原に横たわる、真っ赤な女。
美しい色のコントラストが、タイトルから想起されるおどろおどろしさとは対照的。
この風景のように叙情的な展開が待っているのだろう。
が。
そんな期待はあっという間に粉砕される。
直後、目を疑うようなことが起きるのだ。
あっけに取られている間に、話は進む。・・・
長野の田舎町の交番で働く光太郎。妾宅に居付いている父親を除く家族構成は、母親と、認知症の祖父と、ダメ男の双子の兄・光と、父親の捨てた牧場を営む姉夫婦。
そこに突然やってきたならず者のカップル。自分の蒔いた種で彼らとかかわりを持ってしまった光。行き場のない思いを抱える兄のことはつゆ知らず、光太郎は日々同じ生活を続ける。職場のネズミ退治に躍起になったり、彼女との結婚話が進展したり。
これといった色彩のない、田舎町。その路地を、光太郎は自転車で回り続ける。なにもかもが平凡で、静かで、筒抜けだ。光がカップルを祖父の古い家に住まわせていることも。父親が愛人のちょっと足りない娘を妊娠させたことも。売春をさせられているその娘を町の誰が買っているかということも。
異端に見えるものすべてがこの町では、普通。
普通に、まじめに生きてきたはずの光太郎、だが、彼が普通であろうとすればするほど、生まれてこのかた生きてきたこの町になじんでしまった部分が小さな綻びをもたらし、やがてそれが大きな矛盾と化していく。己の矛盾に気づいた彼は、精神を蝕まれていく。
そして「事件」は起きる。
その「事件」すら、一瞬の色彩を放ってすぐかき消える。この町では、それが「普通」。
背筋がうすら寒くなるような展開、しかしあくまで感情を交えずシュールに描ききったこの監督は、『ばかのハコ船』という作品も作っていますが、どうやらこういう独特の世界観を持った方のようです。好きか嫌いか、ひとそれぞれだとは思いますが、私はどうやら後者のようですね。
とりあえず、キム兄が主要人物のひとりと知っていたら観なかったと思います。
ですが、三浦友和のダメ父は必見です。
評価:★★★☆☆
~ヤスオーのシネマ坊主<第2部>~
僕はこの監督の「ばかのハコ船」という作品を昔観たのですが、自分なりの表現手法を持っていることはわかるものの、映画全体に漂うもっちゃりした雰囲気や登場人物の会話の聞きとりずらさがいらちの僕には合わなくて、もうこの人の作品は自分には合わないから観ないでおこうと決めていました。今回あまりにも暇だったのでついまたこの人の映画を観てしまったのですが、もっちゃりした雰囲気やボソボソ会話は変わっていないものの、さすが「リンダリンダリンダ」という商業ベースにのっている作品を撮った後だけあって、観客側のことも少しは意識するようになったのか、ストーリーの面白さや展開の起伏は「ばかのハコ船」よりは圧倒的にマシで、集中力を切らさず最後まで観れました。「ばかのハコ船」は出来うんぬん以前に眠くて仕方がなかったですから。
ただ、この人は小市民のダメぶりを描くのが非常に上手なんですが、今回は世間の自分への評価がある程度高くなっているのを知ってしまったのか、「ばかのハコ船」と比べたらちょっと監督の狙いが鼻につきますね。ここまでねちねちと人間のどうしようもない部分を表現しなくてもいいと思うんですけどね。オープニングの、倒れている女をガキが発見し、女の身体を胸、下半身と順序よくまさぐるところと、三浦友和が自分が孕ました(と思われる)うすのろの女のお腹にミカンをポコポコぶつけるシーンは僕は大好きなのですが、この二つで十分です。ちょっと他にもこういうシーンが多すぎて食傷気味になりましたね。
田舎独特の閉塞感の描き方に関しては素晴らしかったです。僕は出張が多い仕事なんでこの映画のような中途半端な田舎町によく行くのですが、家の中も、庭先も、商店街も、喫茶店も、住民の様子も、本当にこの映画のとおりです。何ともいえないしんどい雰囲気が町全体に漂っています。田舎の生活を爽やかに描いた映画の方が多いですが、あれは全部ウソです。僕は出張に行くといつも軽い鬱状態になって帰って来ますから。しんどいからといってこの映画のような喫茶店に入っても、よけい身体がだるくなってエネルギーを吸い取られるので、いったん都心に戻ってからチェーン店の喫茶店に入るようにしています。僕は絶対に田舎には住みたくないと考えている人間なんですが、この映画は僕の考えが間違っていないことを証明してくれています。
ただ、秀逸なタイトルで「誰が、いつ、どういう状況で拳銃を乱射するのか」と煽っているのですから、最後まで誰も乱射してほしくなかったですね。この映画は最後何かがどえらい起こるかもしれないとこっちの興味を引いてるのに、あのラストだったら、怒る人もいるでしょう。それならいっそのこと含みだけもたせて何もない方がいいような気もします。数人キレて拳銃を乱射しそうな登場人物はいますが、前半の光太郎のまったりした一見順風満帆な生活ぶりと、偶発的なトラブルにより追い込まれた兄の光の生活ぶりから、だいたいその後のストーリー展開とラストで乱射する人間も読めますしね。
評価(★×10で満点):★★★★
助演男優賞候補…三浦友和
東野圭吾の原作に関しては、以前に感想を書いたので省略します。
かつて、ドラマ『ガリレオ』の主役が福山雅治と知った瞬間、「なんじゃそりゃあー!!!」と叫んだ私。
だって、湯川は絶対に絶対に絶対に、福山ではないでしょうがーーーーーあ!!!
作者でさえ、「佐野史郎」って言ってるんですよ。あんなイケメンの上に頭も良かったら、どんな変人でもかまいやしませんよ!(←?)
というわけで未見でした。
さて今回、初めての湯川=福山。やっぱり、かっこいいですね。でもって湯川ではないですね。しかし、さすがの画面映えですね。かっこよけりゃいいんでしょうね。
この原作で唯一私が感動したのはアリバイのトリックだったのですが、それを知っていただけに、また、キャラメルの舞台がお芝居として良かっただけに、どうしても見劣りがしてしまいます。
ただ、石神を演じた堤真一はさすがの演技力でした。キャラメルの西川さんの石神も見事でしたが、他の演者が演者だけに、突出していましたね。松雪泰子もよかったです。いい女優さんになったなあと思います。
・・・まあ、それだけの映画だと思います。
評価:★★★☆☆
~ヤスオーのシネマ坊主<第2部>~
タイトルどおり、石神という冴えない数学教師が、アパートの隣の部屋に住む花岡靖子という子持ちのシングルマザーに「献身」する話です。本当にこれでもかというぐらい「献身」していて、どれぐらい「献身」していたかが分かった時はかなりびっくりしました。冴えない男が美女に尽くすというのは世の中よくある話なんですが、それはいつかセックスをさせてくれるかもという微かな希望を持っているからであり、この石神のような純粋な献身はなかなかないですからね。小説だからといえばそれまでですが、この理解を超えた献身ぶりには冷めた僕でも圧倒され、ちょっと感動してしまいます。
石神を演じた堤真一は演技が上手ですね。僕は「ALWAYS 三丁目の夕日」でも彼の演技を絶賛しましたが、間違いなく彼は芝居が上手です。この映画を石神の生きざまを見る映画ですから、この役をしょうもない役者がやったら台無しです。福山雅治や柴咲コウの役は誰がやってもいいんですけどね。陳腐なキャラ設定の柴咲コウの役なんていらないぐらいですし。まあ、堤真一はカッコ良すぎるので、なぜ花岡靖子がこんな顔も頭も良くて安定感のある職業の男に惚れないでダンカンに惚れるのかという疑問が残るのですが、この難易度が高くて重要な役を演じれる40ぐらいの役者が日本にどれだけいるのかと考えると(さや氏によると原作の石神は丸っちょい奴らしいのでドランクドラゴンの塚地ぐらいか…)、ある意味仕方がないのかもしれませんね。
ただ、これは映画ではなく原作の問題だと思いますが、「石神が花岡靖子にそこまで献身するのはなぜか」というところの描写が弱すぎました。東野圭吾の小説は僕もよく読んでいるんですが、いかんせんこの人は人の心の陽の部分を描くのが下手ですからね。赤川次郎より下手だと思いますよ。トリックはよかったので、推理物としてはいい原作だと思うんですけどね。人間ドラマの原作者には向いていない作家だと思います。
まあ、この映画の製作者側は原作者なんて比較にならないぐらいダメですけどね。良いところといえば、それなりに原作に忠実に描いていたところだけです。柴咲コウの役はスポンサーとか事務所の絡みで仕方ないとしても、ラストの福山と柴咲コウがベンチに座ってたら雪が降ってくるシーンなんか火曜サスペンス劇場の終わり方と同レベルですし、エンドロールの時の死体が見つかるシーンなんかは絶対に入れないでほしかった。結局石神のミスは花岡靖子が自首したことだけだったというのが、最後の石神の激しく悲しむシーンに繋がっていて、こちらの石神の生きざまへの感動も頂点に達するのに、こんなシーン入れられたらその感動の余韻はまったくなくなり、彼がただの安っぽい犯罪者に成り下がってしまいます。僕はこの映画に★7付けていますが、これは堤真一と東野圭吾が稼いだ点数で、監督とか製作陣の点数はまったくないです。
評価(★×10で満点):★★★★★★★
助演男優賞候補…堤真一
ノミネートする暇もなくいきなり発表。今年はファミコンに没頭し映画をあまり観てこなかったヤスオーが審査を辞退。よってさやの独壇場と化し、去年にはなかった賞まで作る始末。
★長編アニメ賞★
《アニメ技術もさることながら、少ない台詞で愛を感じさせる脚本は見事でした》
★作曲賞★
久石譲(おくりびと)
《あのチェロの美しいメロディーが作品世界をより美しく彩っていました》
★脚本賞★
《夢の世界で鮮やかに展開された感情表現に感服しました》
★監督賞★
ジョン・ウー(レッド・クリフPartⅠ/レッド・クリフPartⅡ-未来への最終決戦-)
《私財を投げ打ってまでスケールにこだわった気合いに脱帽しました》
★助演女優賞★
ミシェル・モナハン(ゴーン・ベイビー・ゴーン)
《静かな内の情熱とひたむきさに魅了されました》
★助演男優賞★
ヒース・レジャー(ダークナイト)
《文句なし。狂気の語る正義に虜にされました》
★主演女優賞★
ハル・ベリー(悲しみが乾くまで)
《喪失と再生をあまねく体現した演技に涙を禁じえませんでした》
★主演男優賞★
渡辺謙(沈まぬ太陽)
《心の底から指先にいたるまで恩地になりきった役者魂に感動しました》
★作品賞★
沈まぬ太陽
《あの重厚な作品を映画として公開させたスタッフのすべての方に敬意を表します》
来年は、もう少し映画を観たいと思います・・・。
にしおかすみこがネタでやる前から、もちろん、犬神家のあの湖から突き出た二本足のことは知っていました。
映画を観たわけでもなく、原作を読んだわけでもなく、ましてやテレビドラマも観たことがないのに、なんで知っていたのだろう・・・。
が、日本人ならいつの間にか脳裏に刻み込まれている、日本ならではの映像というものがあるのです。犬神家もたぶん、そういうDNAを刺激する何かを持っているのでしょう。
うす汚い金田一と、わかってないのに「よーしわかった!」をくり返す等々力署長。はじめて観るのに、なんだか懐かしい感じがするのは、東野圭吾『名探偵の掟』の天下一大五郎と大河原番三のようだからでしょうか。ま、あの作品は、横溝正史をはじめとする本格派へのオマージュなわけですが。
舞台は昭和24年。那須の湖畔、犬神家の大きな屋敷で、権力を誇ったあるじが亡くなる場面から始まります。21世紀に撮影されたとは思えない、戦後間もない田舎の自然美が丁寧に再現されています。
残された莫大な遺産をめぐって次々に起きる猟奇殺人、容疑のかかる美女、謎の覆面・・・。
朱墨そのものの血も、いかにもツクリモノ的な死体も、大映がかった台詞まわしも、トリックや動機すらどうでもよくなる、この昭和的雰囲気に酔いしれます。
「どんな優れたリメイクでもオリジナルは超えられない」という定説は、おそらくこの映画にもあてはまるのでしょう。幼少期、オリジナルを観たツレは怖くて寝られなくなったそうですが、だからこそこのリメイクは「知っている俳優が出ている時点で不気味さがなくなるからアウト」らしいです。
しかし幸いなことに、私はオリジナルを知らない。だから充分に楽しめました。
オリジナルに続いて金田一を演じた石坂浩二。金田一はこの人しかいないと監督は主張していたそうですが、いっぱい走らされて体力的にきつかったのではないでしょうか。が、フケをまきちらすような小汚いオッサンはリアルでいやだなあ。
松嶋菜々子は、大柄すぎてあまり薄倖には見えませんでしたが、昭和の服装が古くさく見えないのは、やはり本当に整った美しさというのは時代を超えるのだと思います。いいキャスティングだったのではないでしょうか。
難しい役柄の佐清に、尾上菊之助はぴったりでしたね。歌舞伎役者らしい顔立ちが、いかにも昭和の映画という雰囲気を壊さないでくれました。母親役の富司純子とは本当に親子なのだそうですが、それを知っていたら、最後の場面はもっと泣けたかもしれません。
事件とは無関係の位置にいて金田一をなごませる女中役の深田恭子は、あの棒読みが逆に適任でしょう。他にも昭和的な顔立ちの俳優女優(ほめてます)ばかりで、観ている側としては現代に引き戻されずにすみました。
夜寝られないほどには怖くなかったけれど、確かにあれを知らないキャスティングで何の前知識もなく見せられたら、どうなっていたでしょう・・・。
評価:★★★☆☆