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おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行)
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連続ドラマ『鹿男あをによし』は地味ながら秀作でした。

奈良という、悠久の歴史がありながらこれ以上ない地味な観光地を舞台に、鹿という、数々の名跡を持ちながらこれしか見せどころがないモチーフを使って、地味ながら味わいのある、まさに奈良らしいドラマをキャストとスタッフが作ってくれました。

地味な視聴率なりに反響があったらしく、数年を経た現在でも鹿男ネタは奈良の見せ球になっています。

その原作の作者が、京都を舞台に描いたのが『鴨川ホルモー』。

私も京都の大学に在籍していましたが、葵祭も祇園祭も参加したことはありません。

もちろん、ホルモーに誘われたこともありません。

どうやら長い歴史があるらしい「青龍会」。主人公・安倍は下心からそのあやしげなサークルに入会します。鬱屈していた学生生活に突然の光明、徐々に明かされていく部の秘密、三角関係、片想い。若者特有のエッセンスをぎゅっと凝縮し、それにファンタジーとコメディの要素を加えた、青春映画です。

私の大学にも「大学と言えば京都」という理由だけで入学してきた人がいましたが、京都の大学は、東京とは違って、ちょっと昭和的アカデミックなイメージがあると思います。この作品にも汚すぎる学生寮や、冷房のない教室、昔ながらの喫茶店、行きつけの居酒屋など、なんだか懐かしくなるような映像がいくつも出てきます。

本当に懐かしい映像もたくさんありました。

「ゲロンチョリー!」などの意味不明な振付も、出演者が迫力ある演技をしてくれるので、思わずやってしまいそうになります。

と、いうわけで、なかなか楽しめる映画でした。

ところで、京大は私にとって未知の領域ですが、何人かの学生とお話する機会はありました。安倍みたいな人もいれば高村みたいな人も楠木みたいな人も芦谷みたいな人も菅原みたいな人もいました。「うーーーん・・・さすが、京大・・・」と思ったものです。もちろん、変人が多いことで有名なウチの大学にもそれなりの人物は存在したとは思いますが。

評価:★★★☆☆ 

 

~ヤスオーのシネマ坊主<第2部>~

 前々回に観たネガティブ何とかという映画の感想の出だしで、「青春映画は多少無理をしてでもそのノリに合わせないと楽しめません。僕ももういいオッサンで、社会に出て色々イヤな目にも遭い若者の心なんか完全に失っているので、こういう映画はダメだろうなあと思っていましたが、そんなに映画の出来が良くないのも相まって本当にダメでしたね。」と書きましたが、この映画もまったく同じ感想です。むしろ中途半端にCG丸出しの鬼とか使って金がかかっているぶんネガティブ何とかよりも出来は悪いかもしれません。売れっ子作家の作品が原作なようですが、映画としても全然素晴らしい作品ではないし、そもそも原作のストーリーもつまらないと僕は思うんですけどね。大学生達が、たくさんの鬼を指揮して闘うというアイデアはもの珍しいですが、褒めるところはそことレナウン娘の踊りが懐かしかったとこだけですね。

 安倍と芦屋の対立はまあ女がらみだから分かるとしても、高村以外の男性メンバーとこの二人のカラミが少なすぎてきれいに5対5に分かれる理由が分かりません。黒い雲みたいな神様が怒っている理由も何かうやむやでよく分かりません。楠木が安倍を好きになる動機もまったく分かりません。「ホルモー」が何をどうやったら有利でどうやったら不利なのか戦術的なところがまったく分かりません。最後は内輪モメで終わるくせに、京都大学以外の3つの大学の登場する意義もまったくわかりません。居酒屋「べろべろばあ」の店長もストーリーにまったく関わりないのでいらないですね。これだけストーリーの核となる部分に致命的な欠陥があるうえに、登場人物も夢とか思いが小さすぎて全然魅力がないですから、こんな映画面白いわけがないでしょう。さや氏はそんなにつまらなそうでもなかったですし、やふーの映画レビューを見るになかなか評価も高いですが、僕は自信を持って出来が悪い映画だと言い切れますから。  

 この映画のウリであろうコメディ要素は、笑いの感覚は人それぞれだと思うので批判はしませんが、僕はホルモー時のわざとらしい滑稽なポーズのように押しつけがましい笑わせ方は好きではありません。レナウン娘の踊りも懐かしいだけで、笑わせ方は同じでやはり好きではありません。

 あとこの映画のヒロインの栗山千明という人は名前は知っていたのですがまったく顔は見たことなくて、初めて見たのですが、なかなかびっくりしましたね。何がびっくりしたかというと、この人の顔です。この人ほど男性と女性の評価が分かれる顔はなかなかいないと思いますよ。男性が採点するとすると、町の通行人の平均点を50点とすると、50点でしょう。ただ女性が採点したら80点ぐらいになると思います。典型的な女性から見て美人に見える顔です。まあタランティーノに「キル・ビル」に抜擢されたぐらいですから、外人男性にはウケるのかもしれませんが。対照的にこちらもこの映画で初めて見た佐藤めぐみという女優は、男性が採点したら80点ですが、女性には嫌われそうな顔ですね。映画がつまらなかったので、そんなことばかり考えていました。

評価(★×10で満点):★★

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知人にゲイの人がいました。

はじめて聞いた時はびっくりしたけど、すごくいい人でした。

何より、話しやすいのです。異性には構えていろんな壁を作ってしまうし、同性だと底に沈澱するいろんな感情の探りあいみたいなところがあって、深いところまで潜れません。でも、その人には心を開いて「会話」ができそうかなと感じました。結局、そういうところまで仲良くはならなかったのですが。

やはり、女性には慕われていました。しかし男性には少し距離を置かれていたようでした。まだまだ日本において偏見を凌駕するのは難しいようですが、70年代のアメリカも宗教を盾にとった相当な差別社会であったようです。

ハーヴィー・ミルクという人のことは、まったく知りませんでした。

差別と偏見に満ちた街の片隅で心を鎖していたゲイの人々に、小さなコミュニティを作り安楽の場所を与える。やがて社会への開放を求め、選挙に出馬する。彼の奔走により根強かった差別主義者は徐々にその勢力を弱めていく。

笑顔とジョークを絶やさずにいても、その中身は真面目すぎるほどに真面目。最初は己の生き易さを求めて始まった活動は、周囲の人々の思いを乗せて、彼らの理想の実現化へと高まっていく。大切な人を失うことになっても、彼は最大公約数の幸せを選んだ。

ミルクでなければいけなかった、ということではないのかもしれません。

最初の一歩を踏み出せるか、否かが重要。彼はその勇気を持っていた。自己犠牲をいとわぬ精神も持っていた。しかし傍観することに慣れた凡人にはなかなかできないことです。だからこそ、彼や第一人者と呼ばれる数々の人々は立派だと呼ばれるのでしょう。 

この作品は、いわばミルクという人間のドキュメンタリーですが、展開がスピーディで実在するキャラクターなのに色付けがしっかりしているので、退屈せずに見られました。そのかわり大きな感動もお涙頂戴もありませんが、観終わったあとにふと己を振り返ってみることのできる、偉人の伝記のような作品です。

今さらなのですが、ショーン・ペンの演技は見事でした。ノーマルからみると美しくはないラブシーンですが、決して不愉快にはならないのは、きっと彼が演じている間は心からゲイになりきっていたということでしょう。

ゲイに対する男性の偏見、と書きましたが、頭ごなしに批判するつもりはありません。私とて、ずっと以前に、電車内でレズのカップルを見たことがあります。「・・・」でした。そして、レズの人と普通に仲良くできる自信もありません。つまり、私も差別社会を形成するひとりなのだということでしょう。

評価:★★★★☆ 

 

~ヤスオーのシネマ坊主<第2部>~

 アカデミー脚本賞とアカデミー主演男優賞を獲り、非常に評判の良い映画ですが、僕はそこまでこの映画には感動しなかったですね。まあ、そつなく丁寧に作られているので、僕のようなハーヴェイ・ミルクについてまったく知らず、ゲイ社会なんぞにまったく興味のない人でも観てて飽きはしないですから、決して出来は悪くはないのでしょう。ただ、この映画の主人公の伝記映画なら、そこそこ腕のある監督や脚本家なら誰でもアカデミー賞は狙えるでしょう。それぐらいミルクという人は映画にはうってつけのドラマティックな人生を送っています。映画そのものよりも、僕はこの人の人生に衝撃を受けましたから。

 当時の映像や実際にミルクの周りにいた人を出すのも映画の現実味、説得力を増すのに非常に効果的だったのですが、これも突き詰めて考えると、記録映像やインタビューばっかりで構成された「ハーヴェイ・ミルク」を題材にしたドキュメンタリー番組を見た方がいいのではないかとも思います。この映画みたいなわりと史実に忠実に作っている映画は、どうしてもそう考えてしまいますね。まあ、あまりにも史実をねじ曲げると僕のようなミルクをまったく知らない人にはウケるかも知れないですが、逆にミルクの関係者や信奉者にキレられそうですし、難しいところです。

 「提案6号」の否決のところなんかはこの映画で一番の感動を呼ぶシーンだと思うのですが、ここも僕はそんなに感動しませんでしたからね。ミルクの最後のシーンもちょっとあっけなかったです。このへんもこの映画がミルク一人の人生を描くことに集中したからだと思います。もうちょっと他の人の描写にも力を入れればもっと盛り上がったんでしょうけどね。

 演技はみんな上手だと思いましたね。役者陣もアカデミー賞を狙えそうな素材の映画に出れたから張り切っていたのでしょう。よく洋画はセリフが理解できないので邦画より役者が上手に見える、そもそもセリフを理解していないのだから演技力自体が測れない、と言う人がいますが、この映画でスコットを演じていたジェームズ・フランコとかいう若い役者は、前回見た「ネガティブハッピー・チェーンソーエッジ」に出ていた市原隼人や三浦春馬より間違いなく100倍演技が上手です。主役を演じたショーン・ペンは、先に挙げた二人とは比べるまでもないでしょう。ただこの役者はシーシェパードの支持者なのであんまり好きじゃないんですけどね。 

評価(★×10で満点):★★★★★★

主演男優賞候補…ショーン・ペン

助演男優賞候補…ジェームズ・フランコ

無味乾燥の日々を送る平凡な高校生が、ある日突然謎のチェーンソー男と戦う美少女と出逢う・・・。

なんとも荒唐無稽なイントロダクションが、興味をそそります。

原作は未読ですが賞を獲ったライトノベル。つまり軽いタッチの物語、ってことですね。

だからチェーンソー男の「謎」がシンプルなのも絵里がツンデレ(使い方合ってる?)なのも陽介の鬱屈の晴らしかたもふたりが恋に落ちるのも、

「全部まるっとお見通しだ!」

て、とこです。

だから、そういう心構えで観る分には、非常にアッサリとした後味で不満はないです。高校生の時に観たら、面白いと言えたのではないでしょうか。

主演の市原隼人・関めぐみはフツーですが、アクションは頑張っていたと思います。友人役の浅利陽介はスパイスが効いていて、良かったです。死んだ仲間の三浦春馬はカッコ良いので許す。

まあ、暇つぶし程度の映画でした。

評価:★★★☆☆

~ヤスオーのシネマ坊主<第2部>~

 青春映画は多少無理をしてでもそのノリに合わせないと楽しめません。僕ももういいオッサンで、社会に出て色々イヤな目にも遭い若者の心なんか完全に失っているので、こういう映画はダメだろうなあと思っていましたが、そんなに映画の出来が良くないのも相まって本当にダメでしたね。アクションシーンはそんなに悪くないですし、若者の心の不安や葛藤をチェーンソー男との戦いで描くという発想はいいと思うので、若者の心を忘れていない人ならそれなりには楽しめると思うんですけど。

 あんまりこういう映画で野暮なことは言いたくないんですが、やっぱりストーリーをじっくりと煮詰めていないから、観ても感じるものや得るものがないんですよ。まあ比べるのもアレですが、前回観た「愛を読むひと」はかなり煮込まれていましたからね。特に男の方の主人公の陽介の心の葛藤がまったく伝わってこない。どうやら彼は能登に近づき追い越すために何か焦っているようなんですが、主人公と能登との関係をきちんと描き切れていないから、彼の心の声はまったく僕には伝わってきませんでした。もちろん主人公の男を演じた市原隼人と能登を演じた三浦春馬の演技が下手なのも大きな原因ですが、脚本自体がイマイチだなあと思いましたね。

 板尾が演じる先生は、どうでもいいように見えてけっこう重要な役でしたね。大人代表の彼がいるからこそ主人公の若者二人の戦いが日常性から乖離しなかったんでしょう。この映画はどこにでもいる青春時代に苦悩する若者を描きたかったんでしょうから、ここが切り離されてしまったらほんまにこの映画は0点の出来になってしまいますからね。この役にちょっと謎めいた雰囲気のある板尾を持ってきたのは正解だったんじゃないでしょうか。陽介の友達の渡辺の存在意義はよくわかりませんでしたけどね。彼は彼で自分には何の才能もないという現実を信じたくないばかりに色々なことに挑戦し続けるという若者らしい葛藤を抱えながら生きてますから、一回ぐらいチェーンソー男と戦わせても良かったと思うんですけど。

 女子高生役の関めぐみはわりと僕好みの顔をしているのに、パンチラがないのが残念でしたね。見どころの少ない映画なので、それぐらいはサービスしろよと思いましたけど。彼女の苦悩は結局失っていないのもありますが愛する親兄弟や恋人を失った悲しみですかね。なるほどとしか言いようがないベタベタな設定ですね。

評価(★×10で満点):★★

愛。それを知るには幼すぎた15の夏。

マイケルは女車掌のハンナと運命的に出逢い、情事に溺れる。しかしある日突然、ハンナはマイケルの前から姿を消してしまう。再び、彼女を観たのは8年後。法学生として傍聴していた裁判で、ハンナはナチスとかかわりユダヤ人を見殺しにした被告として裁かれようとしていた。そしてハンナは、無期懲役の刑に処せられる。マイケルも知る、ある秘密を隠したまま。

欲情のために情交を結ぶのは、人間だけかもしれない。

ただそこに愛を求めるのも、人間だけかもしれない。

私は女だから男心はわからない。だが、初めてのひとというのが男女問わず特別なものであったなら、マイケルはもう一生ハンナと再会しないことを前提に、15の夏の鮮烈な経験を心の細工箱に仕舞い込んだことだろう。美しいひと、自分を褒めてくれたひと、自分に自信をつけてくれたひと、自分を変えてくれたひと。アフロディテのようなひととのひと夏の思い出の引き出しを、二度と開けるつもりはなかっただろう。

しかしあえなくも、その鍵は破られる。ハンナそのひとの手で。

法廷、戦犯、被告、実刑。およそあの部屋のあのベッドとはかけ離れた硬質な世界にハンナはいた。

一瞬にして思い出は色あせる。目の前にいるのはアフロディテではなく、罪を問われやつれた中年女。

マイケルは何を思ったか。

彼女を救わず、無期懲役に処せられた彼女に朗読テープを送る。それにより文盲を克服した彼女からの手紙を無視し、出所時に迎えに行く。

矛盾した行動が、孤独なハンナの心をいかに揺り動かしたか。

マイケルの復讐だったのだろうか。

彼はハンナを愛していたのだろう。15の夏は確かに。しかしハンナの心を受け止めるほどに、大人ではなかった。ハンナの思いを知らなかった。愛を語らないハンナに、一方的な愛を語り、気まぐれな若さを押しつけた。その夏のままに、年齢を重ねた彼は、ハンナに相対する。しかし彼は、それによりハンナが傷つくことを解っているだけの人生経験を積んでいる。その罪の意識から逃れる方法も知っている。

ハンナはあの夏のまま、受け流す。彼の愛を読む。彼の復讐を受け止めるために。

マイケルは最後まで愛を語る。しかし彼が愛を読んだことがあっただろうか。

「愛を読むひと」--もしかしたら、それはハンナだったのではないだろうか。

評価:★★★★(4.6)

 

 

~ヤスオーのシネマ坊主<第2部>~

 やっと新しい職場にも少しは慣れてきて、ほぼ1か月ぶりに映画を観たのですが、けっこうな名作だったので良かったです。原作モノの映画なのでもちろん原作の力もあるでしょうし、僕は原作を読んでないので映画と原作の違うところもよくわかりませんが、異性への恋心やホロコーストに関しての道徳意識だけでなく、苦しみや悲しみや葛藤やプライドや屈辱感や迷いやためらいや混乱などとにかく人間の色々な感情が上手に描かれています。登場人物、と言ってもマイケルとハンナの二人だけですが、この二人の善悪がかなり判別しづらい。登場人物二人とも、同情する部分もあるし、これはいかんなあと思う部分もある。好きな部分もあれば、嫌いな部分もある。キャラクター描写も非常に深いですね。ホロコーストを扱っているので社会派なところもあるにはあるんですが、それはあくまで味付けでしょう。かなり奥が深く出来の良いラブストーリーです。

 最初は完全にAVですしね。どうしてハンナはマイケルが部屋を出て行ったかどうかを確認せずにパンストを履くんでしょう。こういう女の方のわざとらしいエロアピールは義母と息子モノのAVでよくある展開です。おそらくマイケル15歳の時はハンナはマイケルのことを好きじゃなくて、AV言葉で言うと彼女の痴女の側面だったのかもしれませんね。失踪は彼女の人間性の中でかなり大きなウエイトを占める理由があるから許すとしても、裁判のシーンからみるに小説を朗読してくれるのは別に好きな男性でなくてもいいようですし、ハンナがマイケルを心から愛してるような描写がこの時代はないと言ってもいいです。この時のマイケルはハンナにとって自分が女性であることを意識したいがためのバター犬のような扱いだったのかも知れませんね。

 ちなみに僕は自分より年上の女性の裸には基本興味がありませんが、ケイト・ウィンスレットは数少ない例外です。この役を他の女優がやったらキツかったですね。途中でイヤになって観るのを止めたかもしれません。しかし僕の好みを抜きにしても、この役は彼女以外に考えられませんね。アカデミー主演女優賞を獲ったようですが、そりゃそうでしょう。

 逆にマイケルとハンナが再会した時は、マイケルの態度がちょっと冷たすぎると感じました。もちろん戦争犯罪の加害者側だったハンナに対しての理解が不十分だったというのもあるんでしょうが、僕にはハンナが普通のババアになってしまっていて昔自分が夢中になっていたハンナとのあまりの違いにショックで引いてしまったようにも思えました。男の方はまだまだモテているような描写がオープニングでありましたし、十分現役ですしね。ハンナのその後の行動の原因も、おそらくそれだと思います。「坊や」とか言って昔のノリでいってしまったけど、相手はもう自分を女性とは見ていないということに絶望したんでしょう。その後のマイケルがユダヤ人のとこに行ったり娘にハンナの話をしたりするのも、愛するハンナのためというよりもハンナによって色々心かき乱された自分の人生にケリをつけて新しい人生を歩みだそうとしているように見えました。 

評価(★×10で満点):★★★★★★★★★

監督賞候補…スティーヴン・ダルドリー

『DEATH NOTE』で一躍人気の出た松山ケンイチ=Lのスピンオフ作品。原作とは違ったラスト以降の、Lの最後の23日間を描いています。

本篇ではキラとの頭脳戦を繰り広げていた、どちらかといえばインドア派のLが、今回は守るべきもののために街中を駆け回ります。この時点で世界観が若干失われているような。登場人物や設定は同じですが、中身はもはや別物、と考えたほうが良いでしょう。

相手は細菌兵器を用いてテロを企てる集団。抗ウィルス薬の秘密を握る少女と、ウィルスで死滅した村の唯一の生き残りの少年とともに、デスノートにみずからの名前を記したLの最後の戦いが幕を開けます。

監督は、『リング』などを手がけたホラー映画の第一人者。なぜその人物にこの作品のメガホンを託したのかはわかりませんが、オープニングでいきなりその手腕を発揮してしまうので、観ている側としては面喰ってしまいます。あそこまで引っ張る必要があったのかどうか・・・しかも娘の前であの状況は・・・悪趣味。

ウィルスとその血清と事件解決に関しては、かーなーりご都合主義的な展開ですが、刮目に値すべきは、真希役の福田麻由子。

一瞬だけチャンネルを合わせた『女王の教室』で、んん? とひっかかり、『白夜行』でナルホドと唸り、そしてこの映画でもさすがの演技力を見せてくれました。『女王の教室』は彼女と志田未来の共演だったことを思えば、贅沢なドラマでしたね。朗らかな笑顔とその裏にある心の傷、強い感情に揺さぶられる目の演技、Lとの兄妹のような憧れまで発展しない絶妙な距離感が良かったです。

Lは言わずもがな。ほとんどL=松ケンのPVと化しています。本当に、Lを演じられるのは彼しかいない。というよりも、もはや完全にLを自分のものにしています。原作を知らずとも、Lの魅力に虜にされてしまうのは間違いありません。

ナンチャンは絶対にFBIに見えないとか、悪役の高嶋政信と工藤夕貴がウスイとか、作品そのものに関してはけちょんけちょんですが、ラストの「ニア」と名付けるオリジナルのくだりは良かったです。ま、人種が原作と違うのは、タイ人なら日本人子役を使えるという理由があるのかないのか知りませんが、本篇が原作と別物になっている以上こだわる必要もないでしょう。

これでラストなのが惜しまれます。どうせなら、デスノートにかかわる前のLの活躍を描けば、続篇がどんどん作れたような気がするのですが。ま、お腹いっぱいか。

評価:★★★☆☆

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ヤスオーと古都の片隅で暮らしています。プロ野球と連ドラ視聴の日々さまざま。
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