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おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行)
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~ヤスオーのシネマ坊主<第2部>~

 僕はこの映画にも出演している銀杏BOYZはかなり好きなアーティストなので、パンクという音楽ジャンルにも無論抵抗はなく、この映画自体も自然に楽しめたのですが、世間はどうなんでしょうかね。たぶん、「デトロイト・メタル・シティ」より評価は低いと思います。僕がこの映画のもっとも気に入ったところは、監督及び脚本の宮藤官九郎が心の底からパンクを愛するがゆえでしょう、セリフの一つ一つに説得力があるところなんですが、普段「GReeeeN」や「フランプール」なんかを聞いてる人はそんなところにも何も感動しないでしょうし。

 この映画はダメなオッサン達の「少年メリケンサック」というバンドが初めは観客に受け入れられなかったけどもだんだん人気がでてくるという非常にベタなプロットの話なんですが、普通の映画だと何かのきっかけでこのオッサン達が目覚め、生まれ変わるはずなんです。しかしこの映画ではオッサン達はダメなままです。オッサン達の全国ライブは広島あたりから盛り上がるようになるんですが、そのきっかけをこの映画は何も描いていません。パンクバンドは衝動がすべてで、演奏技術も歌唱力もいりませんから、バンドをやることに対する主人公たちの全員の感情が、「オレ達はダメな人間だけども、とにかく何かやらかしてみたい!」という銀杏BOYZにも通じるパンクバンドとして一番大事な方向を向いたことで、観に来た人の熱狂を生みだしたと僕は好意的に解釈しましたが、たぶん普通の人は粗いストーリーだなあと思うだけでしょう。まあ、「少年メリケンサック」が25年前のバンドだと主人公しか気づかないところは、僕も激粗やなと思いましたけど。

 ただ、宮崎あおいがいい演技をしていたというのは、僕を含めて誰もが思うところだと思います。僕は彼女の出ている映画は見事に一作も観たことがなかったし、これも観ていませんが大河ドラマの「篤姫」の演技で彼女が非常に評価を得ていたので、「どんなもんじゃい?」と注目していました。なるほど、役者としての才能があるわけではないんですが、演技に対する熱意が伝わってきます。こういう人が人気が出るのはわかる気がしますね。

 というわけで僕はそれなりにこの映画は楽しめました。しかし、この映画はおそらくジャンルとしてはコメディ映画に分類されると思うんですが、笑いという面ではそこまで面白くなかったですね。このへんは宮藤官九郎のセンスが逆に仇になっていると思います。こんなスパイシーで小気味いい笑いはいりません。パンクバンドを描くコメディ映画なら、もうちょっとムチャクチャな笑いの取り方をしないとダメなような気がしますね。汚さやエロさも使って笑いを取ろうとしているんですが、毒がなくて全然ダメです。

評価(★×10で満点):★★★★★★★ 

主演女優賞候補…宮崎あおい

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ひとりの男の誕生から死まで、彼が遺した日記を通して語られる。映画にはよくある手法の、非常に地味な作りです。ただ異質なのは、その男が、「老人として生まれ、赤ん坊として死んでいく」こと。

しかしその異質さは、老人施設という世間とは少しずれた空気の中で育った彼の中では、「どうやら人ととは少し違っているようだ」くらいの意識で、コンプレックスとは無縁の世界を生きています。それも、捨てられた彼を、「子ども」として育てた養母の慈愛ゆえでしょう。

だから彼はごく普通の人生を生きる。友達ができる。秘密を共有する。はじめての娼婦に夢中になる。外の世界を見てみたいと思う。旅に出る。恋をする。戦争を体験する。自分を捨てた父と出会う。反発する。愛を知る。子どもを授かる。・・・

身体が逆まわしでなければ、平凡でありふれた男の一生であったことでしょう。

たとえ身体が思うように動かなくても、おそれを知らぬ若さがあった。ましてや経験を積めば積むほど、体力が満ちてくるならば、もう怖いものはない。

しかし皮肉なことに、社会を知るということは、すなわち己の異質さを自覚するということ。人生の折り返し地点をとっくに過ぎてから、彼は再び旅に出る。その行先はもう荒くれた海ではない。体力はありあまるほどにあるだろう、しかしあらゆるおそれを知った老境は、己の人生は何だったのか、いかに最期を迎えるかを異国の地で思索する。

平凡な女がいる。

小さなきっかけで恋が生まれ、離れ離れの間やきもきし、お互い別の異性と経験を重ねながら、結局は愛する人と結ばれる。一度は失った夢を追う。そばで見守ってくれる人がいる。そして新たな命を宿す。・・・

どういうかたちであれ、あらゆる愛の苦しみを知り、そして愛する人と最期まで寄り添うという、ありふれた願いをかなえた女の一生は、満ち足りたものであったでしょう。

これは、ある平凡な男と女の、不器用でいちずな愛のものがたり。

大きな感動はない。人生を生ききった爽快感のような、誰かの日記を読んだ罪悪感のような、なんともいえない不思議な感覚が残ります。 

 

映画としての感想を述べるならブラッド・ピットとケイト・ブランシェットの自然な若返りと老化を演出したCG技術は見事でした。が、CGではカバーしきれない演技力が要求されたであろうことも想像がつきます。著名な俳優ふたりなのにどちらが見劣りすることもなく、非常に美しい映像でした。

しかし。

私はこれを愛とは呼べない。

どーだこーだ言ったって、結局不倫だろーが。

評価:★★★☆(3.8)

 

~ヤスオーのシネマ坊主<第2部>~

 さすがアカデミー賞候補の作品なだけあって、尺が長いうえに、そんなにドラマチックな出来事が起こるわけでもないのに、見ててダルくなかったです。主人公の色々な人との出会いも特に主人公の人格形成に大きな影響を及ぼしたわけでもなさそうですが、実際僕も自分の人生を振り返ると人格形成に大きな影響を及ぼした人物なんてほとんどいないので、これもこれでいいんでしょう。船長やホテルの人妻との出会いと別れのように、特に彼らとの間にすごい出来事があったわけでもないんですが、いなくなってから時たま思い出すとちょっと切ない、というぐらいのさじ加減が、現実社会と同じくリアルでいいと思います。

 しいて言えば動物園で見世物にされたことがあるピグミー族のオッサンが主人公の人生の師匠でしょうか。彼はそのような辛い過去があっても性格は明るく、将来に向かって人生を楽しんでいます。主人公も風来坊的に世界各国をプラプラしているし、人妻も遠慮なく抱くし、「自分はどうしてこんな風に生まれてきたのか?」などとうっとうしいことは考えず、かなり人生を謳歌していると思います。映画中のセリフを引用しますが、しょせん「人は何も持たずに生まれ、何も持たずに帰る」ですからね。。死にかけのボケたジジイと生まれたての赤ちゃんはたしかにイーコールです。時計周りだろうが逆周りだろうが時は過ぎていくし、人生は立ち止まれないですから、人生はウジウジ考えずに楽しまないと損だと思いました。「前向きに人生を生きよう」というこの映画のメッセージはとてもよく伝わってきました。

 というわけでけなすところは特にない映画なんですが、大きな感動も特になかったですね。ラストもあっさりしており、この映画だとこうせざるをえないんでしょうが、つい「この監督はこの映画を作るにあたって特にアイデアがあったわけでもなく、単にしっとりとした味わい深い大作を作ってアカデミー賞を獲りたかっただけなんやろなあ。」と思ってしまいます。僕はデビッド・フィンチャーの映画は好きなのですが、「セブン」、「ファイトクラブ」、「ゲームj」などの冒険心に溢れたギラギラした映画の方が好きですね。今回のような映画はクリント・イーストウッドのような大御所に任せておけばいいんじゃないでしょうか。この映画の点数は「チェンジリング」と同じ★7ですし、イーストウッドが撮っても同じ点数でしょう。

 ちなみにブラッド・ピットはそんなに演技が上手かったわけではないんですが、若返った時にブサイクだったらこの映画は台無しだと思うので、やはり主役は彼で良かったんでしょうね。

評価(★×10で満点):★★★★★★★ 

助演女優賞候補…タラジ・P・ヘンソン

1920年代、母ひとり子ひとりの生活を送るコリンズ家。ある日帰宅すると息子の姿が消えていた。五ヶ月後、息子を発見したという警察のしらせにより駅に向かったクリスティンの前に現れたのはわが子ではなかった。身長も歯形も違い、割礼の痕さえある。人違いという彼女の主張を、しかし警察は相手にしない。かつて息子の失踪を訴えた時と同じように。

いくら離れていたとはいえ、愛するわが子を間違えるはずがない。科学的証拠もそろっている。それなのに、事実をすりかえてしまう時の権力のおそろしさ。わずか80年前のアメリカの実話。

しかし、ここでクローズアップされるのは、いびつな社会ではない。権力と戦う正義でもない。ましてや、子どもを喪う悲しみでもない。

母、という唯一無二の存在。

嘘をついてウォルターと名乗った子どもを、クリスティンは家に連れて帰り食事を与え着替えを用意する。もちろん訴えを聞き届けてもらえない憎しみは時としてその子に向けられる。最初から息子でないことはわかっているから、愛を与えることはない。しかし彼女は彼を息子のベッドに寝かせ、息子の服を着せる。一方で息子のために戦いながら、彼女は彼に対して母としての行動を見せている。

彼女は最初から最後まで一貫して母だった。

子どもを守るために母が戦う作品は、数多くあります。しかし、それに感情移入できなければ、面白いと感じない視聴者もいるでしょう。この作品の優れているところは、クリント・イーストウッド監督独特の硬質な視点です。母という侃さを備えたクリスティンを、アンジェリーナ・ジョリーが表現豊かに演じていますが、警察に反抗したばかりに精神病棟にまで追いやられる彼女に思い入れを抱くことを、作品は拒否しています。彼女を救おうとした牧師に賛同することも、殺人に関与した少年に同情することも、無事に戻ってきた被害者と家族との再会でも、涙を流すことは不釣り合いに思えます。時間軸どおりに淡々と展開し、いちおうの解決で淡々と幕を閉じるこの物語からは、監督の主観はまったくといっていいほど感じません。正義が勝ったことで下げた溜飲はラストの一文で再び重い現実に捉われてしまいますし、勝ちと断定するにはお粗末な結果でしょう。このドラマチックな実話ならば、勧善懲悪ものやお涙頂戴ものにもできたはずです。そういう感情を徹底的に排除し、映像から何を受け取るか、それを観ている我々ひとりひとりにゆだねているように思います。

ウォルターと名乗り出た少年は、うやむやのうちに実の親のもとへ返されてしまいますが、その時クリスティンから贈られたウォルターの服を、彼は受け取ることを拒否します。その家庭環境は直接的には描かれませんが、少なくともウォルターより恵まれたものでないことは想像がつきます。ウォルターになりすまし日々を過ごせば過ごすほど、その母から愛をそそがれるべき唯一無二の存在にはなりえないことを、彼は思い知ったのかもしれません。愛を得られないことに子どもは敏感です。

母としてふるまうことは誰にでもできる。しかしそこに必ず愛という裏づけがなければ、すぐさま関係は歪んでしまうのでしょう。

評価:★★★★(4.3)

 

~ヤスオーのシネマ坊主<第2部>~

 クリント・イーストウッド監督の映画らしく、非常に丁寧な作りの映画で、誰が観ても褒める映画だと思います。僕は彼の映画は丁寧なんですが悪く言うとかったるいのでそんなに好きではなく、この映画ももうちょっと短くまとめれるやろ、何でこんな大作風にするねんと思ったのですが、脚本家がいいのか観てて退屈はしませんでした。僕は彼は監督としてそんなに才能があるとは思いませんが、この映画は脚本、役者、音楽、撮影、美術などの監督以外の要素はとてもハイレベルなので、作品全体の出来は非常に優れています。まあ、イーストウッドの映画はそういうのが多いのですが。彼は才能はともかく良い映画を作ろうという魂は感じるので、その魂に賛同する優秀なスタッフが集まるのでしょう。そういうところが彼の才能かもしれません。

 この映画の一番の長所は、事実に基づいているということでしょうね。警察がここまで見え透いたウソをつき通そうとするわけないやろと思っていたんですが、映画を観た後この映画の基になった事件を調べてみたら本当にそうだったみたいです。そして警察のでっちあげを認めない主人公が精神病院に放り込まれたのも本当みたいですね。ここまで衝撃的な事件を、丁寧に描いたら、そりゃいい映画になりますよ。主人公を大衆への人気とりに利用しようとする警察と教会の対立構造や、社会そのものに背を向けて息子を生涯探し続ける主人公の信念なども、さすが事実に基づいた話なので、とても自然な流れで理解できました。

 ただ、「ミスティック・リバー」なんかと比べると、ちょっと軽い感じがしましたね。精神病院の描写がとても映画チックでわざとらしいし、主人公の息子とは他のさらわれた子どもが7年ぶりに見つかったのですが、その子が長年名乗り出なかった理由にも違和感を感じましたね。ただ事実に基づいて淡々とストーリーを作っても観てて面白くないから、フィクションの描写も入れて面白みも出すこと自体は僕は賛成なんですが、こういうあまりにもウソくさいのは観てて萎えるのでダメですね。

 主人公を演じたアンジェリーナ・ジョリーは、この役が合っているかどうかは別にして、がんばっていたのではないでしょうか。連続殺人を手伝っていたいとこの演技もちょっといいなと思いましたね。

評価(★×10で満点):★★★★★★★

脚本賞候補…チェンジリング

 

マイクはバスケ部の花形選手。だが試合前に恋人から妊娠したことを聞かされる。動揺した彼はスカウトの見守る中、彼女を追ってコートを飛び出してしまう。

本来ならば。彼はバスケ界において大学で、さらにその先で華々しく活躍するはずだった。

だが現実は、16年間働いても出世できず、妻には離婚状を叩きつけられ、子どもからはシカトされ。

もしあの時に戻れたら。過去の選択を後悔する人間は少なくない。マイクももちろんそのひとり。

その願いは突然聞き届けられることになる。だが、戻ったのは肉体だけ。37歳のマイクは、17歳の若さと力を手に入れて、もう一度高校生活をやり直すことになる。

そのキャンパスで、マイクは子どもたちの今まで知らなかったもうひとつの顔を見ることに。息子はバスケ部のキャプテンにイジメを受けており、娘はそのイジメっ子と交際中。子どもたちを守るべく、父は立ちあがる。

すんなり破天荒な展開についていけたのは、万人に共通する明快なテーマを冒頭で提示してくれただけでなく、マークこと17歳のマイクを演じるザック・エフロンの魅力もあるでしょう。オープニングのサービスショット的なダンスシーン、鮮やかなバスケットボールさばきもさりながら、20年前のハンサムボーイらしい爽やかさ。仇であるバスケ部のキャプテンはいかにも現代っ子的な軽薄さがあるイケメンですが、堂々とセックスに誘う現代少女をとりこにするのは、それよりも古風な身持ちの固さ。腕力がなくても大人の余裕で学園のボスをやりこめるマイクに37歳のおっさんくささはほとんどありませんが、欧米のおっさんは基本的にダンディ(なイメージ)なので、自然に溶け込めるのではないでしょうか。

学生時代から親友であり、若返ったマイクの父親役となるネッドもなかなか個性的です。かつての「おたく」趣味は相も変わらず、スターウォーズの剣を飾りエルフ語を習得し、その邸宅は趣味一色に彩られています。いじめられ、みじめな思いしかなかった17歳は、彼にとっては悪夢の記憶。二度と立ち返りたくなかったはずのその場所で、失ったはずの青春を取り戻すことになるとは皮肉な話です。それもマイクの守護霊の力だったのかもしれません。

さて、マイクが本当に取り返したかったこととは、いったい何だったのか。バスケ界での活躍か、妻への愛か、子どもたちの信頼か。

やり直せる選択とは、存在するのでしょうか。

その道を選んだのは、誰しも己の意志。あとで後悔することになったとしても、それ自体が己の築いた道。かつて詩人も言っていた、「僕の前に道はない」。

マイクの出発点は最初からひとつだった。妻を愛していること。17歳に立ち返っても、選択権は最初から存在すらしなかった。

過去を悔いることは過去の自分を否定すること。常に、生きることに一生懸命であるならば、その必要もないでしょう。

前向きに。前だけ向いて、生きていこう。

評価:★★★☆(3.8)

 

~ヤスオーのシネマ坊主<第2部>~

 とてもベタベタなストーリーです。最初20分見たら、最後どうなるのかはだいたい想像がつきます。主人公のオッサンは17歳の頃の身体に戻ってしまうのですが、戻る過程もとても適当です。ストーリー展開もかなり強引で、「おいおい」を思うところは色々あります。主役のザック・エフロンも、今とても人気がある若手俳優みたいですが、ダンスやバスケの技術はともかく演技自体はそんなに上手くないなあと思いました。

 ただ、間違いなくこの映画はいい映画です。最後までご都合主義な展開の映画でしたが、それでも感動してしまうところが、この映画のすごいところです。すべての物事が強引にいい方向に転がっていくのですが、あまりにも強引なのでいつのまにかご都合主義へのひねくれたツッコミはどこかに飛んで行ってしまい、最後は爽快感しか残っていませんでした。この映画の監督や脚本家はきっと評価されないと思いますが、彼らが自分の評価とかを気にしていたら、この映画はダメになっていたでしょうね。とにかく邪念を捨てハッピーエンドの王道を突っ走ることだけを考えたのがこの映画の出来を良くした原因だと思います。前回観た「ダイアナの選択」とはまさに真逆の映画ですね。あちらは緻密で、丁寧な作りの映画ですが、監督のどや顔が浮かんでちょっと鼻につきますからね。

 ひねくれ者の僕がこのテの映画でそれなりに感動するということは、サイコパスの人を除いて老若男女どういう人が見ても、それなりに楽しめ、感動する映画だと思いますよ。主役のザック・エフロンも演技力はともかくとして間違いなく女にモテそうな男ですから、負け犬30代女性の観客は主人公の母親に自分を当てはめて「あんなイケメンに言い寄られたいなあ。私だって年はとったとはいえまだまだ女盛りだしなあ。」といい気持ちになることができますし、くたびれたオッサンの観客は主人公に自分を当てはめて「おれの嫁や子どももいいところはあるなあ。あいつらはあいつらでがんばっているんだよなあ。もっと優しくしないとなあ。」といい気持ちになれますし、不遇な学校生活を送っている若者の観客はネッドに自分を当てはめて「今はつまらない人生だけど、将来はオレもどうなるのかわからんぞ。よし、もっと勉強してきっと大人になったら成功してやる。」といい気持ちになれますからね。

 ただ、僕が中盤から泣き始め、終盤は涙で画面を直視できなかった伝説の名作「リトル・ミス・サンシャイン」と比べると、同じ負け組家族を描いた作品としてはやはり一枚も二枚も小粒ですね。ラスト付近の、裁判所で主人公の読み上げた手紙に裁判所の住所しか書いてないところなんかはなかなかの名シーンだと思うのですが、「オレは『セブンティーン・アゲイン』はむっちゃ感動したで~!」とは周りには絶対に言えないですから。やはり作品としてのスケールの小ささやノリの軽さはいかんともしがたいですね。いい映画なんですが、その点から考えると、★7が限度ですね。ミュージカルみたいなシーンも多かったし。僕はああいうシーンは全然楽しめなくて見ててしんどくなってくるんですよ。

評価(★×10で満点):★★★★★★★

原作モノの映画やドラマで、原作を超えられたものはなかなかありません。オリジナル部分が入ると興ざめするし、忠実ならそれはそれでつまらない。

何より重要なのは、イメージを裏切らないキャスト。

この作品においては、裏切りまくってますね。準主役の道明寺が。原作では180cmを超える大男なのに、小柄で華奢な松本潤、ってどういうことよ。

でも私はそこまで原作に思い入れがなかったので、気にせず観たのですが、これがまあ面白い。ていうか、カッコイイ。原作においては道明寺より花沢類のほうが外見がいいように思うのですが、ドラマでは断然道明寺でしたね。いやもちろん小栗旬も男前だけど。漫画では目立たなかった西門や美作も、ちゃんとポジションを大事にされています。何より、原作では意地をはりすぎていたつくしちゃんにいやみがなく、好感が持てました。恋愛と泣きと笑いと、非常にバランスが取れているドラマでした。キャスティングはもちろんですが、脚本と演出も良かったのでしょうね。

というわけで、大ヒット、映画製作もむべなるかな。

ドラマの最終回で婚約? した道明寺とつくしですから、もう邪魔者だライバルだのすったもんだはありません。ふたりの愛をより強固にする、ラスベガスから香港、南の島へのややサバイバル的な婚前旅行。ま、内容は長いうえにこちらが「ありえないっつーの!」を叫びたくなるくらいひたすらに陳腐でしたが;オマケ、として楽しめたので良いのではないでしょうか。派手なアクションシーンやシーツで股間を隠したりカードでひげを剃ったりという演出の細かさはなかなかおもしろかったです。ラストの結婚式の写真が原作者のイラストに変わるところで、あーそういえば原作は漫画なんだっけと思い出しました。

いちばんビックリしたのは、弟くんの成長ぶりでしたね。純粋でかわいいキャラのままなのに、普通にいい男になっとるやん。

評価:★★★☆☆

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ヤスオーと古都の片隅で暮らしています。プロ野球と連ドラ視聴の日々さまざま。
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