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おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行)
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アカデミー外国語映画賞を受賞した作品ということで、期待して観ました。

で、結論から言うと、その期待を裏切るものでは全然ありませんでした。

「納棺師」----馴染みのない職業です。

私はまだそこまで身近な人の死を体験していないため、遺体はすべて棺に納められてからの対面でした。

だから誰がどのようにして綺麗なかたちにしてくれたのか、考えたこともありませんでした。

オープニングから納棺の場面です。静かで正確な所作に圧倒されます。

が、女性と思っていたその遺体が実は男性だった・・・というエピソードに緊張感はあっさりほぐされ。どこかトボけた社長役の山崎努とモックンの演技に、期待感がふくらみます。

所属していたオーケストラ楽団が解散し故郷である山形へ帰った小林の新しい職場は、「NKエージェント」。

NK・・・それはNOUKAN。

はじめての仕事がいきなり腐乱死体だったり、化粧後の顔にケチをつけられたり、死を目の当たりにして妻のぬくもりがいとおしくなったり、いろいろなハプニングはありつつも、一級品の技術を持つ社長のそばについてその所作を学びながら、小林は納棺師という仕事に魅力を見出し、誇りを持っていきます。

でも世間は、そうは思わない。

夫の仕事が何であるかを知った妻は家を出て行ってしまいます。

ここで、「なんで? 理解してあげなよ! 納棺師は立派な職人なんだよ、すごいんだよ!」と思うのは、小林とともに納棺の奥深さにはじめて触れて感動しているからであって、もし、自分の夫がいきなり「毎日死体を扱う仕事をしています」ということを知ってしまったら、「やめて!」と言うに違いない。旧い友達ならば、距離を置いてしまうに違いない。

悲しいかな、偏見はこの世に満ちている。

死は毎日あたりまえに誰かを訪れていて、

愛する人に最期を美しく見送ってほしいという思いはあたりまえに誰にでもあって、

愛する人を最期は美しく見送りたいという思いもあたりまえに誰にでもあって。

そんなあたりまえの願いを叶えてくれるのが納棺師。

小林は誇りを捨てない。それは揺るぎなく彼の心に植えつけられてしまった。顔も憶えていない父親にもらった石文を捨てられないように。小さな子ども用のチェロで弾く母親の好きだった曲を指が憶えているように。

そして訪れた身近な人の死。それは永遠の別れではなく、旅立ちを見送る瞬間。哀しみも後悔も浄化する「おくりびと」の厳かな儀式の世界。友も妻も、そして観ている我々も惹きこまれていくのです。

死に対する認識は、世界に多くの宗教がある以上、さまざまです。しかしそれが人間にとって畏怖の対象であることには変わりません。

日本の死に対する観念を、宗教色を抑えて高潔に表現したこの映画が世界で高い評価を受けたのもうなずけます。

山形の美しい四季と心にしみる久石譲のメロディーが素敵でした。田舎の川原でチェロを弾く姿は一見アンバランスながら、なぜか高尚な美しさでした。

演技者も見事でしたね。脇にいたるまで隙がありませんでした。とくにモックンはこの難しいテーマへの強い意欲が感じられました。

ただ、個人的には妻役には石田ゆり子か木村多江あたりを起用してほしかったですね・・・どうしても若手にこだわるなら宮崎あおいとか貫地谷しほりとか・・・他にもたくさんいたと思うんですがね。

評価:★★★★☆

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『攻殻機動隊』で世界に名を馳せた押井守監督の作品です。

・・・とは言いながら、実は『攻殻機動隊』を観たことはなく、初押井作品だったりする。

DVDには予告編が収録されていないのですが、この映画をもとにしたゲームの宣伝が入っていて、それが予告編代わりになっています。

それがあったおかげで、世界観がわからないまま観終えずに済んだような。

舞台は近未来? 名前は日本人で新聞も日本語ですが戦闘機の中での会話やテレビニュースや観光客は英語を使う、よくわからん世界。で、戦時中。

国同士の争いではなく、会社同士の争いらしい。

飛行機に乗っているのは少年。でもタバコを吸うし、どこか人生を達観している。その上司も少女の風体。でもタバコを吸うし昔はエースパイロット。しかも娘がいる。

彼らはどうやら、「キルドレ」と呼ばれる、「永遠に歳をとらない」子どもたちらしい。

そのあらましが説明されるのは、2時間もある物語の後半部分。

それまでは、とにかく、眠い。

あまりアニメで眠くなった記憶がないのですが、このアニメは眠い。

台詞が異様に少ない。無言の長回しが多い。戦争ものなのに戦闘シーンが少ない。

もちろん、場面場面が重要なファクターであることはわかるのですが・・・。

なぜ、「キルドレ」が必要なのか。それは『ハウルの動く城』の舞台としても描かれた「無意味な戦争」と大きなかかわりを持っているように思えます。

「戦争が無意味である」ことはあらゆる場所で言い尽くされています。原因を伝えないまま冒頭からいきなり戦争の世界に入り込まされるこの映画でも、そういう世界観であることはわかります。

つまり、それをわざわざ作品半ばで数少ない台詞を割いて伝えることはなかったように思うのですが、

戦争、つまり大人――大人として生きることを許されている人々――の犠牲者であるキルドレたちの刹那的でどこか冷めた生き方を観ていると切なくなります。

そして、彼らが救われるラストが用意されているかというと、決してそうではない。

『THE WINDS OF GOD』でキンタが叫ぶ、

「死は、新しい生のはじまりなんだ」

あの言葉はアニキとキンタの未来へ至宝のように輝くひとことであったけれど、

この作品においては救いの途は一切存在しない。

戦争は語られた理由がある限り永遠に終わらないし、キルドレは量産され続け、生死が日常的にくり返される。

あと味が良さそうな体を装いながら、実は解決していない終幕にはモヤモヤが残るのですが、

でも、仕方ないのかもしれません。

だって、「戦争は永遠に終わらない」のだから。

目を瞠ったのはCGの技術です。空の青さ、雲の質感、風のそよぎさえ感じてきそうなみずみずしさです。

CGを多用するアニメはあまり好きではないのですが、戦争シーンの迫力も見事ですね。

キルドレが乗る戦闘機は零戦のようなレトロ感ですが、それも好きな人ならたまらないかもしれません。

がっかりなのが、またしても声優。

菊池凛子・加瀬亮・栗山千明と、国際舞台でも活躍している演技派俳優を持ってきましたが、脇役の本職さんと較べると完全に格落ちです。もうやめませんか、こういうの。

唯一良かったのが、谷原章介。ドラマでも演じることが多そうな、どこか軽薄だけど本質を見極めている役柄でしたが、スタッフロールまでずっと声優さんかと感違いしていました。いや、良い声だった。

評価:★★☆☆(2.8)

ふたたび、中毒患者のキム・ギドク。

しかし今回、ギ毒は薄め。

山間の湖に浮かぶ寺。壮大な自然を背景に、季節はうつり、人はうつろう。

春--花は咲き、陽ざしは湖面をあかるく照らす。和尚とともに寺で暮らす無邪気な少年。しかし幼子の無邪気さは時に残酷。小動物に石を縛りつける行為を和尚は厳しく戒める。少年は命を殺めた業の重さに涙を流す。

夏--眩しい夏の太陽と激しい雨。病気の治療のため寺にやってきた少女と青年は恋に落ちる。和尚は「欲望は執着を生み、そして殺意を生む」と諭すが、彼は聞き入れることができず、少女を追って寺を飛び出してしまう。

秋--燃える紅葉が湖面を揺らす。老境を迎えた和尚のもとに、男が戻ってくる。彼は妻を殺し指名手配中だった。凶器のナイフを手放せず激情を抑えきれないかつての弟子を和尚は厳しくもあたたかく見守り、追ってきた刑事の前で彼に般若心経を彫らせる。彼らを見送ったあと、和尚はひとり小舟に乗り、火を放つ。

冬--荒涼たる雪に閉ざされ、凍てついた湖の上を歩くひとりの男。和尚の残した衣服と蛇に迎え入れられた寺で、彼は氷の仏を彫り、かつての師の遺骨をおさめ、氷上で鍛練に励む。ある日寺に顔を隠した女が子どもを抱えてやってくる。女は顔を明かさぬまま、子どもを残し湖に沈んで命を落とす。

そして、春--成長した少年と微笑み合う男。花は咲き、陽ざしは湖面をあかるく照らす--。

水、光、霧、緑、紅葉、氷など、風景画のような自然美。少ない台詞の中で交わされる心と心。ギドクの持ち味が存分にいかされた叙情あふれる作品となっています。

またギドクの映画によくある暗喩的な表現も多く、いっそう作品の深みを増しています。

湖の岸辺、まるで外界との結界のように忽然とある扉。お堂の中にもそれはあります。ただ、褥と祭壇を分かつように置かれている扉の両脇は開いていて、扉を使わなくても出入りはできます。春の朝、目を覚ました少年が開いたその扉は、夏、少女の褥へもぐりこむ青年にとって障壁ではなくなってしまいます。

なぜ狭いお堂の中に扉が必要だったのか。開けること、閉めること。そのくり返し。岸辺へ往復する小舟もくり返し。水を掻く棹もまた、同じ動きのくり返し。そして四季もまた、年をめぐらせくり返し。

自然と同じように、くり返すことには尊い意義があるのかもしれません。

生ける者の命を奪うのと同じように、守るべき約定を破ることは深い業を背負うこと。男は業という重石を背負い、一生を湖面の寺で償いに捧げることを誓うのです。

季節の好みでいえば、私は秋が好きです。そしてこの作品も、秋の場面がいちばん好きです。

他作品で使われたモチーフも多々見られました。山あいの自然(『サマリア』)、顔を隠した女(『絶対の愛』)、神通力(『うつせみ』)、など。しかしそれらよりは毒も少ないし、初心者にはオススメかもしれません。

それにしても、和尚がいきなり猫のしっぽを使って般若心経を書きだしたのには笑ってしまいました。色をつける時にはちゃんと筆を使っていたのに、何故・・・。これも暗喩かと考えましたが、答えは見つかりませんでした。

それにしても、毎度のことながら、彼は女を何だと思っているのか・・・。

評価:★★★☆(3.8)

もうひとりの自分である別人格を、そうとは知らずに恋してしまった少女のお話。

と、いうイントロダクションだけ聞くと、とっても切なくて悲しくて胸にしみ入るファンタジックな恋物語・・・と想像してしまうのですが、

主演が堀北真希ということであまり期待はしていませんでした。

で、期待値どおりでした。

雰囲気としては、深紅に近いです。幼くして両親を亡くし、その時に負った心の傷をずっと癒せないでいるという要素は同じです。そういえば堀北真希も出演していました。

あれもテーマは重いのに消化できず、世にも奇妙な物語の2時間バージョンといった感じでしたが、これもわざわざ映画にするほどの出来ではなかったですね。いかんせん脚本のパンチが弱い。二重人格という重大なネタばらしも、すでに宣伝の段階であきらかになっているので驚けません。脳医学者が出てくるわりには治療のシーンもなく、本人の努力であっさり治っているし。

この作品は前半がみなとの、後半がその恋人であるシュウの視点で展開しますが、彼のキャラが弱いので、後半になるといきなりダレてしまいます。石田卓也は若者が主役の邦画には必ずといっていいほど登場しますが、恋人役としてはあまり魅力がない気がします。グミ・チョコレート・パインあたりはハマっていましたが。

と、まあ、すべてにおいてイマイチ感がぬぐえない映画でしたが、堀北真希は良かったと思います。彼女の魅力が満載でした。一途に恋をするみなとの純粋さ、愛する人に姿を見せることができないナイトの切なさ、それぞれを演じる彼女の雰囲気はうまく撮れていました(決して演技が巧いわけではないのでこういう書き方になる)。

評価:★★☆☆(2.8)

連ドラでも映画でも、とにかく怪しさ満載の演技をする岩松了の初監督作品です。

オダギリジョー(息子)と原田芳雄(父親)のふたりが繰り広げる息子の結婚式までの日々が、田舎の景色を背景に淡々と綴られています。

眼鏡にリュックにチェックのシャツに皮靴、というアキバ系ダサ男の民男。息子にいつ恋人を紹介するか悩む伸男。民男のお見合い相手の瞳は清楚を絵に描いたような超美人。民男にやってきた遅き春に、祝杯をあげる親子。

来るべき佳日に向けてしあわせいっぱいの生活のはずが、天井裏にニューヨークへ行っているはずの叔父が棲みついていたり、今は使われていないはずの祖父の診療所が老人たちのあるまじき憩いの場になっていたり、伸男・その恋人・叔父がいつの間にか三角関係になっていたり、しあわせとは程遠い地味で生活的な波乱が親子を少しずつ取り囲んでいきます。

波はやがて足元にかぶり、そして全身を覆いつくしていく。それに気づいた瞬間、民男と伸男は手に入れたはずのそのしあわせをみずからたたき壊して走り出す。道しるべもなにもない、ふたりだけしか歩かない世界へと。

岩松了といえば三木聡ファミリー。映画で観たのは亀は意外と速く泳ぐだけですが、たいがい意味不明でちょっとズレている人たちばかりが出てくるお話でした。当然のように出演していて何の違和感もなく世界観になじんでいただけあります、岩松了。これもやはり三木聡の匂いがする、「意味不明でちょっとズレているパターン」の作品です。

ただ違うのは、非常に不愉快な場面が多いところ。

『亀』のズレ感は最初から最後までファンタジックでしたけれど、このお話には携帯電話中毒の男(故・忌野清志郎)や、いいトシをして異性への欲求が尽きない男女や、舅を誘惑? する嫁や、次から次へと不快感を醸しだす展開が続きしかも若干リアルなので、ズレがズレであることに気づかず、だからオチでいきなり段差がついてすっ転んでしまう。

世界観にのめりこめなかったら、観る側としては失敗です。

オダギリジョーはどれだけダサ男になりきろうとしてもやはりオダギリジョーですね。カッコイイんです。磨けば光る、「民男」ではない、ということがわかってしまいます。

原田芳雄もしょせん原田芳雄です。カッコイイんです。私生活がちょっとダメな親父でも。原田芳雄みたいな義父なら一緒にお酒を酌み交わしたいですし、ウェディングドレスで抱きつけというなら抱きつけます(いや、自分の義父ならできない! というわけではありませんが・・・)。

だからオダギリジョーと原田芳雄と麻生久美子の3ショットはまったくよくできていて、ごくごく自然なんです。それも失敗のような気がします。

良かったのは大竹しのぶだけです。あれだけキャリアを積んだ大女優なのに、いかにも洗練されていない、だらしないおばさんを演じられるというのは立派です。この人の出てくる場面の不愉快さは、逆に痛快でした。

それにしても麻生久美子の浴衣姿、美しすぎます。同い年ですか・・・_| ̄|○

評価:★★☆☆(2.8)

 

<特別編 ヤスオーのシネマ坊主>

 まず結論から言うと、僕はこの映画とても良かったんですが、非常に世間の評判は悪いですね。一緒に観たさや氏の評価も最悪でした。たしかにラスト30分まではそんなに面白くないですよ。ただ、ラストの結婚式からの展開が素晴らしいんです。だから僕は観終わってまず、「いや面白かった。結婚式になってからのストーリーが良かったよな~。」とさや氏に言ったんですが、まったく同意は得られなかったです。まあ、結婚式でのストーリー展開が気にいらない人は、この映画は面白くないでしょうね。この監督は、この結婚式のシーンが撮りたくて、この映画を撮ったでしょうから。

 僕は、携帯電話を持ちはじめたのがかなり遅かったんです。勤めはじめてから必要にかられて仕方なく持ちはじめましたけど、大学時代はさや氏も含め同年代の知り合い、友人は全員持っていましたからね。お金がなかったからじゃないですよ。携帯電話が大嫌いだからです。誰かと会っている時に、他の奴と携帯電話でメールや電話をすることほど失礼なことは世の中なかなかないんじゃないかと思ってるぐらいですから。「お前は誰とおんねん!そいつとしゃべりたいんやったら、おれと会わんとそいつとずっとおったらええがな!おれは形のうえでは一緒におるけど、お前の心は違うやつのところやん。」ということですよ。しかしほとんどの奴は悪びれずそういうことしますね。そういう奴はこの映画のラストは納得できないだろうなあという気がします。

 僕なりの解釈ですが、この映画は、父と息子が自分たち二人の世界を守る映画です。この二人にとって、自分たちの世界は居心地がいいし、そこにずっといることが二人にとっての「しあわせ」なんです。この映画の登場人物で、きちんとお互いの心が通じ合っているのは、ラストのこの二人だけですしね。お互いにラストの決断をした理由が異なるように描かれていますが、「他人を自分たちの世界に入れたくない」ということで共通しています。そこにさらに民生の母がいることが、この二人にとっての理想郷なんでしょうね。

 もちろん、世間の価値観から考えると、この二人は親離れ、子離れができず、人生の次のステージに行けない、ダメな奴ですよ。だけど僕は、それもありなんじゃないかと思いますね。結婚式での展開は「そりゃこうするしかないやろうなあ。やっとやってくれたなあ!」と爽快感で胸がいっぱいでしたから。世間の多くの人々は、世間の価値観に自分を適応させようと、働いて結婚して子どもを産んでいわゆる幸せな家庭を築こうと頑張りつつ、働きもせず結婚もしない人をバカにする傾向がありますが、僕は後者の人間を前者の人間よりダメな人間とは思いませんし。 両方ダメな人間です。

評価:★4(5で満点)

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