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おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行)
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「2位じゃダメなんですか?」という言葉が盛大な批判を浴びたのはもうずいぶん前のことですが、とにかく日本の政治家は、あらゆる場所からお金を削ろう削ろうとしています。つい最近でも、大阪市長が文楽協会の補助金を削ろうとして、大阪で大騒ぎになりました。
スポーツや文化芸術では、確かに国は豊かにはなりません。それは合理化を望む政治家にとって「ムダ」なものなのでしょう。
しかし国民の心を揺さぶるのは、政治家の街頭演説では決してなく、全身全霊をかけてオリンピックの競技に挑むアスリートたちのまなざしなのです。

スピードスケートの表彰台を独占したのは、ハヤテのごとくリンクを駆けたオレンジの風でした。期待された日本人選手は、メダルという結果を残すことはできませんでした。国をあげてスケート競技の強化につとめるオランダのチーム力に、個人の実力は肩を並べていても、組織としては多くの課題を残す日本はついていけませんでした。

それでもまだ、スピードスケートは恵まれているほうなのかもしれません。
冬季五輪には、新設競技やまだ歴史の浅い競技が多くあります。スノーボードパラレル大回転で銀メダルを獲得した竹内智香選手は、高みをめざして単身スイスへ武者修行へ出かけました。アルペンからハーフパイプへ転向した小野塚彩那選手もまた、多額の遠征費を自己負担しながらの競技生活でした。
「国費を使って送り出しているのに、結果を出せずに申しわけありませんどころか楽しかったなどと口にするのはなにごとか」といった趣旨の発言をした学者がいたようですが、「国費をかけているのに」と文句を言えるのは、他の強豪国と同等の額を出資してからの話だと思います。
東京オリンピックに向けて強化予算の大幅増額を計画しているようですが、冬季の競技にはいったいどのくらいの国費が投入されるのでしょうか。竹内選手の「若い選手が私のように遠回りせずにすむようになれば」という言葉には重みがありました。メダルを取れてよかったね、負けたけれどもよくがんばったねで終わりではなく、開拓者たちの努力と金言をJOCと国はもっと真摯に受け止めてほしいと思います。

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高く、遠く飛ぶことが勝利の条件に思えるスキージャンプには、実は飛型点というものがあります。
今まで目にしたジャンパーで最も美しいと思ったのは、長野五輪で活躍した船木選手の飛型でしたが、まさにモモンガのように両手を広げる葛西選手のスタイルも、なかなか美しいなあと感心しました。
37歳で挑んだ4年前のバンクーバー、個人でも団体でもメダルに届かず、進退も不安視されていた中、「アマンの野郎をぎゃふんと言わせないと!」と視線を4年後に向けていた晴れ晴れとした表情には驚かされましたが、まさか41歳で7度目のオリンピックにも出場するとは、想像もしていませんでした。しかも、若手を差し置いてダントツのメダル候補として。
その活躍は、日本よりも世界で「レジェンド」と称賛されているといいます。
長野後の板の長さやスーツのルール改正は、「日本イジメ」とも言われました。あれから16年。世界を席巻した日本スキージャンプ界は、すっかり欧米に後れを取ってしまいました。それはルール改正だけの問題ではなく、企業、国を含めた競技への消極的な取り組み姿勢にも原因があったのかもしれません。
逆風の中、第一線で奮闘してきた葛西選手。長い長い戦いに、ようやくスポットライトの当たる時がやってきました。
個人ラージヒル、2本目を終えた葛西選手のもとに駆け寄ってきた3人の若手選手たち。あの映像は、それまでのソチ五輪の中でもっとも感動した瞬間でした。ベテランらしからぬ陽気で若々しいキャラクター。背景が報道されるにつれ、尊敬の念以外に沸いてくるものはありません。「新たな目標ができた」と、笑顔の先はさらに4年後。彼は競技者としても、人間としてもまさにレジェンドです。
そして二番目に感動した瞬間は、ジャンプ団体で銅メダルを獲得したあとの葛西選手の涙でした。
所属チームで選手兼監督をつとめる彼は、もしかしたら個人の成績よりも、団体のほうに重きを置いていたかもしれません。長野以来、待ちわび続けられた団体のメダル、それはジャンプ界の未来を占う重要なファクターでもあったのです。
日の丸飛行隊の復活を導いた4人の選手。スランプに悩んだ清水選手。難病を抱えながら五輪にこぎつけた竹内選手、怪我をおして最後まで飛び続けた伊東選手。彼らの思いすべてを背負い、最後のジャンプに挑んだ葛西選手。個人でメダルを獲得した時の満面の笑顔ではなく涙声でインタビューに応じた葛西選手の姿に、日本ジャンプ界の長年の苦悩を知りました。
日本じゅうを感動に包んだ長野五輪、その中心にいたのは解説をつとめた原田雅彦さんでした。
今回のメダルを「長野以上の価値がある」と自画自賛した葛西選手、「彼こそがレジェンド」と称賛の言葉を惜しまなかった原田さん。どちらも、スキージャンプを語るうえでは欠かせない歴史の名場面として、永遠に語り継がれていくことでしょう。

そしてもうひとつ、かつて日本が勝ち得た栄光を追い続けた競技がノルディック複合。
あれはアルベールビルであったか、リレハンメルであったか。「キング・オブ・スキー」と名高い荻原健司さんが日の丸の旗を誇らかに掲げ、ゴールした瞬間は今でも憶えています。
しかしそれ以降、日本チームは苦境に立たされることになりました。
それが前半のジャンプの比重を下げた新ルールによるものなのか、競技界全体の問題なのかはわかりません。しかし日本人が後半のクロスカントリーで勝ち切るには、あまりにも欧米とはフィジカルの差がありました。
それを少しずつ、少しずつ埋めてきたこの20年。
競技が行われるのはオリンピックだけではありません。W杯では着実に、成績を残してきました。しかしメディアが注目するのは五輪のみ。渡部選手が、「真に価値があるのはW杯総合優勝、しかし五輪でメダルを取らないと意味がない」という趣旨の発言をしたのも、偽らざる本音でしょう。
フレンツェル選手との見ごたえあるデッドヒート。メダルの色を分けたのは、やはり最後の最後、フィジカルの差であったのかもしれません。しかし登り坂で一気に勝負に出た渡部選手の勇気には、「複合ニッポン」の復活ののろしを感じました。
そして、「複合ニッポン」を牽引してきた荻原健司さん。渡部選手が大ジャンプを見せた時、解説であることも忘れて歓喜した様子、銀メダル獲得後、「今の選手のほうが断然強い、自分たちはとうていかなわない。そういう世界で銀メダルを取れたことは本当にすごい」と手ばなしでの称賛。別番組で司会をつとめていた荻原次晴さんは、本番中にもかかわらず号泣しました。彼らの姿にもまた、ノルディック複合のこれまで立たされてきた苦境、選手やスタッフたちの苦悩を思い、20年ごしのオリンピックメダルにこめられた先人たちの悲痛な思いを強く感じました。
「キング・オブ・スキー」。日本選手がふたたびその称号を手にする日は、そう遠くないかもしれません。

オリンピックでメダルを手にすることによりおよぼす影響は、小さいものではありません。
もちろん、冬の屋外競技には天候やコースの条件など違いがあり、その場限りの結果で世界ランキングの成績が決まるわけではありません。
しかし、4年に一度の大きな大会。メディアの取り上げ方にも問題はありますが、やはりオリンピックのメダルには特別な意味があります。
スキージャンプ、そしてノルディック複合、子どもたちが彼らの活躍を目にし、オリンピックを夢見て競技を始めるかもしれません。
それこそがオリンピックの価値なのだと、つくづく思います。
冬の競技につきものなのが、ジャッジによる採点。
時には「ん?」と首をかしげたくなるようなその点数によって、メダルの色が変わり、表彰台とそれ以外に分けられてしまいます。

どうして、オリンピックの表彰台は最後まで彼女を拒絶したのでしょうか。
上村愛子選手が女子高生スキーヤーとして話題を集めた長野五輪。あこがれの金メダルを手にしたのは彼女の先輩・里谷多英さんでした。
それから16年。ソルトレーク、トリノ、バンクーバー。スピードを上げ、男子なみのエアを披露し、世界屈指のターン技術を身につけてもなお、表彰台には届きませんでした。
休養に入った彼女を再び競技の世界へ導いたのは生涯の伴侶の言葉でした。しかしその間に、モーグル界にも変化の波が訪れていました。
モーグルはタイムを争うとともに、採点競技でもあります。
オリンピックの採点競技においては、それまでのシーズンにおいて与えられた点数が、基礎点にもなります。上村選手の磨き上げられたターン技術は、もう世界の潮流の中心にはありませんでした。上村選手もそれを知っていました。知っていてなお、最後まで自分らしい滑りを貫きました。

「集大成」。多くの選手がそれを口にします。ですが、あまねく思い残すことなく実力を発揮し自分自身を表現することは容易ではありません。競技であればなおさら、環境や天候に左右されるところもあります。まして今回のモーグル会場は、屈指の難コースと言われていました。しかも第一滑走。集大成を賭けるには厳しい条件でした。
ソチオリンピック、女子モーグル、決勝3本目。
上村選手の滑りは、圧巻でした。
正確なターン、美しいエア、そして圧倒的なスピード。「集大成」にふさわしい滑りを披露した直後、彼女はゴーグルの下で泣いていました。
すべての選手に点数がくだされ、最後の五輪でも表彰台に届かなかったと知った後、彼女は笑顔を見せました。そして「すがすがしい」と言いました。全力を尽くした、悔いはない、と満足感にあふれた表情で。
この悪条件で、彼女らしい「集大成」の滑りを全うした――それが5度目のオリンピックで、彼女に与えられた輝きでした。

見ている者は、なぜ、と思う。採点競技につきものの不透明感。第一滑走だから点数が抑えられた、今シーズンの実績が少ないから不利、そんな理由は素人には納得できません。最後の滑りに関してだけは、上村選手のそれは他を圧倒していたはずなのです。
それでも、彼女の言葉に、嘘はなかった。最後の最後で、彼女の涙は意味を変えた。表彰台ではなかったけれど、彼女の最高の笑顔はメダル以上に美しい光をもって、私たちの心を輝かせてくれたのです。

その採点について過去に幾度も疑問視され、ルール改正を重ね続けているにもかかわらず、あいかわらず闇は深い(としか思えない)フィギュアスケート。
知れば知るほど、やるせない思いに包まれます。

それでもメダルを取ればうれしいし、それが表彰台のいちばん高いところであればなおさらです。
羽生結弦選手の、完璧なショートと成長のあとを感じさせるフリー。
その演技をはじめて見たのは、バンクーバーの選考会を兼ねた全日本選手権でした。ジュニアを制したというまだ幼さを残した少年は、ひらひらした衣装を身につけて優雅に舞っていましたが、やはり第一線で活躍する高橋・織田・小塚の代表選手たちと較べればまだまだ見劣るところ多く、次代を担うには技量不足であると感じました。なんというこの先見の明の無さ。

4年という期間は、伸び盛りの少年を青年に変えました。卓越した4回転ジャンプは世界トップレベルの技術点に、柔軟性を備えた個性あふれる演技は演技構成点に。彼を取り巻く環境も、4年の間に転変しました。かつて選手不足とされていた男子フィギュア界は、いつのまにか人材の宝庫となり、オリンピック選考会は世界でも例を見ないほどの激戦区となりました。
4年の間に、日本の頂点に君臨することとなった羽生選手。彼をそこへ導いたのは、オーサーコーチの手腕に寄るところが大きいことは語るに避けては通れないでしょう。かつての名選手であり名コーチとなった彼のもとへ弟子入りしたことで、試合ごと彼に与えられる点数は大幅にアップしました。
高難度ジャンプである4回転サルコーに挑み、そしてそれを失敗したとしてもなおリカバリーできるプログラム。フリーの最後にはいつも息切れしていたかつての羽生選手の姿はもうそこにはありません。後半にジャンプを集中させても最後まで演じきることのできる体力を、この4年で彼は身につけました。
もちろん、オリンピックはひとすじ縄にはいきません。4回転以外のジャンプはいつも軽々決める羽生選手が、フリップジャンプでまさかの失敗。それでも気持ちを切らさずに演じ続けたロミオとジュリエット。音楽に合わせたイナバウアーには、トリノ五輪の荒川選手を思い出しました。シニアデビューのプログラムよりもずっと洗練された、力強いロミオの気迫でした。

団体戦から日をおかず行われたフィギュア男子。プルシェンコ選手は滑らずして棄権しました。多くの選手がパーフェクトを決められず、ショートを終えてメダル争いは大混戦。フリー後にはショート9位の選手が銅メダルを取りました。
11位から5位まで巻き返した町田選手。あの失敗がなければ…団体戦の日程が変わっていれば…と思わずにはいられませんが、これも結果。彼の語るティムシェルは確かにこの胸に刻まれました。競技とは一変してコミカルな表情を見せたエキシビション。「最初で最後の五輪」と公言していましたが、彼の決意は揺らぐこともあったでしょうか。
怪我の影響を隠せなかった高橋選手。三度目にして最後のオリンピックは、6位で終えました。寸前には、意図せずして楽曲をめぐる騒動に巻き込まれてしまいました。ジャンプに精彩を欠き、力強さはありませんでした。それでも高橋選手の魅力はリンク全体から伝わりました。怪我に苦しみ続けたフィギュア人生、その集大成。男子フィギュア界がこれほどの隆盛をきわめているのは、高橋選手のたゆまぬ努力のおかげに他なりません。
悔しさも満足感も、すべて浄化したようなキス&クライの穏やかな表情に、彼の長い『道』はバンクーバーからソチへ、ここにつながっていたのだと感じました。
そして高橋選手とともにフィギュア界の先頭を走り続けたのが織田信成さん。試合後出演した番組で、画面ごしに「大ちゃ~ん」と呼びかけるなりぼろぼろ泣きだした、その場面だけで彼らの絆の強さが伝わりました。

多くの笑顔も、涙も、そのひとつひとつが強く印象づけられるオリンピックの毎日です。
男子フィギュアのSP録画をしていたので早起きしました。

早送りしてお目当てだけ見て、起床した時は真っ暗だったのでよくわからなかったけれど、雪はどうなっただろうと窓を開けてみたら、


Σ(゚Д゚;)ガビーーーーン


これはイカン! とあわてて用意してバス停へダッシュ。

あっ、写真だけ撮っておこう♪



…などと余裕をかましていたら、大通りへ出たところで数十メートル先のバス停から発車するバスの姿が。
あちゃー、次を待つか。

……

待てどくらせど、来ません。
それもそのはず、待つ間にもどんどん雪は降り積もり、行きかう車はスローペース。
やっと来たと思ったら、「満員ですので次のバスをご利用ください」。見送ること数台。
屋根の下にあふれる人でバス停もぎゅうぎゅう。
やっと乗れたのは結局いつもと同じ時間。チェーンを巻いたタイヤのせいで揺れる揺れる。
ぐむむ…写真なんて撮っている場合ではなかったか…。
もちろん電車も遅れ、駅から職場までこれまたダッシュ。溶けた雪に気をつけながら走ったせいで股関節痛むわ、雪まみれでびしょびしょだわ、よれよれ。

雪は休日に限ると心から強く思う、勝手な金曜日の朝でした。


いよいよ冬の祭典が始まりました。
時差をうらめしく思いながらの17日間。
寒波も吹き飛ばす戦いの数々に、胸を熱くさせる毎日です。

なに? 滑り台? マトリョーシカ? と、あっけにとられてばかりのスノボスロープスタイル。「まわしてまわして~~」の実況も不思議なこの競技、角野選手の律儀なお礼とスタート前の謎の編み物に、初日から虜にされました。

正直「いらんやろ」と思っていたフィギュア団体戦。いきなり羽生選手が圧巻の演技を魅せてくれました。皇帝プル様(プルシェンコ選手)の復活もうれしい。…と言いながら、観ていませんでした。「どうせ本番は個人戦だしぃ」と…。後々心底後悔したのですが…。国別対抗戦とは雰囲気も大幅に異なっており、慣れない競技に選手たちは少しとまどいもあったでしょうか。浅田選手も今までにないプレッシャーを感じてしまったようです。調整の難しさもあったでしょう。…ま、得点の大盤振る舞いを見ても、開催地ロシアに花を持たせるための新設だったのかもしれませんね~。
しかし日本がFPへ進めたのは、リード姉弟と高橋・木原ペアのがんばりも大きかったと思います。もっとクローズアップされても良いのにと思いました。

4年前、バンクーバーで圧倒されたショーン・ホワイト選手のスノーボードハーフパイプ。新進気鋭の日本人選手がいることは耳にしていましたが、予選の滑りを見るにショーンの連覇は固いだろうと信じて疑いませんでした。平野選手・平岡選手のメダルへの重圧を感じさせないエアの連続も見事でしたが、ポドラドチコフ選手の人生2回目という大技を呼び寄せ、絶対王者のミスを誘い出したオリンピックという名の魔物には驚かされました。

魔物とは自分の中に棲んでいるものだと誰かが言いました。

もちろん、最初からそんなものは存在しないのです。
最初に誰が言い出したのでしょうか。周囲が、勝手に想像していた結果と異なる展開をまのあたりにした時に、自分の感情を整理するために作りだした都合のよい言葉にすぎません。勝負ごとはその場で決する一回限り。人間ですからミスもする。百回やって百回勝っていても、千回目には、一万回目にはどうなるかわからないのです。その一回が、たまたまオリンピックの舞台であっただけの話。

ただ、女子ジャンプ高梨沙羅選手の結果について、さすがに「魔物」と耳にはしませんでした。さほど興味がなくて、今季何回優勝、台落ちゼロというメディアが大々的に報じた前情報だけを目にすれば、「メダル間違いナシ!」と勝手に期待した視聴者はきっと少なくないでしょう。
ただ、はじめてのオリンピックで4位入賞という結果にも悔し涙を流し、インタビューでは相手の目を見ながら気丈にもひとことひとことはっきりと謝罪と今後の目標を口にする姿を目にした時、17歳の聡明な少女が、その小さな肩に背負ったはかりしれない重圧を、テレビ越しに背負わせてしまった自分勝手な期待の無意味さを思い知らされることとなったのです。

今回に限らず、優勝候補以外の出場者の実力を知りもせず、自分たちの無知を棚に上げて魔物などと見えない力のせいにするのは、その競技に対して多くのものを犠牲にしながら研鑽を積んできた出場選手すべての努力を愚弄する浅はかな行為なのかもしれないと感じました。
もちろん、オリンピックという4年に一度世界が注目する大舞台で勝つことは、国際大会で何度優勝しても手に入れられない栄光なのかもしれません。
それでも高梨選手の色あせない輝きは、確かにこの目に焼きついています。彼女の戦いを、笑顔を、これからも何度も目にすることができますように。

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