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おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行)
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冬の競技につきものなのが、ジャッジによる採点。
時には「ん?」と首をかしげたくなるようなその点数によって、メダルの色が変わり、表彰台とそれ以外に分けられてしまいます。

どうして、オリンピックの表彰台は最後まで彼女を拒絶したのでしょうか。
上村愛子選手が女子高生スキーヤーとして話題を集めた長野五輪。あこがれの金メダルを手にしたのは彼女の先輩・里谷多英さんでした。
それから16年。ソルトレーク、トリノ、バンクーバー。スピードを上げ、男子なみのエアを披露し、世界屈指のターン技術を身につけてもなお、表彰台には届きませんでした。
休養に入った彼女を再び競技の世界へ導いたのは生涯の伴侶の言葉でした。しかしその間に、モーグル界にも変化の波が訪れていました。
モーグルはタイムを争うとともに、採点競技でもあります。
オリンピックの採点競技においては、それまでのシーズンにおいて与えられた点数が、基礎点にもなります。上村選手の磨き上げられたターン技術は、もう世界の潮流の中心にはありませんでした。上村選手もそれを知っていました。知っていてなお、最後まで自分らしい滑りを貫きました。

「集大成」。多くの選手がそれを口にします。ですが、あまねく思い残すことなく実力を発揮し自分自身を表現することは容易ではありません。競技であればなおさら、環境や天候に左右されるところもあります。まして今回のモーグル会場は、屈指の難コースと言われていました。しかも第一滑走。集大成を賭けるには厳しい条件でした。
ソチオリンピック、女子モーグル、決勝3本目。
上村選手の滑りは、圧巻でした。
正確なターン、美しいエア、そして圧倒的なスピード。「集大成」にふさわしい滑りを披露した直後、彼女はゴーグルの下で泣いていました。
すべての選手に点数がくだされ、最後の五輪でも表彰台に届かなかったと知った後、彼女は笑顔を見せました。そして「すがすがしい」と言いました。全力を尽くした、悔いはない、と満足感にあふれた表情で。
この悪条件で、彼女らしい「集大成」の滑りを全うした――それが5度目のオリンピックで、彼女に与えられた輝きでした。

見ている者は、なぜ、と思う。採点競技につきものの不透明感。第一滑走だから点数が抑えられた、今シーズンの実績が少ないから不利、そんな理由は素人には納得できません。最後の滑りに関してだけは、上村選手のそれは他を圧倒していたはずなのです。
それでも、彼女の言葉に、嘘はなかった。最後の最後で、彼女の涙は意味を変えた。表彰台ではなかったけれど、彼女の最高の笑顔はメダル以上に美しい光をもって、私たちの心を輝かせてくれたのです。

その採点について過去に幾度も疑問視され、ルール改正を重ね続けているにもかかわらず、あいかわらず闇は深い(としか思えない)フィギュアスケート。
知れば知るほど、やるせない思いに包まれます。

それでもメダルを取ればうれしいし、それが表彰台のいちばん高いところであればなおさらです。
羽生結弦選手の、完璧なショートと成長のあとを感じさせるフリー。
その演技をはじめて見たのは、バンクーバーの選考会を兼ねた全日本選手権でした。ジュニアを制したというまだ幼さを残した少年は、ひらひらした衣装を身につけて優雅に舞っていましたが、やはり第一線で活躍する高橋・織田・小塚の代表選手たちと較べればまだまだ見劣るところ多く、次代を担うには技量不足であると感じました。なんというこの先見の明の無さ。

4年という期間は、伸び盛りの少年を青年に変えました。卓越した4回転ジャンプは世界トップレベルの技術点に、柔軟性を備えた個性あふれる演技は演技構成点に。彼を取り巻く環境も、4年の間に転変しました。かつて選手不足とされていた男子フィギュア界は、いつのまにか人材の宝庫となり、オリンピック選考会は世界でも例を見ないほどの激戦区となりました。
4年の間に、日本の頂点に君臨することとなった羽生選手。彼をそこへ導いたのは、オーサーコーチの手腕に寄るところが大きいことは語るに避けては通れないでしょう。かつての名選手であり名コーチとなった彼のもとへ弟子入りしたことで、試合ごと彼に与えられる点数は大幅にアップしました。
高難度ジャンプである4回転サルコーに挑み、そしてそれを失敗したとしてもなおリカバリーできるプログラム。フリーの最後にはいつも息切れしていたかつての羽生選手の姿はもうそこにはありません。後半にジャンプを集中させても最後まで演じきることのできる体力を、この4年で彼は身につけました。
もちろん、オリンピックはひとすじ縄にはいきません。4回転以外のジャンプはいつも軽々決める羽生選手が、フリップジャンプでまさかの失敗。それでも気持ちを切らさずに演じ続けたロミオとジュリエット。音楽に合わせたイナバウアーには、トリノ五輪の荒川選手を思い出しました。シニアデビューのプログラムよりもずっと洗練された、力強いロミオの気迫でした。

団体戦から日をおかず行われたフィギュア男子。プルシェンコ選手は滑らずして棄権しました。多くの選手がパーフェクトを決められず、ショートを終えてメダル争いは大混戦。フリー後にはショート9位の選手が銅メダルを取りました。
11位から5位まで巻き返した町田選手。あの失敗がなければ…団体戦の日程が変わっていれば…と思わずにはいられませんが、これも結果。彼の語るティムシェルは確かにこの胸に刻まれました。競技とは一変してコミカルな表情を見せたエキシビション。「最初で最後の五輪」と公言していましたが、彼の決意は揺らぐこともあったでしょうか。
怪我の影響を隠せなかった高橋選手。三度目にして最後のオリンピックは、6位で終えました。寸前には、意図せずして楽曲をめぐる騒動に巻き込まれてしまいました。ジャンプに精彩を欠き、力強さはありませんでした。それでも高橋選手の魅力はリンク全体から伝わりました。怪我に苦しみ続けたフィギュア人生、その集大成。男子フィギュア界がこれほどの隆盛をきわめているのは、高橋選手のたゆまぬ努力のおかげに他なりません。
悔しさも満足感も、すべて浄化したようなキス&クライの穏やかな表情に、彼の長い『道』はバンクーバーからソチへ、ここにつながっていたのだと感じました。
そして高橋選手とともにフィギュア界の先頭を走り続けたのが織田信成さん。試合後出演した番組で、画面ごしに「大ちゃ~ん」と呼びかけるなりぼろぼろ泣きだした、その場面だけで彼らの絆の強さが伝わりました。

多くの笑顔も、涙も、そのひとつひとつが強く印象づけられるオリンピックの毎日です。
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ヤスオーと古都の片隅で暮らしています。プロ野球と連ドラ視聴の日々さまざま。
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