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おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行)
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モデル慣れしてるのかな。

シャッターを押すまで、カメラ目線でいてくれました。
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ひさびさに月ヶ瀬の梅を見に行きました。

今年は直通バスで。
奈良駅から約一時間半かかります。同じ奈良市内なのですが…。

山道を揺られて。

着きました。

いいお天気です。
今年はウォーキングせず、梅林だけまわるプラン。


胸いっぱいに満ちる香りと青い空と緑と紅色のコントラストを堪能。



ちょうどお昼時とあって、見晴らしの良いお茶屋さんはどこもいっぱい。



こちらの上の梅林で、お昼を食べることにしました。



何色にしようかな。



これにしよ。



家族連れやカップルがお弁当を広げる中、駅前のスーパーで買ったおにぎりを頬張る。



やっぱり、春っていいな。
分厚いコートも冷たい空気も肩が凝る。服も気分も身軽になれば、花の匂いに誘われて、外にでかけてみたくなる。



このまま昼寝してしまいそう。



デザートは梅ソフト。ほんのり甘酸っぱい。外で食べるには少し寒いので、ストーブのついた室内で…。

帰りのバスまでまだ時間があります。
よし、温泉だ。

月ヶ瀬温泉まで坂道をのぼると、なんと順番待ちの列ができるほどの盛況ぶり。
リニューアルオープンしてからははじめてです。露天風呂がきれいになり、数も増えていました。西日が強いのは相変わらずでしたが。

隣のふれあい市場でいつもの肉厚しいたけやらお茶やら買い求めているうちにバスの時間が。あわててバス停へ。

と、その前に焼きたて草餅!



帰りも直通バス。行列の最後尾でしたが、なんとかぎりぎり座れました。いつのまにやら睡眠。

梅と温泉。至福の休日。また来年。


こうの史代さんが奈良にやってくる!

と、聞いて、いちもくさんに応募した「古事記を語る講演会」の8回目、「絵で読み解く古事記(神代編)/講師:漫画家 こうの史代」。
当選メールが届いてから、ウキウキとこの日を待ちました。

当日は大雪の降った翌日。溶け残る雪に注意しながら、いざ会場へ。

空いている席に座りかけると、「先生はイラストを描かれながらお話しますので、どうぞ前の方へ」と係の人へうながされ、前列へ。
終了後はサイン会もあるということで、『ぼおるぺん古事記』の一巻を求めて開会を待ちました。

純粋に古事記に興味があって訪れた人がほとんどのようです。先生の略歴や、『ぼおるぺん古事記』の一場面が紹介されると、会場からは感嘆の声が聞かれました。

もちろん作品は全巻通して読んでいましたが、あらためてそのウラ話を聞いてますます古事記への興味が湧くと同時に、クリエイターとしてのこうの先生の観察眼の鋭さに感服しました。

『ぼおるぺん古事記』は古事記の膨大な登場人物(神様)たちに個性的なキャラクターを与え、その行動ひとつひとつにユニークな意味を持たせ、「神様」なのに「生身の人間」のように生き生きした神々たちの物語を視覚的に感じることのできる物語に仕上がっています。

硬質な原文は叙事的で、具体的な外見や世界観、登場人物の感情の記述はほとんど見られません。だからこそ、『古事記』を読むことは、読み手の想像力がふくらみ、自分なりに肉づけできる楽しみがあります。
最初は、こうの史代さんがなぜ『古事記』を描いたのか、不思議でした。
ですが『古事記』には歴史ものにはつきものの「史実」や「時代考証」の制約がなく、自由に表現できると語ったこうのさんの言葉に納得しました。
二次元独特の表現力に突出しているこうのさんが『古事記』に惹かれたのは必然だったのでしょう。

『古事記』を読むにあたって印象的なのがオノマトペ。日本語は世界的に見てもオノマトペが多い言語だと言われますが、その原点はもしかしたら『古事記』にあるのかもしれません。古代人の表現力の豊かさには感心します。現代では使われない擬音(たとえば「塩を《こおろこおろ》にかきまぜて」)も、なぜか頭の中でなんとなく感じられてしまう。

紙の上で無限の世界を表現するこうの史代さん。漢字だけの文章で神々のクニを作り上げた稗田阿礼。
こうの先生は「稗田阿礼は女性だと思う」と言っていました。なぜなら、『古事記』には変な女が多すぎるから。男性が女性を描く時は一種の理想像として登場させることが多いが、女だからこそ同性を変人にすることができる。ナルホドなあ、と思いました。

こうの先生らしい素朴で作品の愛に満ちたコメントの数々に、外の寒さを忘れてしまうほどあったかくて笑いの堪えない講演会でした。
待ちに待ったサイン会。なんとイラストも入れてくれました! 前の人は因幡の白ウサギ。自分のは何かなあ、と期待したら「こっこさん」でした。目がキランと光っていました!
家宝にします( ;∀;)

また『古事記』を読んでみよう。


一時流行したけれど、口にする機会がなくて。
はじめてかもしれない。いただきもの。

ウ,ウマ━━━Ψ(°д°;!)━━━!!

手軽に口へ放りこめるこの絶妙なサイズ。
フォルムのかわいらしさ。
カリカリモッチリ食感。
なんとも、女子ゴコロをくすぐるではありませんか…。

こんなアイテムがこの世にあったとはぁ!

ひとりじめ…するはずでしたが見つかっちゃいました。

Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2010年 3/18号 [雑誌]

2010年。浅田真央選手の涙が印象的だったバンクーバーオリンピック特集の表紙は、彼女の笑顔でした。

それから、4年。

Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2014年 3/13号 [雑誌]

やはり、表紙を飾ったのは浅田選手。
しかしその写真は、笑顔でオリンピックを終えたはずの彼女の、涙する姿でした。

信じられない朝でした。

プレッシャーからか調子の上がらなかった団体戦をひきずった、いやそれ以上に別人のようなショートプログラムでした。
見たことのないジャンプのたび重なる失敗。むしろよくあれだけの演技構成点が出たとも思います。キス&クライの、そしてインタビューでもなおうつろな表情に胸を痛めました。

彼女に用意された結末が、こんなものであっていいはずがない。

神様。どうか、真央ちゃんに最高の笑顔を。

翌朝。
起床してまず目に飛びこんできたのは、「浅田真央ノーミス6位」のニュースでした。昨日は起きるなりいちもくさんに録画を再生した私でしたが、結果があまりにも辛くて、この日は早起きせず先にニュースを見てしまったのです。あわてて再生。

ああ、どうして昨日と同じように見なかったのだろう。
結果を知っているのといないのでは、おそらく心を揺さぶる感情の大きさは倍以上違っていたに違いありません。
しかし、知っていながらも、出勤前の顔をボロボロ汚す涙は抑えきれませんでした。

涙。
それから、笑顔。

笑顔から涙になったバンクーバー。泣かないで、と思わずテレビごしに呼びかけてしまった4年前のことを思い出しました。フィニッシュのポーズのままこらえきれず嗚咽した浅田選手と、一緒になって泣きました。

躓いたショート。圧巻のフリー。それは、彼女の歩いてきたこの4年間の人生そのものだったのかもしれません。
オリンピックで銀メダルに輝き、世界選手権を制し、それでもなおみずからの基礎を見直し、固め直す決意をした4年前。ポリシーでもあったトリプルアクセルの封印。先の見えない矯正の日々。日本を、そして彼女自身を襲った数々の困難。ひとつひとつ壁を乗り越え、立つことのできたソチのリンク。
4年前のように、表彰台には届きませんでした。
それでも、青い翼を背に授かった彼女は、望むところへ降り立ったのです。めざすところの「集大成」へ。

こんな結果を望んでいたわけではない。
それでも、浅田選手を応援しながら、もしかしたらこんな結末をずっと夢見ていたのかもしれない。
自分勝手なファンの、これも「集大成」であったのかもしれません。

・・・

コストナー選手の銅メダルには本当に感動しました。
トリノとバンクーバー、期待されながら実力を発揮できないまま、27歳というベテランスケーターになっていました。三度目のオリンピックを迎え、結果を残せたこと、昔から応援してきたファンとして本当にうれしく思います。間際になっての曲変更、さらにはショートの連続3回転の難度を上げるという勝負も功を奏し、おそらく最後のオリンピックでついに表彰台に上がることができました。慈愛に満ちたアヴェ・マリア、フィギュアの芸術性を堪能できたボレロは、フィギュア史に残る名プログラムであったと思います。おめでとうコストナー。

鈴木明子選手は怪我を抱え精彩を欠いてしまいました。それでもベテランらしいリカバリーで気迫を見せてくれました。ショートもフリーも、最後と位置づけるオリンピックの舞台にふさわしい思いのこもったプログラムでした。
いっぽうはじめてのオリンピックに呑まれてしまったのは村上佳菜子選手。今季不調であったことも、点数の伸びない原因だったのかもしれません。確実に今後の女子フィギュア界の先頭に立っていく選手。これを糧に、世界のトップを狙っていってほしいです。

団体戦、ロシアはショートにリプニツカヤ選手、フリーでソトニコワ選手が出場するものだと思っていました。どちらもリプニツカヤ選手が滑ると聞いた時には驚きました。団体金に貢献したリプニツカヤ選手と出番のなかったソトニコワ選手ですが、個人戦では立場が逆転。団体個人の両方で金メダルを狙いに行くための温存作戦だとしたら…おそロシア。
リプニツカヤ選手の演技は15歳らしい愛らしさと15歳らしからぬ迫力を持つ、まさに今しか滑ることのできないプログラムでした。彼女に関しては、成長期前、技術のぐんと伸びる時期にオリンピックが行われるという、まさに絶好のタイミングでの出場だったのだと思います。背が伸び始めるであろうこれからが本当の勝負でしょう。
ホームであること以上に大観衆を味方につけたソトニコワ選手。成長期を終えてすべての要素に安定感が増しました。キムヨナ選手の代名詞でもあった3ルッツ+3トーループは、今や多くの若手選手が武器にするようになりました。ソトニコワ選手もそのひとり。「元祖」を凌駕する迫力ある連続ジャンプでした。
このオリンピックで引退を明言していた前回の金メダリストに、4年前の面影はありませんでした。冒頭の高難度連続ジャンプも、前回に較べてスピードも高さも劣りました。まして他の選手がより高く、速く跳ぶようになってしまっていては、見栄えもしません。それでも最終滑走にふさわしい実力を、本来の彼女は持っていたはずであった、ということを想起させる滑りでした。キス&クライで点数を待つ間、そして点数が表示された後、彼女の表情を見て、おやと思いました。今までのキムヨナ選手の印象とずいぶん違っていたからです。すっきりしたというか、憑きものが落ちたというか。ああそういえば、彼女はいろんなものを背負いながらスケートをしていたのだと思いだしました。はじめて見た頃は、イキイキと滑っていました。その頃のキムヨナ選手が好きでした。誰しもがそうであるように、練習は苦しいけれどフィギュアが好きで、好きだから競技を続けている、選手皆そういう思いが見ているだけで伝わってくるのに、いつからか何の思いも伝わってこない滑りをするようになっていた、と。いったいどうして彼女はフィギュアを続けているのだろう、きっとこちらからは想像もつかないようないろんな事情があるのだろう。それらから解放されて、キムヨナ選手がもう一度スケートを好きになってくれて、10代の頃のようなイキイキした滑りをもう一度どこかで見ることができたらいいな、と思います。

・・・

採点は、あいもかわらず、といったところでした。
ショートを終えて日本の3選手がメダル争いから離れたことで、上位の点数にはあまり関心を持たなかったのですが、冷静に振り返れば、やはり「なぜかオリンピックだけ超バブリー」な結果です。
勝負ごとに、たらればは無意味ですが。
もし、浅田選手がショートをそこそこで終えていたら。そしてさらに、フリーであの滑りをしていたら。メダルはどうなっていたでしょうか。
おそらく、手に届いていたかはどうか怪しいと思います。もしそうなっていたら、真央ちゃんのフリーの感動は半減してしまいます。ですので、むしろメダル圏外であったからこそ、純粋に陶酔できたのだと思います。
6種8トリプル。できればそうしてほしいなあ、と願ったプログラムでした。回転不足(と書いていちゃもんと読む)のため達成はなりませんでしたが、史上初めての試みは、果たして今後の女子フィギュア界に一石を投じる結果となったでしょうか。
男子に比べて難度を下げて得点を狙う構成が多い、と言われる女子フィギュアですが、高難度の3-3回転は、今や若手の多くが挑戦するようになりました。3アクセルを試みる選手も、現われてくるかもしれません。オリンピックを終えておそらく、ルールも採点基準も大きく変えられてくるでしょう。ソトニコワの武器であるセカンド3ループの回転不足も取られにくくなればいいなあ、と思うのですが。
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自己紹介:
ヤスオーと古都の片隅で暮らしています。プロ野球と連ドラ視聴の日々さまざま。
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