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おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行)
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『てっぱん』番外編! 待ってました! いろいろ気になっていたんだよねえ。社長さんが主人公かあ、幸せになってほしいなあ。あかりと駅伝くんの恋は無事進行しているのかなあ。初音さんのキップいい啖呵がひさしぶりに聞けるんだねえ。

・・・と期待満載で観たのですが、やはり45分ですべて描くのは無理でしたか。初音さんはじめ主要人物はほとんど出なかったし。

社長さんのヘタレからの脱却という主題は達成されたものの、ちょっと味気なかったです。馬場園ちゃんを持ってきたのもちょっと役者不足。かわいかったしお似合いだったけど。

見どころといえばあかりと駅伝くんのひさびさキュンキュンでしょうか。「あかり」と呼んだところに食いついてしまいました。本編では「あいつ」「おまえ」だけだったような気がしたので。「滝沢さん」はそのままなのね。

「どこのイケメンかと」という台詞にはあえてツッコミませんけれども(観ていないし笑)、他のドラマを経験したせいか、あかりがあかりでなくなっていたような気がしました。尾道弁もひさしぶりだったせいか少し不自然でしたし、ちょっと他人行儀なあかりでした。

そんな中通常運転だったのは岩崎先生・・・。最後の最後まで・・・。本人も制作側も相当気に入っているように感じるのですが。次のBK朝ドラのどこかで再登場してくれないかなあ。

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『カレ、夫、男友達』

最後まで観てみれば、どうしてタイトルがこうなったのか、不可解です。原作は確かにドラマとしては使い難いタイトルですが、それにしてももう少し吸引力のあるネーミングでも良かったのではないかと。

三姉妹が好演でした。麻ちゃん治ちゃん育ちゃんと、それぞれキャラクターが明確でそれぞれ魅力的で、共感できるところもできないところもいかにも人間くさく、その父母も個性豊かで、いわゆる「フツウ」ではないのに手触りがはっきりしている感じが好きでした。

ユースケも最後には憑きものがはがれたかのように、あのマヨネーズぶっかけ事件の時のおどろおどろしさがなくなっていたのは、さすがの演技力です。もうバラエティでユースケを観ても怖がらずにすみそうです。記憶喪失は本当なのか、それとも邦一の愛の残滓だったのか、それは観る者に委ねられたようですが、麻ちゃんの長回しの号泣には胸が痛くなりました。

熊ちゃんはミスキャストですかねー。標準語にはやはりなじめませんでした。

 

『カーネーション』(途中)

「おもしろい!!!」

と、毎日夢中で観ています。

『ゲゲゲの女房』で朝ドラをひさしぶりに観て以来、ずっと録画し続けていますが、毎日再生が待ち遠しくなるのはゲゲゲの貧乏時代以来です。

泣けて、笑えて、感心して、15分があっという間。

『てっぱん』『おひさま』には連発した首をウームと傾げてしまう展開が、『カーネーション』には今のところひとつもありません。実在の人物のお話だからでしょうか。「今日のお米にもこと欠く隻腕の貧乏漫画家が四十すぎて超売れっ子になるなんて、そんな漫画みたいな話があるか!」というゲゲゲも水木しげる先生の話なんだよと言われれば純粋に楽しめたように、こちらも「なんの実績もない女の子の作った洋服が心斎橋百貨店の制服に採用だって? 二十歳そこそこの小娘が洋裁屋を切り盛り? できるわけないだろう!」とかなり初期段階でツッコんでしまうところですが、これまたすべて本当の話なのですから驚きです。

スピーディで飽きさせない脚本もさりながら、尾野真千子の熱演もすばらしい。『mother』の虐待母の面影はひとつもありません。パワフルで前向きで、それだけなら自分とはかけ離れたスーパーマンですが、時には落ち込みながらも無理をせず、人の手も借りつつ自分でも考えつつ状況を打開していくところが非常に人間味があって、共感できます。小林薫の父親役も見ごたえがありました。横暴で乱暴で、でも弱さもあって、しかも娘をちゃんと最良の方向へと導いて、憎めない大阪オヤジでした。酔ってろれつが回らない場面なんて、うちの父親そっくりだったな・・・。フニャフニャ千代さんも、『仁』の未亡人とはかけ離れた演技ですが、ボケのタイミングは絶妙です。そして圧倒的な存在感を示しているのがハル婆さん。なぜか思い出すのです、おばあちゃんを。全然似ていないのに。でもなぜかおばあちゃんが思い出されて、悲しくも心あたたかくなってしまうのです。誰の心にも住んでいる、どんな思い出の中のおばあちゃんの集大成が、ハルさんなのかもしれません。善作さんが死んだ時も悲しかったけれど、ハルさんがいなくなったらもっと淋しくなってしまいそうです。

年が明けたら戦争も終わりを告げ、いよいよ時代が糸子を必要としそうです。さらに実話によるとなかなかスキャンダラスな展開に・・・は、ならないか。朝だし。しかし相手が『mother』の虐待野郎とは・・・。

『HUNTER-その女たち、賞金稼ぎ-』

正直、盛り上がりに欠けた展開はウーンという感じだったのですが、個性豊かな女優陣と脇を固める男優たちの頑張りのおかげで、最後まで観られるドラマに仕上がったと思います。

人が入れ替わっても、ファッションスタイルが変わっても、ちゃっかりゴレンジャー風になっていたのは面白かったです。米倉涼子の赤いコートもさりながら、山口紗弥香の青いコートも素敵だったなあ。

ゲストもなにげに充実でした。おお、岡達さん発見!

 

『南極大陸』

最終回の録画を観るのは休日前にしようかなあと思っていたのですが、ガマンできずに観てしまいました。

案の定、  号  泣  。

映画を観たから結末はわかっていたんだ・・・タロとジロしか生き延びられないって・・・。

でも、でも、

「がんばれ、リキ! もう少しだよ! もうちょっとで倉持が迎えに来るよ! がんばって!」

と、涙で霞む画面に向かって声を送ってしまう衝動は止められませんでした。

冷静にドラマとして観れば、脚本もダメ、演出もダメ、役者も活かせず音楽の無駄遣い、充分に駄作の部類に入るとは思うのですが、名優(犬)に助けられたというべきでしょうか。

キムタクはがんばっていたと思うのですが、がんばってることがわかっちゃダメなんだよねえ・・・。だから主役は緒方直人にしろと・・・。香川照之のヘンな京都弁にこだわるなら、なにゆえ初回で子どもに背負われた赤ん坊は一年経っても赤ん坊のままなのか・・・その下の子か? と、細かいところの演出がちょこちょこと気になってしまいました。概して、キャスティングやロケにこだわるドラマは、脚本や演出までお金がまわらないのかショボくなってしまうことが多いです(NHKをのぞく)。

まあ、でも、キャストや製作側の気合いは伝わってきたと思います。

一年ぶりに会った倉持を警戒するタロとジロに、切なくなってしまいました。まだ学生の頃、両親と旅行に行くために猫たちを一週間ペットホテルに預けたことを思い出しました。今思えば、もっとサービスの良いところはいくらでもあったろうに、近所だからという理由だけでそこを選んでしまいました。一週間後連れて帰った時、マイの形相は変わっており、私たちから逃げまわって物陰に隠れ、元通りになるのに数日かかりました。たとえどんな理由があったにせよ、人間たちの事情は動物には伝わらないし、「捨てられた」と思ったに違いありません。また置き去りにされた場所でどんなこわい目に遭ったのか、人間は知りようもありません。それからは一泊以上の旅行はしませんでした。私が嫁いでからは、ペットシッターさんを頼むようにしました。でもその一度のあやまちは、深く心の傷となってふたりが天国に旅立った今もなお残っています。犬たちの亡骸を目の当たりにして、あえて悔し泣きにくれることのなかった倉持の演出は、唯一印象的でした。

録画を観た次の朝、目がパンパンだったのも案の定でした。やっぱり、休み前にすればよかった・・・。

この物語のハイライトのひとつ、二〇三高地攻防戦。

原作では読み返すたびにあふれる涙を止めることができず、手を震わせながらページをめくりました。

感動、悲しみ、喜び、涙を流すのはそういった感情からだけではないことを知りました。

涙の理由を説明しうる言葉を見つけられないままに、私の中に流れる血は明治を生きる人々に反応し、熱く身体をめぐっていきます。

 

ただ想像の世界でしか描けなかった戦場の姿が、映像として眼前に突きつけられた時、描きようもなかった凄惨な有様に画面から目をそらすこともできず、やはり言葉を超越した感情に揺さぶられ涙をこらえきれませんでした。

国威発揚の恐ろしさを身をもって知る作者が日本の勝利をして幕を閉じるこの物語の映像化を最後まで拒んでいた、その遺志を尊重するものであってほしい。ドラマ化決定の報を聞いた時からそう思っていた私は、軍人ではなく従軍記者としての子規の視点からであるとはいえやや感傷的に過ぎた日清戦争の描写に少し不満であり、さらに激しさを増す日露戦争の表現方法には危惧を抱いていたのですが、結果としてテレビドラマ史に残る、素晴らしい映像の連続であったと感じました。

主要キャストはもちろんのこと、エキストラや背景、音楽に至るまで、微に入り細を穿つスタッフのこだわり、原作に対する敬意の念と並々ならぬ意気込みを感じました。

司馬氏にしか書き得なかった明治という時代の持つ巨大なエネルギー、それと同じものを確かに画面から受け取ることができたのです。

 

二〇三高地を陥落させたことで、日露戦争の趨勢は日本側へと傾いていきます。人員も砲弾も不足している極東の小国日本が、国力の限りを尽くし大国ロシアへ立ち向かい、そして勝利を引き寄せた。無機質な概要なら教科書でこと足りますが、司馬氏の小説から感じたのは、戦争とは国と国との戦いでありながら、その現場においては面識も恨みもない人と人とが命をかけて戦わざるをえないということです。少なくとも、この時代においては。

維新の志士たちが世界に向けて押し開けた扉から次々に大海へと飛び出していった明治人。小国の外を渦巻いていた奔流には、政治家や軍人だけでなく、その時代を生きる市井の人々をも否応なく巻き込んでいき、日本国民となってまだ間もない民草たちは思想を持たぬまま旅順の地にあたら命を散らしていった。それは悲劇でなく必然でもない。硬質な筆致は淡々と世界史の針を進めていく。しかしその行間からは確かに、旅順の大地を駆ける何千、何万という名もなき兵たち、明治を生きた彼らひとりひとりの叫びと足音を響かせていた。

日本のあちこちで起きた小噴火がやがて国のすべてをなめつくす業火と化した明治維新。その名残も尽きぬまま、四方八方からの圧力で揺らぐ大地に両足で踏ん張り続けた日本国家。作品から感じた明治という時代のエネルギーは、明治を生きたすべての人たちの持つ生命力だったのかもしれません。

 

つくづく、クオリティの割に集客力が薄いことが残念でなりません。数話ずつ3年連続、という形態は、キャスティングや演出の質を高める効果はありますが、観る人を選んでしまいます。大河よりも豪華なキャスティング、端役に至るまで演技力のあるベテラン俳優を配しているだけあって、どの場面にも隙がありません。

司馬氏がとくにこだわっていたと思われる乃木大将を柄本明がどのように演じるのか、興味深く観ていました。

誰よりも高潔であるがために誰よりも苦悩を抱えなければならなかった過渡期を生きる軍人の悲哀、言葉すくななれども背中で人生を語る演技は期待以上でした。児玉と対峙し、第三軍の指揮権を譲渡する場面は、名優ふたりによる見ごたえのある印象的なシーンとなりました。

 

次回からはいよいよ、バルチック艦隊を迎え撃つ連合艦隊、そして日本海海戦。長針と短針が同時に動く時、明治の歴史は塗りかえられる。NHKの渾身の作品となって締め括られることを、期待します。

 

ドラマの展開上やむをえないとはいえ、明石元二郎の暗躍があまり描かれていないのは少し残念です。ぜひスピンオフとして、ドラマ化してもらいたいです。

青木崇高という俳優をはじめて観たのは、『繋がれた明日』という、やはりNHKのドラマでした。

殺人を犯し少年刑務所を出所した主人公が、世間の偏見や罪悪感と自己弁護の相反する意識にさいなまれながらも現実と向き合い日々闘い続けるという非常にヘビーな作品でした。

その主人公を演じた青木崇高はインタビューにおいて「毎日追い込まれていた」と語っていました。難しい役どころながらも切実に真摯に演じていたのが印象的で、将来はきっと演技派として名を成すだろうなと感じました。『ちりとてちん』(未見)でヒロインの相手役、さらには『龍馬伝』で後藤象二郎役のために10kg太った役者魂や、福山龍馬を食った(と思う)目力が話題となりました。かなり名を売ったと思っているのですが、世間的にはどうなのでしょうか。

 

で、このドラマですが、役者・青木崇高の独壇場といっても過言ではありませんでした。

『繋がれた明日』と同じく、相当役に入れ込んでいたようで、試写会では涙を流しつつ改めて酒巻少尉の生きざまに感銘を受けていました。

役を理解し演じきるには、難しい人生の一幕だったと思います。

戦場におもむき、あたら命を散らすのが宿命であり本望であった時代。生をあたりまえに享受する現代人であっても、簡明で直接的なその価値観に従うのはたやすいでしょう。しかしその時代にあって、虜囚と言う死にも等しい恥辱を味わいながらも細胞に刻みこまれた価値観を捨て生きのびようとする命。生きることが何故恥なのか。愛する息子が海の藻屑と消えて喜ぶ親がどこにいるというのか。軍神として崇められても嬉しいことなどなにひとつない。しかし敗戦国となった日本が生きて帰ってきた酒巻たちを安穏と受け容れる許容などなかったこともまた事実。戦争は終わったのに、真珠湾突撃の現場から酒巻の存在は削られ、法廷の証言も消されてしまう。屈辱を乗り越え、命を使い果たすために帰還した母国に居場所はない。虚無に襲われ訪れた懐かしい海沿いの町。”軍神”たちがかつて人間であった場所。思い出の地に立ち酒巻はこれからの己の命の使い方を改めて考える。

 

当時のすべてを、今現在の地点から理解しようとするのは困難であり、また傲慢であると思います。悠久の歴史があり、昭和があり、今があるのですから、巨大な歴史の大回転をわずか30年たらずの歩幅で確かめることはできません。ましてやその正否を問うことはもっとも愚かなことであると感じます。ただ思うのは、酒巻少尉の人としての苦悩に寄り添い、人として今在る己の命の使い方を考えるのみ。暖かい部屋で安閑とお茶を飲み、テレビをつければ情報をすぐ手に入れられ、話したければ携帯電話で声を出さずとも会話ができる、無為な日々をやり過ごしながらも擦り減っていくこの命、それでも今を生きたと言える明確な何かが欲しくて人はツイッターやらフェイスブックやらで人と繋がりこの世界に足跡を残そうとする。”軍神”として終えた命も、トヨタ・ブラジルの社長として終えた命も、ひとしく使い果たされた命。きっと変わらないのです。文明や思想や価値観が違っても、生まれてきたこの命を何とかして意味あるものに終わらせたいと願う人の気持ちは。

 

「明治は遠くなりにけり」と詠んだ句人がいましたが、「昭和は遠くなりにけり」といったところなのでしょうか。

最近は感情論を極力排した姿勢からの戦争ものが増えたように感じます。今回のドラマも、酒巻少尉の人生の一部分を切り取って、彼の視点から時代背景を描いたことで、ともすれば是非を突きつけがちな戦争ものの構えがありませんでした。脚本や演出もさることながら、主役の役になりきった魂の熱演が功を奏したように思います。

ただ残念だったのは、四国の一般市民である出演者たちに方言がまったくなかったことです。何か理由あってのことかもしれませんが、NHKらしくない手落ちだなと思いました。

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