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この物語のハイライトのひとつ、二〇三高地攻防戦。
原作では読み返すたびにあふれる涙を止めることができず、手を震わせながらページをめくりました。
感動、悲しみ、喜び、涙を流すのはそういった感情からだけではないことを知りました。
涙の理由を説明しうる言葉を見つけられないままに、私の中に流れる血は明治を生きる人々に反応し、熱く身体をめぐっていきます。
ただ想像の世界でしか描けなかった戦場の姿が、映像として眼前に突きつけられた時、描きようもなかった凄惨な有様に画面から目をそらすこともできず、やはり言葉を超越した感情に揺さぶられ涙をこらえきれませんでした。
国威発揚の恐ろしさを身をもって知る作者が日本の勝利をして幕を閉じるこの物語の映像化を最後まで拒んでいた、その遺志を尊重するものであってほしい。ドラマ化決定の報を聞いた時からそう思っていた私は、軍人ではなく従軍記者としての子規の視点からであるとはいえやや感傷的に過ぎた日清戦争の描写に少し不満であり、さらに激しさを増す日露戦争の表現方法には危惧を抱いていたのですが、結果としてテレビドラマ史に残る、素晴らしい映像の連続であったと感じました。
主要キャストはもちろんのこと、エキストラや背景、音楽に至るまで、微に入り細を穿つスタッフのこだわり、原作に対する敬意の念と並々ならぬ意気込みを感じました。
司馬氏にしか書き得なかった明治という時代の持つ巨大なエネルギー、それと同じものを確かに画面から受け取ることができたのです。
二〇三高地を陥落させたことで、日露戦争の趨勢は日本側へと傾いていきます。人員も砲弾も不足している極東の小国日本が、国力の限りを尽くし大国ロシアへ立ち向かい、そして勝利を引き寄せた。無機質な概要なら教科書でこと足りますが、司馬氏の小説から感じたのは、戦争とは国と国との戦いでありながら、その現場においては面識も恨みもない人と人とが命をかけて戦わざるをえないということです。少なくとも、この時代においては。
維新の志士たちが世界に向けて押し開けた扉から次々に大海へと飛び出していった明治人。小国の外を渦巻いていた奔流には、政治家や軍人だけでなく、その時代を生きる市井の人々をも否応なく巻き込んでいき、日本国民となってまだ間もない民草たちは思想を持たぬまま旅順の地にあたら命を散らしていった。それは悲劇でなく必然でもない。硬質な筆致は淡々と世界史の針を進めていく。しかしその行間からは確かに、旅順の大地を駆ける何千、何万という名もなき兵たち、明治を生きた彼らひとりひとりの叫びと足音を響かせていた。
日本のあちこちで起きた小噴火がやがて国のすべてをなめつくす業火と化した明治維新。その名残も尽きぬまま、四方八方からの圧力で揺らぐ大地に両足で踏ん張り続けた日本国家。作品から感じた明治という時代のエネルギーは、明治を生きたすべての人たちの持つ生命力だったのかもしれません。
つくづく、クオリティの割に集客力が薄いことが残念でなりません。数話ずつ3年連続、という形態は、キャスティングや演出の質を高める効果はありますが、観る人を選んでしまいます。大河よりも豪華なキャスティング、端役に至るまで演技力のあるベテラン俳優を配しているだけあって、どの場面にも隙がありません。
司馬氏がとくにこだわっていたと思われる乃木大将を柄本明がどのように演じるのか、興味深く観ていました。
誰よりも高潔であるがために誰よりも苦悩を抱えなければならなかった過渡期を生きる軍人の悲哀、言葉すくななれども背中で人生を語る演技は期待以上でした。児玉と対峙し、第三軍の指揮権を譲渡する場面は、名優ふたりによる見ごたえのある印象的なシーンとなりました。
次回からはいよいよ、バルチック艦隊を迎え撃つ連合艦隊、そして日本海海戦。長針と短針が同時に動く時、明治の歴史は塗りかえられる。NHKの渾身の作品となって締め括られることを、期待します。
ドラマの展開上やむをえないとはいえ、明石元二郎の暗躍があまり描かれていないのは少し残念です。ぜひスピンオフとして、ドラマ化してもらいたいです。