MENU | MENU | MENU | MENU | MENU | MENU |
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
朝は男女入れ替えのお風呂へ行ったあと、朝食をいただきました。
一杯の茶がゆにご飯とおみそ汁、そして卵はご飯にかけてもヨシ、陶板で焼いてもヨシ(もちろん焼く)。おかずもおいしいし、りんごのコンポートがついていたのが個人的にツボでした。
そして宿周りのお散歩へ。
ホテルの裏には「野猿」があります。のざるではなくやえんです。
人力ロープウェーのようなもので、橋のない川を渡る際に使用されたものだそうです。
もちろん乗れますが・・・。
うん、やめておこう。
反対側へまわると、トンネルがあります。
横の「まむし注意」の看板も気になるところですが、このトンネル、ぽたぽたと水が垂れて今にも幽霊かストーカーの現れそうな内部でした。
走って抜けてしばし歩くと、
つり橋です。
谷瀬の橋ほどではありませんが、けっこうな高さと長さです。
もちろん渡らない手はないでしょう。と、踏み出してみましたが、
・・・怖い。
なかばで後悔しましたが、足を止めると動けなくなってしまいそうなので、早足で一気に歩き抜けました。
周囲には誰もおらず、後ろからドーンとされたら絶対に終わりだ・・・そんなことをイロイロ考えると怖くなってしまいました。といっても下の川原ではトラックやショベルカーががーがー動いていたのですが。そしてなにげにいちばん怖かったのが、真下をトラックが通りぬけた時でした。10mといえば板飛び込みの高さですが、この高さからよく飛び降りてクルクルできるものです。
渡った先には、
「果無集落(はてなししゅうらく)」への案内板が。素敵な名前の、とてもきれいな景色が見られる集落への行き道です。行ってみたいところですが、時間がないので今回は断念。しかし次こそは必ずやチャレンジを・・・。
ぜいぜい。また帰るのか・・・。またも一気に通り抜け。渡り終わると、足がガクガクでした。やめときゃよかったー(泣)
気つけのため、ロビーの売店でジュースを買いました。
北山村名産の「じゃばら」を使用したものです。あまずっぱくて、美味でした。
チェックアウトして、今度は八木行きのバスに乗ります。
行先は、行き道通りすぎた十津川村役場。
バス停を降りて歩くとほどなく、滝の音と硫黄のにおいが。
十津川温泉のあとは、湯泉地温泉。朝風呂したところですが、公衆浴場「滝の湯」。
が、内風呂があっつい! 源泉かけ流しあつい! すぐに出て露天風呂へ。ドアを開けて階段を降りて・・・結構歩きます。いっきに湯ざめします。
その名のとおり、露天風呂から滝が見え・・・のぞきこめば、見えます。
こちらはほどよい温度。のびのびじっくり、あたたまりました。
温泉を出て、役場の向かいの民俗資料館へ。
ちなみに、十津川村には信号機が2か所しかないそうです。その貴重な信号のひとつ。
十津川村の歴史は、ちょっと不思議です。
辺境にありながら、日本史の随所でその名をみせます。
有名なのは幕末、天誅組の変や坂本竜馬の暗殺犯が「十津川郷士」を名乗ったことなどですが、他にも佐久間信盛・楠正勝の墓所やこの地に難を逃れた護良親王の歌碑もあります。
武にたけ、義にあつい、十津川の歴史を築いたいにしえの人びと。
果てなき時間を語る史料の数々をじっくりと眺めながら、その足跡をたどってみるのも面白いと感じました。
バスの時刻表はこんな感じ。
乗り遅れたら大変です。しかしまだちょっと時間があるので、道の駅でおみやげを買うことに。
まずはせっけん。
ゆずの香りもあります。
それから、昨日の夕食でとりこにされたゆべしときのこ。
十津川のきのこはでかいんです!
外はお天気。
季節は春、うららかな陽ざしの下にいると、つい食べたくなるのが・・・。
アイス~。とうもろこしなんて、めずらしい。
明治時代、大水害で被災した十津川の人たちが、新天地を求めて北海道に渡りました。彼らが新しく作った村が新十津川村。今でも交流があるそうで、村章は同じものを使用しているそうです。
バスが来ました。ここからまた3時間。電車を乗り継いで、奈良に帰ります。
あー、楽しかった。十津川は魅力のあふれた町です。まさに「ココロとカラダを癒す旅」! 急きょ思い立たなかったら、割引使えたのに~。
次もまたバスで行こうか、思い切って車で行ってみようか・・・。
早くも、再び歴史と緑の深い温泉地へ再訪することを考えてばかりです。