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骨っぽいドラマを観ました。
吉村昭の原作も実際にあった事件のことも知りませんでしたが、ご一新を経て時代の変遷に取り残された士族の苦悩が丁寧に描かれていました。
藤原竜也も小澤征悦も、さすが大河ドラマ経験者だけあって、殺陣がしっかりしていて見ごたえがありました。北大路欣也は言わずもがなの威圧感。やはり、時代劇は殺陣に迫力がないとトーンダウンしてしまいますね。
狂言回しの吉岡秀隆演じる中江は、郷士出身で武士の精神の理解に乏しく、貧しい身から判事まで出生し、いちはやく近代化の波に乗ることができた人間。仇討ちを「殺人」としか見られなかった彼が、関係者にあたるうち六郎の固い意志に触れ、今なお強く残る武士の誇りを理解していく過程も自然でした。恩赦により出所した六郎が人生の指針を失い呆然とする場面も胸を打ちました。出演者のクオリティの高い熱演は、この時期に放送するのがもったいないくらいです。年末やお正月にしてほしかった。
それだけに主要な女優陣が、松下奈緒にしろ芦名星にしろ、現代的な長身痩躯で着物が映えておらず少し残念でした。
赤穂浪士は昔ほどではないにしろ、今なお根強い人気を誇ります。仇討ちは美徳という精神は、21世紀の今日も日本人のDNAに刻み込まれているのでしょう。しかし仇討ちを讃えるのはそれが刀を持つ時代のことだったからであり、現代でそれを行えば間違いなく「殺人」として断罪されてしまうでしょう。今朝もある国で1歳の息子を殺された父親が、間もなく出所する犯人に対し「復讐する」とインタビューで明言し賛否両論を巻き起こしているというニュースが流れていました。東野圭吾『さまよう刃』を読んだ時にもずいぶん考えさせられたものです。現代人には赤穂浪士の時代には存在しなかった法規的現代的倫理観が備わっている。たとえどんな事情があろうとも、故意の殺人を赦してしまえば社会を制御する法律は無用の長物になってしまうでしょう。ただ六郎の場合、情状酌量や裁判員裁判関係なしに死刑には相当しないケースでしょうね。殺人という認識のなかった士族が多数存在していた中で、現代よりも重い「一人でも殺せば死罪」という規範がなぜ成立したのか、興味深いです。天誅と革命の反動でしょうか。
吉村昭作品はあまり読んだことはありませんが、硬質な筆致で淡々と歴史の事象を追っていく流れが印象的でした。その日の天気まで綿密に史料を調査するほどの徹底主義だったようです。その妻である津村節子の本はよく読んでいました。自伝的小説に描かれていた吉村昭はなかなか破天荒で妻泣かせの夫ですが、その死まで豪傑な選択だったとは驚きです。