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祖母の四十九日が終わりました。
おしゃれだった祖母らしい、うす紅色のカバーに包まれて、祖母はみんなを待っていました。
「ぎょうさん、来てくれてまあ」
そんな声が聞こえてきそうな写真とともに。
お仏壇のある六畳の部屋が、今では狭く感じます。
夏休み、ここでたくさんの時間を過ごしました。
大きな机で宿題をしたこと。
自由工作の切り絵を教えてもらったこと。
将棋の駒で遊んだこと。
一緒に朝ドラを観たこと。
おじいちゃんにお経をあげたこと。
家でも食べているはずの白いごはん、焼いた食パンに塗るマーガリンがなぜかおいしかったこと。
今でも匂いを鼻先に感じるほどに、思い出は鮮やかです。
もっともっと、増やしておけばよかった。
祖父が突然亡くなった冬、私は幼稚園生でした。葬儀を終えて、みんなが仕事や学校に戻る中、私は祖母の家に残されました。気晴らしの相手になればという親の配慮でした。
お経をあげながら祖母は泣きました。私はそのたびに、祖母の背中をなでました。母に言われたように。
実際は、祖父が死んだということ、祖母の悲しみも理解できていませんでした。どうしてここにいなければいけないのかわからず、本心では早く帰りたくて、幼稚園に行きたくて仕方ありませんでした。父の迎えを今か今かと待っていました。
祖母がそんな私の気持ちを知っていたと知ったのは、ずっと後になってからのことでした。「淋しいのに我慢していてくれた。本当にいい子、優しい子」。
ぜんぜん、いい子なんかじゃないのに。
でも、おばあちゃんといると、いい子になれるような気がした。
もっと一緒にいたら、本当にいい子になれたかな。
祖母の家をあとにして、つい癖で振り返る。
いつも、手を振って見送ってくれた祖母の姿があればと、ほんのちょっとの希望を持って。
祖母はいません。
もう、いません。
おじいちゃんには会えましたか。おじいちゃんが亡くなってからのこと、話は尽きないでしょうね。年をとった子どもたちのこと。大人になったたくさんの孫のこと。それ以上の数になったひ孫のこと。おばあちゃんから受けたたくさんの慈愛は、優しさは、誰もの心に残り、広がっていきます。下の世代へと伝わり続けていきます。
ありがとう、おばあちゃん。
さようなら、おばあちゃん。また逢う日まで。