忍者ブログ
おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行)
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

祖母の四十九日が終わりました。

おしゃれだった祖母らしい、うす紅色のカバーに包まれて、祖母はみんなを待っていました。

「ぎょうさん、来てくれてまあ」

そんな声が聞こえてきそうな写真とともに。

 

お仏壇のある六畳の部屋が、今では狭く感じます。

夏休み、ここでたくさんの時間を過ごしました。

大きな机で宿題をしたこと。

自由工作の切り絵を教えてもらったこと。

将棋の駒で遊んだこと。

一緒に朝ドラを観たこと。

おじいちゃんにお経をあげたこと。

家でも食べているはずの白いごはん、焼いた食パンに塗るマーガリンがなぜかおいしかったこと。

今でも匂いを鼻先に感じるほどに、思い出は鮮やかです。

もっともっと、増やしておけばよかった。

 

祖父が突然亡くなった冬、私は幼稚園生でした。葬儀を終えて、みんなが仕事や学校に戻る中、私は祖母の家に残されました。気晴らしの相手になればという親の配慮でした。

お経をあげながら祖母は泣きました。私はそのたびに、祖母の背中をなでました。母に言われたように。

実際は、祖父が死んだということ、祖母の悲しみも理解できていませんでした。どうしてここにいなければいけないのかわからず、本心では早く帰りたくて、幼稚園に行きたくて仕方ありませんでした。父の迎えを今か今かと待っていました。

祖母がそんな私の気持ちを知っていたと知ったのは、ずっと後になってからのことでした。「淋しいのに我慢していてくれた。本当にいい子、優しい子」。

ぜんぜん、いい子なんかじゃないのに。

 

でも、おばあちゃんといると、いい子になれるような気がした。

 

もっと一緒にいたら、本当にいい子になれたかな。

 

祖母の家をあとにして、つい癖で振り返る。

いつも、手を振って見送ってくれた祖母の姿があればと、ほんのちょっとの希望を持って。

祖母はいません。

もう、いません。

 

おじいちゃんには会えましたか。おじいちゃんが亡くなってからのこと、話は尽きないでしょうね。年をとった子どもたちのこと。大人になったたくさんの孫のこと。それ以上の数になったひ孫のこと。おばあちゃんから受けたたくさんの慈愛は、優しさは、誰もの心に残り、広がっていきます。下の世代へと伝わり続けていきます。

ありがとう、おばあちゃん。

さようなら、おばあちゃん。また逢う日まで。

PR
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
カレンダー
12 2025/01 02
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
プロフィール
HN:
さや
性別:
女性
自己紹介:
ヤスオーと古都の片隅で暮らしています。プロ野球と連ドラ視聴の日々さまざま。
ブログ内検索
バーコード
ATOM  
ATOM 
RSS  
RSS 
Copyright ©   風花の庭   All Rights Reserved
Design by MMIT  Powered by NINJA TOOLS
忍者ブログ [PR]