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おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行)
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ダウンコートを手放せず春と呼ぶにはまだ浅い。

センバツ優勝校が決まる頃には、桜が咲いているでしょうか。

 

選手宣誓には感銘を受けました。

「生かされている命に感謝」――生かされている、という言葉が、10代の少年の口から出てくるとは思いもしませんでした。

三浦綾子さんの『生かされてある日々』を読んだのは彼と同じ歳の頃でしたが、ピンときませんでした。三浦さんのそれは信仰に基づいた言葉であり、信仰を持たない私ですが、自分が生かされているということの意味を少しずつ考え始めたのはごく最近のことです。

16歳の私は生かされているということはおろか、生きている実感さえもありませんでした。震災を目の当たりにしてさえ、その日々があまりにも変化ないものであったために、命の尊さという薄っぺらい言葉でしか人の生死を表現するすべを持ちませんでした。

もちろん周囲のアドバイスも受けるでしょうから、彼がみずからこの文句を考え盛り込んだかどうかはわかりません。しかし口から発する言葉が胸を打つのは、その本質を本人が理解しているからなのだろうと思います。何千人もの命が失われたことに衝撃を受けながら生かされていることに思い至らなかった16歳の私。気づいた16歳の彼。

較べるものではありませんが、今回の災害が世界的にも類を見ない甚大で深刻なものであること、ブログやツイッターの普及で生々しい被害状況が随時耳に入ってくることなど、当時と今の違いはあるかもしれません。しかし自分が生かされている存在であることに気づき、それを世間に向けて発信した彼を見て、16歳のあまりにも幼かった自分の姿を思い返し忸怩たる思いでいっぱいです。いろんなことを考え思い悩み日々を過ごしてきたつもりでしたが、大切なことに気づくことはできませんでした。

 

どうか後ろめたさや罪悪感にさいなまれることなく、甲子園の土の上では思う存分野球を楽しんでほしいと思います。少なくとも甲子園に足を運ぶ観客はそれを望んでいる、今日の開会式の拍手がその表れではないでしょうか。もちろんテレビの前で一球一打に息をのむ、高校野球ファンの私もそうですが。

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