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文学とは高尚で価値あるもの、と大上段に構えた教科書で学ぶ『源氏物語』はしょっぱなから抵抗を憶えて本当につまらなかったのに、文法やら単語やら、細かいことは抜きにして恣意的に触れた源氏は、はじめて出逢ってから20年以上経つのにいまだ私を惹きつけてやみません。
最初の印象はホラー、そして数々のラブアフェア、今では壮大な人間ドラマ、いつの世も変わらぬ愚かな人間を縛る因果律。
なぜ文学と称されるものが高尚で価値あるものなのか、わかったような気がします。
物語の持つエネルギーは永遠であり、文法や単語がわからなくても、それを感じることができ、己の人生の方向にわずかでも力を加えたなら、充分なのではないかと思うのです。
文学とは文字で表現されるもの。たやすく動画に互換することができないからこその文学だと思います。
とりわけ、源氏はその長さもさることながら、光源氏という一種の超人が主人公なので、既存の俳優が演じてしまうととたんに俗的になってしまい、いかにもドラマくさくなってしまいます。ずっと昔にドラマを観ましたが(ヒガシ主演)案の定イメージとはかけ離れており、ただの貴公子の女遍歴になっていてがっかりしました(その点、別メディアで表現した『あさきゆめみし』は稀有な成功例だと思う)。
と、いうわけで、この映画も『源氏物語』の映像化とはあえて思わずに鑑賞しました。
現実と物語とが交錯するファンタジー、なぜ紫式部は『源氏物語』を書いたのかというミステリー、主人公の恋愛、そしてホラーと、ぜいたくにいろいろ盛り込んだ作品になっていました。
現実世界と物語世界の境目がなくなるという手法は『インランド・エンパイア』を思い出しますが、あれほどのわけわからなさはなく(あれが異常だが)しかも唐突で、作者が源氏を執筆した理由もあおり文句にするほどの意味合いはなく、女人のキャスティングはどういう基準なのか不思議なくらいミスキャストで名の通った女優ばかりですからもちろん情事もアッサリで、つまりほとんどにおいて消化不良でした。
良かったのは生田斗真の立ち居振る舞いでしょうか。光源氏を演じるに値する貴公子っぷりでした(その演技力はともかく・・・)。俳優としてあまり見慣れておらずイメージが固定されていないせいもあるのでしょうが、陰のある顔立ちは、現代的にもかかわらず、直衣姿もさまになっていたと思います。青海波はきっとこんな感じだったのだろうなあと思わされる美しさでした。あと田中麗奈は熱演でした。六条御息所を演じると聞いて、「えー、実年齢は確かに近いかもしれんけど、もっと年増の色気ある女優にしてよ。健康的すぎるやん」とかなり不満だったのですが、いやー、女優魂を見ました。メチャメチャ怖かったです。数多いる女人の中でナンデ六条がほぼメインにされたのかは謎ですが、六条がヘボだったら救いようがなかったくらい、源氏と女人の絡みパートはしょぼかったので、あっぱれです。セットや衣装も豪華でした。どこかで観たような風景がたくさんありました。所作にもこだわっていたように思います。エンディングの源氏袖ヒラヒラには何の意味があったのでしょうか。
日本最高峰の文学作品として『源氏』映像化を望む製作者は多いかもしれませんが、やはり文学は文字で楽しむのがいちばんではないかと・・・。
で、またぞろ源氏を読みたくなってしまいました。
評価:★★★☆☆