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手塚治虫の漫画はほとんど読んだことがありません。『ブラック・ジャック』もよく知らないし、『火の鳥』や『三つ目が通る』もアニメでかじっただけ。『アドルフに告ぐ』は、幼少期通っていた病院の待合室に置いてありましたが、暗そうなので手に取りませんでした。
唯一家にあった手塚作品が、『アポロの歌』でした。小学校に入学したばかりの私にとっては、ストーリーはわけわからないしやたら裸が出てくるし、到底おもしろいと思えるシロモノではありませんでした。というか、なんでこんなマイナーな漫画「だけ」が家にあったのか、今考えてもわかりません。メジャーで子ども向けの作品なんて、あり余るほどあるはずなのに・・・。実はタイトルを思い出せず、記憶にあるキーワードで検索して、ようやくその物語の全貌をつい今しがた知ったのですが・・・これを理解できる7歳がいたら教えてほしいもんだ・・・。
大人になって、『陽だまりの樹』をはじめて読みました。幕末の動乱期というテーマの中に、確かな人間の生きざまというものが明確に描かれていたことに、打ち震えました。漫画とは思えない深淵な世界を描くことのできる手塚治虫という人は、すべてのジャンルを超越した不世出の天才なのだ、と。
今なら『アポロの歌』も『火の鳥』も『アドルフに告ぐ』もきちんと読めると思うのですが、漫画喫茶には置いてないんですよね。
そしてもちろんこの『どろろ』も、未読です。
時は戦乱の世、身体の48箇所を魔物に奪われた百鬼丸と、盗人小僧どろろの旅の物語。ただの冒険記ではなく、「異形」である百鬼丸の苦悩と、庶民たちの戦への怒りを描いているところが、手塚作品ならではのアプローチです。
『古事記』において、イザナギとイザナミが結ばれてはじめて産まれたのは「水蛭子」でした。ふたりはその「未完成品」を川に流し、新たなクニ=命作りにかかります。百鬼丸はまさにその水蛭子と同じ運命。なんとも凄惨な物語の幕開けです。産まれいでたにもかかわらず水に流された水蛭子のその後の道を、作者は描きたかったのでしょうか。
幸いにも医師に拾われ、身体の不足部分を補うことができた百鬼丸は、魔物退治の旅へと出ます。そこで出会ったのがどろろという少女。柴咲コウが演じるための設定かと思いきや、原作でもどうやら少年とは断定されていないようですね。どういう結末が用意されていたのか、なかなか興味深いです。
クールな顔立ちを活かした役が多い柴咲コウですが、小僧らしいはっちゃけぶりがなかなか似合っていました。これまた顔立ちとは真逆のクールな妻夫木も意外にかっこよかったです。中盤から登場する瑛太と中井貴一の存在感はイマイチでしたね。とくに父と子の葛藤の描かれなさ、想定内にしてもあっけない結末にはウームという感じでした。
ちょいとCGが安っちかったのが残念ですね。せっかくのアクションも台なしです。それと、あえて日本の戦国時代という設定を外したのはなぜでしょうか。外国とまるわかりの背景と和洋折衷の風俗描写がどうも中途半端で、世界観にイマイチ入りこめませんでした。
続編を示唆する終わりかたでしたが、製作されるのでしょうか。
原作を読んでみたい! と思わせるにはいい導入の映画でした。
評価:★★★☆☆