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ミーコの夢を、毎晩見ます。
でも、最初の時のように、本人のような感じではないので、
きっともう天国へ昇ったのでしょう。
今頃、あくびをしてごろごろしているのかもしれません。
夜、ベッドの中で、ひとり涙を流してしまうこともあるけれど、
だいぶ落ち着いてミーコのことを思い出せるようになりました。
拾われた時のこと、元気で走りまわっていた時のこと、
いろいろ記憶をよみがえらせていくと、
そういえば、うちのまわりにはいろんな猫がいたなあ、と、
少し懐かしい気持ちになりました。
昔、我が家のまわりは野良猫のたまり場でした。
というのも、うちの裏には、大きな庭を持った家があり、
そこをねぐらにしている猫がたくさんいたのです。
ミーコが拾われてきた頃だったでしょうか。
ある日、我が家の塀に、仔猫を連れた茶トラの猫が寝そべっていました。
仔猫はシャム猫みたいな模様のが2匹と、雉虎模様が2匹。
「かわい~」と1匹抱きあげると、母猫がジロリ。
怖くって、すぐさまお返ししました。
その日から、一家は裏の庭に住み着いたようです。
裏の庭に面した出窓の前をうろちょろしていました。
そんなある日のこと。
「ウーウー、フギャー!」と裏で猫の喧嘩が始まったので、
なにごとかと窓を開けると、
シャム猫模様のデカイ猫と、母猫が睨みあっていました。
仔猫と同じ柄だったので、きっと父猫なのでしょう。
どうやら、母猫を追いかけてきた模様。
「いきなり出ていったと思ったら、こんなとこにいやがったのか」
「何しに来たのよ」
「決まってるだろ、おまえたちを連れ戻しに来たんだ」
「いやよ、私たちはもうあんたなんかと暮らすのはごめんなのよ」
「意地をはるのもいいかげんにしろ!」
「帰ってちょうだい!」
・・・たぶんこんな感じでしょうか。
結局、母猫の勝利に終わったらしく、
その日以降、父猫が現れることはありませんでした。
数年後、仔猫たちの成長を見届けたあと、
母猫は第二の人生を歩み出しました。
すなわち、うちの筋向いに住むボス猫《どてちゃん》と再婚したのです。
母猫はどてちゃん(←ドテッとしていたので、勝手にそう呼んでいた)と暮らし始め、
仔猫たち(その頃にはすでに成猫)もやがてちりぢりに。
雉虎の1匹は、わりと長く住んでいましたが、
それもいつの間にかいなくなっていました。
そのほかにも、個性的な野良猫がたくさんいました。
《ペルシャ》。血統書も付くペルシャ猫。なのに野良。
悪さをする人間がいたらしく、よく毛を刈られて逆プードルになっていました。
いなくなったと思ったらふらりと現れ、またいなくなったと思ったら、
うちとは少し離れたところで目撃。さすらいの貴人でした。
《ギャング》。ブチ模様の猛者。殺し屋のような目をしていたので、母が命名。
《クロ・ボス》。黒猫のボス。でっかくて、目つきが悪くて、野性味ギラギラ。
この3匹はよく喧嘩をしていました。
うちの猫は温室育ちです。
外に出すと、蚤がついたり、病気をもらったり、怪我をしたりするので、
家に閉じ込めていました。
それでも、やはり外界に憧れがあったのか、
いつも窓から外を眺めていました。
とくに出窓のところは、いろんな猫が通るので、
いつもフニュフニュ鳴いてアピールするのですが、
野良猫たちは歯牙にもかけません。
恵まれた環境でおデブに育ったおカマちゃんのミーコは、
生死のぎりぎりにいる野良猫からは嫌われていたようです・・・。
彼らも、いつの間にか姿を消していました。
どこでどういう人生を送り、そして最期を迎えたのか、
知るよしもありません。
彼らの淋しさを思うと、最期までぬくもりに守られたミーコは、
本当に幸せな一生だったのだなあと思います。