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おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行)
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年に一度のお待ちかね、尺八の元師匠である岡田先生のリサイタルでした。

めっきり手にするどころか耳にする機会も減ってしまった尺八(とくに古曲や本曲)。

 

『明鏡』

かつて自分の四年間を賭けたこの曲。生演奏を聴くのははじめてだったりするのですが、やはり特別な感慨があります。あんなことやこんなことがあったわね、とさまざまな思いが胸をよぎる。

そして心の中で一緒にロツレチリを歌ってしまう自分もおそろしい。

記憶の中で奏でられる明鏡はやはりいちばん身近な音、つまり自分の音なのですが、んなわけありゃしませんわね~。

自分がどんなに必死こいても到底手に入れられなかった尺八の持つ奥深さ、本物の音を感じさせていただきました。

 

『雨月譜』

十七絃と尺八の二重奏。尺八の手は本曲をモチーフとしていて長管と八寸管が使われていました。十七絃もバルトークや胴を叩くなど、いろいろな奏法が凝らされています。なんというか、難しそうな曲でした(感想がド素人・・・)。

どちらの楽器も非常に情感があり重厚な響きが印象的でした。

 

『松厳軒鈴慕』

演奏には、プロであろうと素人であろうと、やはりその人となりが現れるものだと思います。

先生の尺八本曲を聴くたび、先生の本曲に対する造詣の深さ、真摯な姿勢を(僭越ながら)感じます。そして年々、そのお気持は深く強くなっているようにも思います。

一本の竹から現ずる無限の世界。そしてそれは音を受け取る我々の心にも、また、闇を裂いて。

 

『吼噦』

こんくゎい、と読みます。歌詞に「南無阿弥陀仏」が出てくる狐の物語、元禄時代の無闇なあかるさというか、非常にユニークな曲で、最初に聴いた時はなかなか新鮮でした。尺八よりは箏と三絃の音色と唄に聴き入ってしまいました、すみません。

 

もし、私が尺八などという楽器を始めなければ、人生は今と大きく変わっていたでしょう。それくらい大きな位置を占めているわりに、結局投げやりで中途半端に終わらせてしまいました。大人の趣味として続けるならば、楽しい気持ちで取り組まなければ意味がないでしょう。しかし今の私では、とても尺八を楽しめそうにありません。それを打開せずには、もう一度尺八と向き合う日は、来ないように思います。

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