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走る、という行為はとても単純で動物的で、
ゆえに、あまりにも簡単に生来の能力によって分類されてしまいます。
つまり、速い者と遅い者。
圧倒的後者だった私は、マラソンの前日には毎晩ひとりで雨乞いの儀式を行っていましたし、
唯一運動の中で得意だった水泳を中学でやめたのも、「水泳部は冬場に走らされる」という理由でした。
走る、という行為ほど、才能がモノを言う競技はないと思っています。
とことん運動オンチの私でも、練習すれば個人メドレーを泳げるようになりましたし、
バレーのサーブも何十本も打っていれば、相手コートに入るようになります。
でも、毎日グラウンドを回っていたって速く走れるようには、なりません。
バテずに走りきれる体力はついたかもしれません。でもタイムは、どうやったって、クラスの俊足軍団には追いつけないのです。
竹青荘の住人、そのほとんどが長距離素人である十人が、箱根駅伝を目指す----。
野球素人が甲子園をめざす、バスケ素人がインターハイに出場する、漫画にはよく使われる手法ですが、「またかよ」と思いつつ、最後にはやっぱり泣かされてしまいます。
で、この本にも、「やっぱりな」と思いつつ、泣かされました。
春と夏は甲子園、秋は日本シリーズで冬は箱根。
お正月には欠かせない初感動です。
しかし私は1区から10区まで、通して観たことがありません。
お正月とはいえ、やはり何時間もテレビに張りつくわけにはいかないんですよね・・・。
で、観戦のほとんどが山登りと9区・10区なわけですが。
この物語によって初めて、私は箱根のスタートからゴールまでランナーと並走することができました。
10人いれば10人の、さまざまな走りがあります。
その姿に心を揺さぶられてしまうのは、その走る、という単純な行為はランナーのそのものの生きざまだからです。
筋肉を躍動させて力強く繰り出すストライド、一歩進むごとに彼の人生はその道を拓き、確かな足あとを刻んでいきます。
ハイジに誘われて、というかだまされて箱根を走ることになってしまった竹青荘の住人たちも、その人生を「走る」ことによってみずからの足で作り上げていきます。
悩み、想い、後悔、喜び、
彼らの走った11時間17分31秒は、尊い青春の美しさとして箱根路に刻まれました。