幾多の名作を産み出してきた巨匠・宮崎駿監督の最後(今のところ)の映画作品。
賛否両論の批評は耳にしていたので、たぶん、監督の今までやりたかったこと、やりたいこと、いろいろ全部ぶっこんできたひとりよがりなアニメなのだろうなあと思っていました。
結果的には間違いではなかったです。
が、私自身の感想は賛だけで、否は微々たるものでした。それも、主役の声優がいくらなんでも棒読みすぎて良作にふさわしくないというだけのことです。素晴らしい出来栄えでした。
ジブリらしい繊細な映像。風の音も草木の匂いも感じられそうな空気感。美しい音楽。すべてが設計しつくされた空間表現は見事です。『ナウシカ』から30年、宮崎駿監督の感覚は少しも鈍ってはいません。
飛行機が大好きな二郎少年の夢はパイロットからエンジニアへ。長じてその夢をかなえ、やがて零戦の設計者として歴史に名を残すことになった二郎。
この映画を見る我々は、零戦が何に使われた飛行機であったのかを知っています。そのうえ「戦争は悪である」とか「零戦は負の遺産」とか、振り返る歴史はいつもそういう視点であるために、つい設計者である二郎の行く末に何かの結論を求めたくなりがちです。
しかしこの物語はそれを語りません。
二郎は美しい飛行機を作りたかった。ただそれだけの思いで航空工学を学び、飛行機を作る会社に就職したら、たまたま戦争が起きて、性能のいい戦闘機を作ることを要求され、優秀なエンジニアとしてその要求にこたえた。それだけ。そしてたまたまその最中に恋もした。熱烈な恋をした。結婚した。愛する妻は病で死んだ。それだけ。
生きるためには生きがいが必要で、二郎にとっては時にそれが恋であったり仕事であったりしたけれど、その時々ですべてに対して真剣でした。一生懸命、己と向き合い、生きました。
二郎の作った零戦は結果的に多くの知らない誰かを殺すことになりましたが、そのことよりも零戦が一機も戻ってこなかったことに二郎は言及していました。戦争から遠く離れて戦争を悪と学ぶ現代人はそのことにひっかかるかもしれません。そして人殺しの道具となった零戦を作ったことを悔いる言葉のない二郎の態度さえ、否定的に感じてしまうかもしれません。
生きるとはひとりよがりなもの。いやむしろ、ひとりよがりでなければ生きていけない、それほど人生は他者から与えられる苦しみと悲しみに満ちています。
二郎は自分の生きたいように生き、好きな人と結ばれ夢を追いそれをかなえた。これほど羨ましい人生が他にあるでしょうか。そしてその己のみに従い他者にまどわされなかった生きざまを後世の誰かが評価することほど愚かしい行為はありません。
そんな羨ましい人生を生きる人はきっと現代にもいるでしょう。クリエイター・宮崎駿がそうなのかもしれませんし、主人公を演じた同じくクリエイターの庵野秀明もかもしれません。
そう考えると、宮崎駿が「最後の作品」と位置づけたのもうなずける気がします。
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