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「3億円事件の犯人は女子高生だった」――なんとも、衝撃的なフレーズ。
犯行は白昼堂々と行われ、しかも犯人は見つからないまま時効を迎え、おまけに盗まれた札は1枚も使われていないという、いろんな想像力をかきたてる要素満載の未解決事件は、もちろん発生当時どころか公訴時効が成立した時もまだ生まれていなかった私でもよく知っています。
主人公の女子高生・中原みすずは作者と同姓同名。おそらく中原中也と金子みすずを合体させたペンネームなのでしょうが、彼女は他に作品を発表しておらず、まるで自伝であるかのような「犯人は私かもしれない」という前書きに興味をそそられます。
'60年代。新宿の路地裏にたむろする退廃的な若者たち。叔母の家に居候し孤独な生活を送っていたみすずは、生き別れになった兄を慕って訪れたジャズ喫茶で東大生の岸に出会う。仲間とは少し距離を置いて、会話に参加するでもなくひとり本を読み続ける岸に、みすずはいつしか惹かれていく。
おりしも学生運動が盛んになりつつある時代。権力で抑圧されることを拒否する岸は、ある計画をみすずに語る。はじめて誰かに必要とされたみすずは、何も聞かず何も疑わず、岸の提案に賛同する。それは、三億円を強奪する計画だった――。
主演の宮崎あおい。演技力には定評がありますが、この役も難なくこなしています。孤独を抱え語ることを嫌い、台詞も極端に少ないのですが、ふとした時に見せる感情の揺れ、とくに岸への想いはこちらの感情も揺さぶられるような見事な瞳の動きでした。
少しクオリティを落としているのが岸役の小出恵介ですね。この映画の時代における東大生というのは、ただのエリートではなく、現代の学生にはない深い鬱屈を背負っていたのだろうと思うのですが、七三分けなだけで現代のやや軽若者でした。『風が強く吹いている』でも主役の大学生を演じるようですが、そちらのほうがたぶん似合っていると思います。
他にも、みすずの兄やその仲間たちが登場します。どうしようもないエネルギーをケンカや芝居や学生運動にぶつけては失敗を重ね、行き場のない思いを権力への怒りに変えていこうとした当時の若者たちの姿が描かれます。
学園紛争とは何だったのか、今でも第三者の立場から探究され続けているにもかかわらず、当事者たちは口を閉ざしていることが少なくありません。結局、「あれは一種の集団ヒステリーであった」と過去を悔いるでも懐かしむでもなく歴史の教科書の一事象のように結論づけて終わりです。たとえば高野悦子を自殺に追い込んだもの、多くの学生の人生を狂わせたこと、さまざまな理由を見出そうとする干渉は彼らが自ら打った句点によって妨げられます。回答は永遠に語られることはないのでしょう。その源が、ある時期になれば誰しもが経験しうる「どうしようもないエネルギー」であったのであるならば。
岸はそのエネルギーを暴力には変えず、未曾有の現金強奪計画へぶつけようとした。
そしてそれは成功したかに見えた。
みすずは幸せだった。初恋の人に必要とされた。誉められた。同じ秘密を抱える共犯者となれた。ずっと一緒にいられると思った。
しかし、みすずの知らない世界で「権力」は彼らを抑圧していた。岸は突然消息を絶つ。
岸の使っていた部屋で、再び孤独の世界に戻ったみすず。心の拠りどころは岸の読んでいた本の山。しかしそれも救いにはならず、彼女も退廃的な学生のひとりに堕ちようとしていた。初恋の人の日記を読むまでは。
3億円事件はあくまで題材のひとつにすぎません。人が人を切実に想う気持ちは昭和も平成も同じ。初恋の切なさは、一生時効を迎えることはない。
「青春」という言葉が似合う'60年代。あの時代を知る人も知らない人も、同じ気持ちになれるのではないでしょうか。
評価:★★★☆☆