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おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行)
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冷たい熱帯魚

『愛のむきだし』などの園子温監督の作品です。

しかし、『愛のむきだし』はまだラストに救いや光を持たせるような作品でしたが、これは実際の事件(埼玉愛犬家連続殺人事件)をもとにしているだけあってますます残酷でエゴイスティックで猟奇的な作品に仕上がっていました。

とにかく、「マトモ」ではありません。

正面からストーリーを追う、登場人物の心情を考える、展開を予想する・・・そんな、「フツー」の映画鑑賞をしていると、カウンターパンチを何発も何発もくらうことになります。

吹越満が演技派なのは知っていましたが、でんでんにここまで俳優の才があるとは、正直思ってもいませんでした。最近でいえば『運命の人』の販売局員や、入浴剤のCMくらいしか印象がありませんが、どちらかというと平凡な中年オヤジ役のイメージだったので、まさかこんなどうしようもない殺人鬼を演じることができるとは、意外でした。

でんでん演じる村田は、まごうことなきサイコパスですが、実際の犯人も映画と同じ発言をしていたとはにわかには信じがたい話です。そういう、人間として大切なものが欠落してしまった者がこの世に存在し、聞くに堪えぬ残酷さをもって人を殺めてしまう事件は、これに限らず今まで幾度も発生していたことですが、理解の範疇を超える理屈を聞かせられると、自分自身の認識ではあきらかに相手が狂気の沙汰であるにもかかわらず、聞いているほうの頭がおかしくなってしまいそうになります。

この作品に出ている人物で、自分の理解の範疇である「マトモ」な人物はひとりもいません。男も女も、大人も子どもも、みんな壊れています。

「フツー」をよそおっていた社本でさえ、もともとはエゴイスティックな人間です。最後はその本性をむきだしにします。

いや、その「エゴ」という評価さえ、あてはまるのかどうかはわかりません。ごくとなりにいる人たちを語る時のような、安易な言葉では区分けできない、常軌を逸した人たちばかりなのです。

断末魔、哄笑、裏切り、暴力、セックス、血の海、散らばる肉片、破壊されたマリア像。

そこから何かのメッセージを受け取ろうと考えましたが、途中で脳みそがいろんな人の骨肉と一緒に切り刻まれ、醤油をかけられ焼かれていきました。

エンドロールが流れる頃になって、酸素をほとんど摂取していないことに気づきました。

気が狂いそうなほど、とにかくすべてが範疇を超えているのです。

監督の言う「徹底的に救われない家族」――救われない、とは、いったい何だろう。確かに、自分の価値観からすると、彼らはまったく救われない、ずたぼろの状態。では救われる家族とはどのようなものだろう。社本が夢見たように、父と後妻と娘、三人並んで仲良くプラネタリウムを見上げて笑うことだろうか。それで救われた気になるのは社本だけだろう。後妻と娘が無理に笑ったフリをしていただけであったとしても、体裁を繕った社本は救われた気になるだろう。でもそれでは後妻と娘は永遠に救われない。といって、遮二無二暴力で抑えつけても救われることは絶対にない。社本が最後に救いを求めたのは、自分が命を賭けて得た教えを、親として伝えることだった。それは、父親としての威厳であり、誇らしげな姿であるべきだった。社本は最後に救われたと言えるかもしれない。その今際の際の教えを聞いた娘の反応を見ずに済んだのだから。

まあ、そんなところだろう。

ひとりの矮小な人間が死してこの世に残せるものなんて、ほんのわずかだ。

まして今まで目の前の現実から逃げ続け甘美なものだけ享受して都合良く日々を消化してきただけの社本が、いったい何の説得力をもった言葉を伝えられるというのか。結局、逃げないフリをして逃げた。それだけの人間だ。もっとも、ヤッたことが極端なだけで、たいていの人間がこんなもんにすぎないのだろうが。

良作、とは呼べません。心に残るものはなにもありません。むしろ絶望や虚脱感しか残りません。二度と観たくもありません。

しかし、駄作と決めつけるのも不適格な気がします。園監督の個性光る、といえば褒め言葉ですが、園子温にしか作りようのない作品でしょう。

ただ主要キャストの熱演は目を瞠るものがありました。とくにでんでんは、もうサイコパスにしか見えません。これからCMを見るたびに「斗真くん、逃げて~!」と言ってしまいそうです。

評価:★★☆☆(2.5・・・★1と★5のちょうど中間ということで)

 

<ヤスオーのシネマ坊主>

僕はアンダーグラウンドな世界が大好きなので、この映画の基となった事件もよく知っていたので、ちょっと不自然にエロをからめすぎかなあという違和感はありましたが、それはこの監督の嗜好なので仕方がないですね。遺体の解体シーンも監督の嗜好でしょう。あそこまで血みどろの場面が必要とは思いません。ただ、暗い事件を題材にしてるわりには、テンポも良いし、展開もまったく予測できないし、純粋に飽きずに観られる作品でした。

でんでん演じる「村田」のキャラクターも、幼児期のトラウマを引きずっているところは映画的すぎてあまりいいキャラ設定とは思いませんでしたが、この人物の言っていることは人生哲学としてある意味正しいので、というか吹越満演じる「社本」よりも正しいことを言っているのではないかとまで思わせてしまうぐらいですし、そのへんの映画の陳腐な猟奇殺人鬼よりずっと魅力的なので、それが逆に怖かったですね。あと、誰もが分かっていることだと思いますが、こういう人間は実際にいますからね。明るくて、声が大きくて、押しが強くて、ユーモアがあって、身も蓋もないことばかり話す奴。ある程度の距離を保って付き合っていれば普通に面白くて頼りがいのある奴ですからね。

そして、殺人鬼の「村田」の生きざまが小市民の「社本」の生きざまよりある意味正しく感じるからこそ、ラストの「社本」の「人生ってのは痛いものなんだ」というセリフにも説得力が生まれてきますね。ちなみにこの映画はそのあともうひとひねりありますが、これは僕はいらなかったと思いますが。

ただ、こういう人間の汚い部分ばかり切り取った映画がそれなりに話題になるというのは、「ALWAYS 三丁目の夕日」みたいな人間の甘い部分ばかり切り取った映画があるからであって、園子温は「ALWAYS 三丁目の夕日」を作った人たちに感謝しなくてはいけませんね。三丁目の夕日みたいな映画をベタなお涙頂戴の商業的映画とガンガン否定して、冷たい熱帯魚の方を人間の本質を突いている深い映画とか言う奴がいるからこそ、こういう映画も陽の目を見るわけですから。

点数:★7(10点満点)

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