めっきりブログに書くことも減りましたが、相撲は毎場所見ています。
ただ、長らく続くモンゴル時代。白鵬の強さは圧倒的で日馬富士も鶴竜も優勝はするが、最強横綱と並び立つには今ひとつ。強引に誕生させた日本人大関は完全に協会の勇み足。やっぱり優勝争いも横綱候補もモンゴル勢。たまに有望株の若手力士が出てきても、過度の期待をかけすぎるのか営業疲れか成績は伸びず、日本人力士の躍進を願うファンにとって強すぎる白鵬はけむたがられるようになり、しまいには仕切りで相手力士へのコールが沸き起こる始末、これでは白鵬がいじけても無理はなし。
スージョだなんだと騒いではみても、相撲人気の頭打ちは一目瞭然。
結局は遠藤のようなホープが活躍し、嘉風らベテラン勢が場所を盛り上げ、千秋楽には白鵬を倒して稀勢の里が優勝しないと、ファンは心から喜べないというわけです。
ところが協会がアゲアゲに持ち上げた遠藤は怪我に泣かされ、嘉風や安美錦は土俵の盛り上げにひと役買ってはいるものの、上位で優勝争いにからむには年齢もあって厳しく、稀勢の里はもう語るべくもない。
そんな相撲界、いつの間にやら日本出身力士の優勝から10年も経ってしまいました。
10年前賜杯を掲げたのは、もうすっかり玉ノ井親方の名が板についた栃東。そうかもうあれから10年か…。
10年の間に、相撲界も八百長やら野球賭博やら、技量審査場所やらいろいろありました。そのいろいろを全部背負ってきたのが白鵬ひとりであるのも、また事実。何かと朝青龍と比較されては必要以上に横綱の風格を求められ、はかりしれない重圧を長らくひとり横綱として受け止めてきました。白鵬も横綱である前に人間ですから、いいかげんお疲れなのかもしれません。日馬富士や鶴竜、さらには照ノ富士が、白鵬の重荷を分け合う存在でなければなりませんし、それが稀勢の里であれば、相撲界にとってもファンにとっても、なお喜ばしいことだったのです。
「稀勢の里稀勢の里」と、琴奨菊や豪栄道をさしおいてその名前ばかり出すのは、相撲ファンなら誰であっても次の横綱は彼であると信じ、相撲界の未来のためにそうなるべきだと思っているからです。そして稀勢の里にはその素質があるはずなのです。
しかしもう過去形にしても良いのかもしれません。毎場所のように期待しては早々に裏切られてきました。そして2016年、最初の場所も、案の定初日から裏切られました。
白鵬以外の横綱も早々に星を落とし、なんだよ今場所も白鵬かよ…とついつい肩を落としてしまいそうになる相撲ファンを救ったのは、なんと長らく場所の展望にその名を見ることはなかった琴奨菊でした。
大関に昇進した当初は代名詞のガブり寄りで一世を風靡したものの、その後は相次ぐ怪我に見舞われ勝ち越しがやっとの状態、引退も近いのではないかとささやかれていました。それがどうしたことか、全盛期の頃のガブりが戻っているではありませんか。まさかの大穴登場で、日に日に期待の高まる国技館、あの白鵬すらガブった際にはついに待ちわびた賜杯が! と色めきたったものの、その2日後、優勝争いに追随する豊ノ島に敗れ、ああ琴奨菊のメンタルではズルズルいきかねない、これではやはり白鵬…とまたまた不安が首をもたげたファンも少なくなかったに違いありません。しかし今場所の琴奨菊はひと味もふた味も違いました。それが場所後に控えた披露宴のおかげなのか、昨年からついた新しいコーチのおかげなのかはわかりませんが、翌日相性の悪い栃煌山にも勝ち、負け越しの決まっている豪栄道もちぎって投げ捨て、初の賜杯をものにしました。
14日目の結び、まだ優勝の可能性を残していた白鵬が思いがけなく星を落としたこともまた、琴奨菊の後押しとなりました。相手は白鵬がとりわけライバル意識を燃やす稀勢の里。あきらかに立ち合いの失敗でしたが、横綱らしからぬ土俵でした。翌日も覇気を欠いた白鵬の成績は結局日馬富士や豊ノ島と並ぶ12勝3敗。まあ、たまにはこのような場所があっても仕方ないでしょう。さまざまな記録を打ち立てた2015年は白鵬にとって大横綱の名を名実ともに我がものとした年であったとともに、今の相撲界にとっての自分の存在を見つめなおす年にもなったと思います。
白鵬の功績は素晴らしいものですが、相撲という競技があまりにも日本人のアイデンティティと直結しているがために、白鵬は活躍と反比例するファンの心離れと矛盾をはらむ批判を一身に受け続けている現状です。若・貴・曙時代のように、外国出身力士と日本出身力士、両雄並び立って角界を盛り上げていく構図でなければ、相撲人気は復活しないでしょう。日本出身力士がヒーローであればあるほど、ヒール役に立たされる外国人力士の存在感は増していき、人気も上がっていくのです。曙がそうであったように。
だからこそ、来場所以降も琴奨菊には綱取りめざしてこの勢いを持続してもらいたいですし、千秋楽、目の前で自分が期待されていたはずの日本出身力士の優勝を見せつけられた稀勢の里のブチ切れたような取り組みには彼の内々に秘めた闘志を感じましたし(いつもそれをやれ、とも言いたい)、いいかげん大関らしい相撲を見せてほしい豪栄道、横綱候補・照ノ富士の復活や、三横綱の奮起にも期待したいと思います。
それにしても、「日本出身力士」という言い方。これは旭天鵬が優勝した際、すでに日本国籍を取得していたため、彼は「日本人」として賜杯を抱いていたことによります。日本人の活躍、日本人の優勝、とさんざ騒いでおきながら、琴奨菊の優勝には「日本出身」と表記を変える、そんな報道に当の大島親方はどう感じているのか気になっていたのですが、スポーツ紙の取材には親方らしいあっけらかんとした感想を述べていました。国籍のこだわりよりも相撲界の未来を考えて琴奨菊の優勝を讃えるコメントに、心があたたかくなりました。これこそが、相撲界のあるべき姿、協会もファンも見習うべき理想像ではないでしょうか。
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