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マラソンが、最近流行しているようです。
大阪マラソンはテレビ中継もされていてローカル番組では連日話題でしたし、
奈良でも12月に奈良マラソンが行われます。
周囲でも「出る」という言葉をちらほら聞きますし。そういえば最近、ランニングしている人も多いような。
昨年が第1回だったこの大会、金メダリストをゲストに呼んだことだけが理由でなく、盛況だったようです。
当日は近くで行われているにもかかわらず観に行こうという気は、ぜーんぜん、まーったくなく、いつものように家でごろごろしていました。
マラソンしたくないという理由だけで早く学校を卒業したくてたまらなかった思春期以来、マラソンという言葉にはトラウマしかなく、「ホンマ、世の中物好きが多いなあ」と、世間の流れに逆行して完全に傍観者を決め込んでいます。
しかし、わざわざお金を払って出場しようとする人たちは純粋にすごいなあと思うし、ゴールするという目標を持って取り組んで、成し遂げた時はきっと、ゼイゼイフラフラになって倒れこんで、もうやだこんなしんどいことまだ来週もあるんだと終わったはずなのに泣きたくなっていた学生時代のそれとはまるで異なる、大人になってから実感として程遠くなった達成感が生まれるのだろうと思います。
もちろん、仕事とか家事とか、やらなければいけない、やりたいと思って、やり終えた時にはそれなりに得るものがあったとしても、あくまで生活のためとか家族のためとか、大人になるとどうしても何事においても理由づけが生じてきて、純粋に何かをやって楽しむということができなくなっているような気がします。
道具もいらない、技術もいらない、自分の身ひとつだけで42.195km完走して、失った何かを得られるのだとしたら、それは安いものなのかもしれないな。
でもやっぱり、マラソンだけは悪夢がよみがえるので嫌ですが。
ただ、各地のマラソン大会であれこれ不備が生じて、問題になっているようですので、奈良はそんなことのないようしっかり運営してほしいです。