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おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行)
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『家族狩り』
予定どおりの最終回だったのでしょうが、終盤駆け足だったことが残念です。
山賀と大野の悲しい過去があってさえ、彼女らの行動は決して許されるものではありませんが、背を打たれた時の激しいまなざしに、倫理観や善悪だけで判断することができない悲しみ、自分たちの思いの伝わらない怒りをを感じました。
親子が仲良く暮らして、笑顔も涙も共有して、愛と光のあふれる家。そんな家族ばかりではありません。
親が子を、子が親を殺す事件もありふれてしまったこの時代。
そうなる前に「狩ってしまう」否、「送ってさしあげる」。それもひとつの方法であると信じて疑わない山賀夫妻。「自分が正しいと思っている人間がいちばん厄介」と言われたことがありますが、その最たる例だと思います。ただ、最期に愛を見た親子は、それまでの苦しみから解放されてしあわせに旅立ったのかもしれない。その誘惑にグラリと揺れてしまう。巧みなロジックでした。
子にとって家族は最初からそこにあるもの。しかし子が長じて親となる時は自分たちで家族を作らなければならない。その子が生を享けてはじめてのコミュニティを、愛と光に満ちたものにするために。しかし親も子も人間だから、うまくいくことばかりでもない。
太古からくり返される生の営みの中に、誰にでもあるべき心の還る場所。そこがあたたかいものとなるのか、冷たいものとなるのか。すべを知らぬ親により、手さぐりで家族は作られていく。
「家族をひらく」。その解答もまた、こたえのない家族の作り方のひとつであるのでしょう。
松雪靖子と伊藤淳史は少しアンバランスなカップルでしたが、ラストシーンは良かったです。

『若者たち2014』
若いキャストたちのそれぞれの熱演により、非常に完成度の高いドラマとなりました。当初は現代には少し無理のある脚本や演出が気になりましたが、回を追うごとにそれもどうでもよくなりました。無駄なエピソードというものがいっさいなかったことに加え、次男・暁の存在や出演シーンの質が高かったように思います。暁の彼女となった多香子の存在感も圧倒的でした。長澤まさみはいつの間にこんな魅力的な女優になったのでしょう。
兄弟たちと一緒に笑ったり泣いたり、きっと大変だろうけれどこんな家に生まれていたら、と思わせる、非現実と現実をないまぜにできる「ドラマらしいドラマ」という点で良質な作品でした。

『花子とアン』
第一話の冒頭の空襲シーンでは老けに老けていた花子が、戦争が始まってもまったく老けない…おいおいどうするんだよと思っていたら、老けないままでした。わざわざ撮り直したのかな。
それなのに蓮子はいきなり砂かけばばあだし。戦争で息子を亡くした母親を切々と演じていた仲間由紀恵がかわいそうなくらいでした。本来なら泣ける場面のはずなのに。
時の流れをまったく感じない演者と老け演技をしている演者がないまぜになっていて、時系列すら伝わりませんでした。戦火をくぐりぬけて帰国したのに「僕のことは忘れて幸せになってください」と想い人に振られる中年の醍醐さん…相手の年齢もちょっとは考えてやれよ吉太郎…。
面白くないドラマでは、概してスタッフのかみあわなさが画面を通して伝わるものです。最近で言えば『純と愛』がそうですが、それに匹敵するほどのちぐはぐぶりでした。
と言いつつ最後までながら見ながら視聴したのはただの意地。まさか見どころが『蓮子とデン』だけであったとは…。しかもタイトルにまでした『赤毛のアン』がクローズアップされたのは最終週だけだったとは…。
私のようなアンに興味を持たない人間にも、アンの魅力が伝わるのかなと思っていたのですが。
どうやら私はアンを読まずに生涯を終えそうです。




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ヤスオーと古都の片隅で暮らしています。プロ野球と連ドラ視聴の日々さまざま。
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