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おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行)
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『鳳凰編』と『ヤマト編』と『宇宙編』は、小学生の時にアニメで観ました。

あまり面白いとは思わなかった記憶があります。『鳳凰編』は我王が不気味で茜丸が嫌な奴とか、『ヤマト編』は最後死ぬのがかわいそうだとか、『宇宙編』は気味悪かったとか、いたって平々凡々な感想しか抱きませんでした。

要するに、子どもが理解するには難解すぎたのだと思います。手塚治虫は。

 

今回、1巻『黎明編』から4巻『鳳凰編』まで一気読みしました。

手塚治虫作品をまともに読んだのは『陽だまりの樹』以来なのですが、やはり言葉では表現しつくせない畏怖のようなものを感じました。

生命の輪廻という果てのないテーマを理解するにはあまりにも壮大すぎて、ちっぽけな細胞の塊でしかない自分には到底届かない極地なのですが。

 

人生をやり直せるのなら・・・と、いつともなしに考える。

しかしいったん地球上に降り立ったこの生命にやり直しなど、存在しないのだと思う。

歴史はこの瞬間にも巨大な車輪で回転し続ける。愚かな足跡をその草の上に残してしまう。

 

聖書には未来が書かれているのだという。

日本の神話にも、同じ原理が働いているのかもしれない。

『未来編』で語られる気の遠くなるような歴史の大回転。星がめぐり、時がめぐり、生命もまためぐる。地球が生まれてからずっと見つめてきた生命の進化に較べれば、日々カレンダーをめくる姿はあまりにも矮小だ。それでも人間は、ごく僅かな生命を地球上で燃やし尽くす。愛し、憎み、喜び、涙し。欲と己に執着し。時代を経ても、輪廻をくり返しても変わらない。太古から同じ業を背負い続ける愚かな人間の姿は、歴史の上に幾つも刻まれ続ける。

文明が進化しても、人の心は進化することなどないものなのか。

 

最後まで読めば、その答えを得ることができたのでしょうか。

今となっては、作者の訴えようとしたところを知りうることもできなくなってしまいましたが。

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