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おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行)
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周囲の同級生よりは活字に慣れ親しんでいた私でしたが、

いわゆるブンガク作品からは目を背けていました。

おもしろさをまったく感じなかったからです。

中学時の夏休みの宿題の読書感想文は、近代文学からと決められていて、苦痛でたまりませんでした。

読んで感動した本はたくさんあるのに、どうしておもしろくない本をむりやり読まなければいけないのか、

理解できませんでした。

なにを読んだかも覚えていません。

中1の時は、家にあった『二十四の瞳』を使ったような気がしますが、

たぶん読了せずに書いたと思います・・・。

 

教科書で読まされると、どれもこれも、本当につまらなくなります。

好きだったはずの『源氏物語』も、どうしてこんなにつまらなくなるんだろうと不思議にさえなりました。

やはり「やらされてる」感と、

感覚的な部分をこちらが受け取る前に答えを呈示される、あるいは○×をつけられる点が、

マイナスなのだと思います。

 

本でも、音楽でも、人間でも、出会いはほんのささいなきっかけです。

そこには見えない導き、惹かれ合う縁があるのだと思います。

 

ブンガク嫌いの私が、なぜ夏目漱石だけは読むようになったのか、その起点は覚えていません。

授業でやった『こころ』は、やはりつまらなかったし、

松田優作主演の映画『それから』も、藤谷美和子が鉢の水を飲むシーンが印象的なくらいで、

とくに気に入ったわけではありませんでした。

それでも今は、ふと気分が滅入った時に、

あのカクカクした字面、歯切れ良い文章が恋しくなり、

新潮文庫の茶色い背表紙が本棚に増えつつあります。

 

漱石に惹かれる理由は、もうひとつ。自由と背中合わせの虚無。

蛇の頭がついた洋杖と、強烈な印象を残して旅立った森本、

自ら望むように深い葛藤にがんじがらめにされていく須永。

対称的なふたりは、物語に陰陽を投げかけます。

愛を得ることなく暗い闇を彷徨い続ける須永が、最後にたどりつく場所は、どこなのでしょうか。

光はそこにあるのでしょうか。

答えなら、きっと手の届く場所にいくつでも転がっています。

闇の先を見る目を持たないならば。踏み出す足を持たないならば。あるいはそこで立ち止まるならば。

とどまらず転がり続ける須永は不幸なのでしょうか、

それとも、葛藤自体が知識人たる彼の矜持なのでしょうか。

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