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おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行)
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~ヤスオーのシネマ坊主<第2部>~

 この映画は、意外にテーマは深いと思います。主人公の凸川という作家はどんな方法で殺しても死なない信じられないぐらい鈍感な男です。また、殺そうとしている人間と仲良くしようとするぐらい(自分を殺そうとしている事実すら認めない)底抜けに明るい男です。ホストクラブの店長の江田と警察官の岡本に子どもの頃いじめられていたんですが、そのことも覚えていないと言います。なぜこの男がそこまで鈍感で明るいかは映画では明確にされていないんですが、ここらあたりは、いわゆる昔いじめっ子だった奴はいじめたことは忘れても、いじめられた方はいじめられた方をずっと覚えていて、思い出したら苦しむ状況が一生続くみたいなことを逆の形で喩えていますね。江田と岡本は過去の自分達の行いが小説で発表されるのを恐れて苦しみますから。

 もちろん、凸川は過去いじめられたことに何も感じてないわけではないと思いますよ。最後の最後まで自分は小説は書いていないと嘘を言い張るし、もちろんその小説のタイトルの「鈍獣」は自分のことではなく人の苦しみが分からない江田と岡本のことだと思うし、何かしらの思いはあるんだと思います。凸川が能天気な人間なのも、過去の悲しみがもはや理性を超えているところまで到達しているからだと思いますね。まあ、過去のいじめられた悲しみから逃避するのではなく、がっつり向き合えばこの主人公のように超人的な鈍感力を得て、逆にその鈍感さでいじめた人間を苦しめることができるということでしょう。とても健全な復讐でいいことだと思います。過去の傷には一番の処方箋でしょう

 しかし映画自体が面白かったかというと、そうでもなかったですね。やっぱりラストがダメなんでしょう。凸川、江田、岡本の間に友情が生まれたような感じで爽やかにまとめ、エンディングでゆずの歌がかかるんですが、これは一番やってほしくなかった終わり方ですね。この映画は最後シリアスな形でまとめないと、凸川の心理を色々考えていた自分がバカみたいになってしまいます。「これはナンセンスコメディなんやからこれでいいんや。凸川の鈍感さに何も考えんと笑って最後は感動すりゃいいんや。」と言われればそれまでですが、シンプルなナンセンスコメディ映画として見たら全然面白くもないし、感動もしないですね。コメディ映画で最近良かったのと言えば「セブンティーン・アゲイン」ですが、この映画には「セブンティーン・アゲイン」のような素直に人を楽しませよう、感動させようという思いがまったくないですから。

 僕はクドカンの作品はこの映画と「少年メリケンサック」しか観ていませんが、自然にストーリーが理解でき、言葉のチョイスにもセンスがある脚本から考えて才能があるのは間違いないんですが、たぶん人の感情や心のつながりを素直に描くことができないヒネた人なんでしょうね。ただ「少年メリケンサック」はクドカンのパンクに対するまっすぐな熱い思いが根底にあるから、こっちも素直に楽しめて感動できましたが、この映画はクドカンの屈折した部分がそのまま出てしまっているような感じです。これで素直に楽しんだり感動したりはなかなかできないと思いますよ。映画に深みを与えたいのか、シンプルに人を楽しませたいのか、どっちかにきちんと寄ってほしいですね。

評価(★×10で満点):★★★

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