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おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行)
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教師は嫌いです。たぶん、東野圭吾並みに嫌いです。

小学生の時は従順すぎるくらいに従順だったのですが、自我が芽生えはじめると、あんな偽善者はいないと思うようになりました。

この映画の主人公・倫子は小学校教師です。帰りの会は、生徒の「嘘」をめぐった糾弾会になりました。

ここで、映画のひとつの結論がはっきりと示されています。

倫子には兄がいますが、いろんな悪事を働いたために勘当されています。しかし、同僚でもある婚約者には堅物で真面目な父、家事と介護にいそしむ母、痴呆症の祖父のことしか紹介しません。倫子は将来をともにするはずの相手に嘘をつきます。しかし嘘をつくのは倫子だけではありません。

『ゆれる』で描いた「嘘」とはまた違った見地からのいろいろな「嘘」が、描かれます。

父のついた嘘。母のついた嘘。兄のついた嘘。婚約者のついた嘘。

許される嘘、というのも、この世にはあるのかもしれません。

しかし彼らのいずれも、それは誰かのためではなく、すべて自分のため。自分のプライドを守るため。攻撃的なタイトルが想起させるイメージそのまま、なんとも毒々しい作品です。

どいつもこいつも人間のイヤな部分をふとした拍子にむきだしにしているところは、まるで『松ヶ根乱射事件』のようです。あれもダメ家族のお話でしたけれども、少し女性的色彩感覚を入れて小奇麗にした感じの作品です。

本質とはあまり関係ありませんが、この映画を観て、やっぱり教師は嫌いだと思いました。父親が一般論にかこつけてぼんぼんくさい倫子の婚約者を批難しますが、どーしょーもないダメオヤジが言っても説得力はないけれど、それはそれで的を射ていると感じます。

鬼気迫る大谷直子の演技が秀逸でした。なんとなく、身につまされたような・・・。

評価:★★★☆(3.8)

 

~ヤスオーのシネマ坊主<第2部>~

 「ゆれる」の西川美和監督の1作目ですね。やはり世間で評価されている「ゆれる」に比べたらこっちは出来はイマイチです。テーマは「ゆれる」と同じく「嘘」ですね。さすが同じテーマを何回も描くだけあって、言いたいことも分かるしテーマへの魂も感じます。また、この監督は人の心の闇の部分を描くのがそれなりに上手いですし、リアル志向の陰気な雰囲気の映像作りも映画に合っていると思います。タイトルに使われている「蛇イチゴ」もなかなかいいチョイスです。ただ、この映画の場合は、もうちょっとストーリーを面白くしろよと思いますけどね。一見平凡な家族の裏に隠された秘密が明るみになっていくというとてもありがちなストーリーで、何の興味も抱かせないのでたぶん「ゆれる」の監督じゃなかったら僕はこの映画は見なかったでしょう。配役もまあこれは人それぞれだと思いますが僕は宮迫はどうかなと思いますよ。この監督が芸人を使うのが好きなのは分かりますけど、かなり難しい役ですよ。つみきみほの役は単純なので、こっちはそんなに演技力は問われないので見てて別に何とも思わなかったですけど。あと音楽がダメでしたね。非常に違和感がありました。

 ラストもいくら何でももうちょっとエピソードを入れろよと思いましたけどね。たぶんこういう終わり方で「ゆれる」のように「答えを出さずに余韻を演出して、見てる人に色々考えてもらう映画」を目指しているのでしょうが、この終わり方だとつみきみほ演じる倫子に対する嫌悪感しか残りませんから。あまり考えたりしなかったし、余韻もなかったんですけどね。

 倫子は誰もが言われなくても分かっているような「正しい」ことしか言わない、面白みのない頭の固い人間です。最初の方で「お母さんの具合が悪い」と飼育係の仕事をサボる男の子がいて、正義感に酔っている女子に糾弾されます。そして倫子も男の子に謝れと言うのですが、この男の子を一番責めたいであろう飼育係のペアの女子は「本当に嘘をついているのかな」と言います。こう言われても倫子は本当のことが何かを知ろうとはしません。彼氏を迎えた自宅での夕食でも、ボケた爺さんをいないものとし、他の家族と共に作り笑いで幸せな食卓を演出します。帰り際には彼氏に「父の芳郎は仕事一筋のカタブツだけど根はいい人」(→実は仕事してない)「母の章子はボケた爺さんの介護でたいへんだけど爺さんと心がつながっている」(→すぐ後に苦しんでいる爺さんを見殺しにする)というピントのずれた家族紹介をします。というかそもそもこの彼氏はすぐに倫子を捨てます。父が無職で借金漬けということが明らかになり家族がピンチに陥った時に、昔家族にとんでもないことをしていた兄貴の周治が、颯爽と現れてそのピンチを救うんですが、彼のことを根っからの悪人と信じて疑わない倫子は彼を家から追い出そうと父や母に主張し、逆に自分が孤立します。それでも自分が正しいと思う倫子は兄貴を罠にかけます。

 僕はこの映画を見る前から倫子のような人間は大嫌いなのですが、僕も小学校2年生ぐらいまではこんな人間でした。しかし、「自分の正しいと思ってきたことが、いつまでもずっと正しいとは限らない。真実というものはつねに変わっていくものだし、それに目を背けていると、自分が世の中に適合できなくなってしまう。」ということに小学校3年生でしょうもない担任の先生になってクラスが荒れてきた時に理解しました。また、「人間の正体なんか本当は誰にも分からない。いい奴だと思っていた人が実は悪い奴ということもあるし、その逆もある。だから、人間の気持ちというものはずっと確かめ続けて生きていかなければならない。むやみに人を信じ続けてもいけないし、むやみに人を拒絶し続けるのもいけない。」ということにも小学校で気づきました。僕は住んでる地域も学校も明らかに普通ではなかったので早熟でしたが、苦労知らずで生きていくと倫子のような大人になっていたかもしれません。だから、倫子にも、最後テーブルの蛇イチゴを見た時に、何かに気づいてほしかったですね。もしかすると気づいていたのかもしれませんが、それならそれなりにもうちょっとエピソードを入れてほしかったです。あの蛇いちごを見た後のつみきみほの演技だけでは僕には何も伝わりませんでしたから。

評価(★×10で満点):★★★★★★

 

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