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レディ・イン・ザ・ウォーター
脚本の出来は悪いが、監督の個性は感じられる映画
監督/M・ナイト・シャマラン
出演/ポール・ジアマッティ、ブライス・ダラス・ハワード、
フレディ・ロドリゲス
(2006年・米)
アメリカ・フィラデルフィア郊外のアパートを舞台にした話です。このアパートの管理人であるクリーブランドは、ある夜、庭のプールの中で女性を発見します。クリーブランドは彼女を自室に連れ帰りますが、「ストーリー」という名前であること以外は彼女について何もわかりません。しかし、アパートに住む韓国人の女子大学生が語る東洋の伝説に、奇妙なほどの共通点を見つけます。
大まかに言うとアパートの住人たちが妖精を元の世界に返そうとがんばる話なんですが、その鍵を握る重要なおとぎ話を知っているのはなぜかアパートに住む韓国人のオバハンなんです。僕にはただのヨタ話にしか聞こえないこのオバハンのおとぎ話では、ガーディアン(守護者)、シンボリスト(記号論者)、ヒーラー(治癒者)、ギルド(職人)とかいう意味不明な言葉がたくさん出てきます。この時点で僕はもうこの映画についてまじめに考えるのはよそうと決心したのですが、映画の登場人物達は、「シンボリストは誰?」「わかった!あの雑誌のパズルばっかり解いてるオッサンだ!」とか、名探偵コナンには遠く及ばない底の浅い推理で身近なアパートの住人をおとぎ話の設定に当てはめていきます。
ストーリーが進めば進むほど、「シャマランはいったい何をやっているんだろう?」とこちらの不安やとまどいは増すばかりなのですが、穴だらけのストーリーはエンディングまでかなり強引に進んで行きます。そしてシャマラン監督といえば「アンブレイカブル」以降は無理やりこじつけているとしか思えなくなったラストのどんでん返しがウリですが、この映画はどんでん返しがあるにはあるんですが非常にあっさりしたもので、ラストは「あれ?終わり?」といった感じで意外なほどあっけなかったです。
シャマランはこのつかみどころのない映画で何を言いたかったんでしょうか。様々な職業、人種のアパートの住人達がガーディアンだのシンボリストだのの役割を果たすところから考えると、世界をシャマラン流にアパートという小さなスケールで描いて、この世界で生きる1人1人の人間にはそれぞれ生きる意味があり、生きる価値の無い人間なんかは存在しないということですかね。または主人公のクリーブランドの過去から考えて、妖精との交流を通しての人間の再生でしょうか。これまたシャマラン流ですね。「サイン」や「ヴィレッジ」も同じようなテーマの作品ですから。まあこの映画を見ても何の感動もなかったですし、何の生きる励みにもならなかったので、別にどっちでもいいんですけど。
ちなみにキャスティングでは、この映画でもシャマランの自分の映画に出るというスタイルは相変わらずでした。作品ごとにどんどん大きい役になっているのは気になるところですね。そろそろ周りの人が止めてあげないとダメです。あと妖精役の女優の足が太すぎるのも気になりました。水の妖精というからには、もうちょっと体のつくりが華奢な女優にしたらよかったんじゃないでしょうか。そしてクリーブランド役の人が変に演技が上手いんですよ。こんな映画でいい演技しても、たぶん何の評価もされないと思うんですけどね。
というわけで本当にダメな映画なんですが、実は僕はシャマラン監督は大好きなんですよ。彼の作品は「シックス・センス」以降どんなに周りの評価が低くてもすべて見ています。前作「ヴィレッジ」までは映画館で見てましたからね。「アンブレイカブル」、「サイン」、「ヴィレッジ」と、最近の映画ははっきり言って出来は良くないんですが、揺るぎない自分の信念をしっかりと持っている監督だなと思います。今回の映画もシャマラン作品独特の匂いがプンプンしている作品です。どんどん公開規模が小さくなってきて、映画評論家にもボロクソ言われているけど、彼は相変わらず自分のスタイルを変えず、大衆受けしなさそうな異質な世界を小さいスケールで描いています。「パイレーツ・オブ・カリビアン」や「スパイダーマン」なんかは絶対に撮れない監督ですよ。
「ストーリー」という名前の妖精を窮地に陥れることになる映画評論家の言動などはかなり皮肉が効いているにも関わらず、実際この映画の脚本はグダグダでユルユルですからね。本当に変な監督ですよ。しかしまあこの映画はむちゃくちゃ甘く採点しても★3ですね。客観的に見たら、よくこんな脚本が映画化されたなあと思いますからね。