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最近、笑福亭鶴瓶が俳優としてよく使われていますが、私がはじめて演技を観たのは『ブラックジャックによろしく』の小児科医役で、それがあまりにもヒドかったので(脚本もヒドかったが)今回も医者役と聞いて、正直まったく期待はしていませんでした。しかも『ゆれる』『蛇イチゴ』の西川美和監督作品。監督独特の「嘘」には相当な演技力が問われます。
過疎の村。長らく無医村状態が続いていたこの地にやってきた医師・伊野。気のりしないまま研修医として派遣されてきた相馬は、伊野が村民たちに献身的に尽くし、また村民たちも彼に絶大な信頼を寄せていることを目の当たりにし、次第に共感を憶えていく。しかしある日、伊野は村から忽然と姿を消した。
オープニングから次第にひも解かれていく真実。うつり変わりゆくひとの心。時に真実、時に嘘。時に中身あり時に空になる言葉たち。
少なくとも彼が医療行為をしていた間、伊野は村民の希望だった。しかし贋医者だったとわかった途端、村民はあっさりと態度を翻す。伊野に心酔していた相馬までも、保身のために伊野を貶める証言をする。しかし我々と同じ第三者の立場である警察はそれに共感するわけでもなく、あきれるわけでもなく、淡々と事情聴取をくり返す。
作品は、こちらの感傷を拒絶する。
真実――今回で言えばつまり伊野の動機になるのかもしれないが――がどこにあったのか、それは最後まで本人の口から語られることはない。伊野の行為が正しかったのか、間違っていたのか、観ている側の判断基準はそこで失われてしまう。伊野は結局、誰にも裁かれることなくラストを迎える。
次第に、どうでもよくなってくる。
嘘も真実も。善も悪も。好意も悪意も。
「その嘘は、罪ですか」
第三者が断罪する必要はない。表裏一体。それが本来の人間の姿だから。
ありきたりな日常風景の中にもくり返し映し出されているはずの一面。ひとは無意識のうちに、やり過ごす。それが連綿と続いてきた人の営み。
その断片を切り取って、心にスタンプを捺していく。しかしそのかたちは判然としない。インクが薄いからなのか。それとも、ひとの心がかたちを持たないからなのか。
田舎の夏の風景が美しく、画面に映えていました。稲波とスイカ。縁側と川遊び。なつかしいかたちの扇風機。郷愁誘う背景に、いかにも都会的で軽薄なボンボンの瑛太が次第に村に馴染んでいく様子も秀逸でした。
八千草薫をはじめ、余貴美子や香川照之など豪華すぎる配役は少しアクが強かったかもしれません。少なくとも、岩松了は蛇足ですね。もったいなさすぎ。
鶴瓶は思ったよりも良かったです。少なくとも『ブラックジャック』よりは何倍も。ただし物語のキーとなる瑛太とスイカのシーンで、本職ではない演技力の乏しさが出てしまい、少しインパクトが削がれてしまったのが残念でした。
評価:★★★★☆
~ヤスオーのシネマ坊主<第2部>~
「蛇イチゴ」、「ゆれる」の西川美和監督ですね。僕は両方とも★6~8ぐらいは付けていたと思います。この監督は世間では非常に評判が良く、僕は世間に迎合するのはそんなに好きではないのですが、やはりこの監督がそれなりにいい映画監督なのは認めざるをえないでしょう。見習い医師の瑛太が村に来て鶴瓶と一緒に最初の患者のところに行くときに、釣瓶に「わたし、免許ないんですわ。」と言わせるところがもうのっけからさすがのセンスですし、前2作と相変わらずのテーマですが「嘘」の描写がとても上手です。
その嘘の中の一つとして、鶴瓶が明らかに胃ガンである八千草薫の「医者である娘に迷惑をかけたくない」という意思を尊重し、娘が自分のところに来てもただの胃潰瘍だと嘘を言ってカルテまで偽造するのですが、娘が次に母親に会えるのが一年後というのを知って、村を逃げてしまいます。僕も見ていて、鶴瓶がいったい誰のために、何のために嘘をついているのかわからなくなって、さや氏に「何で胃ガンって言えへんねん」と映画の途中でギャーギャー言ってしまいましたが、鶴瓶も初めは八千草薫のためにと思って嘘をついたのに、この嘘のせいで母娘が今生の別れになって、結局誰も幸せにならないということがわかっていまい、自分が何をやってるんだかわからなくなったんでしょうね。この映画のもっと大きな嘘として鶴瓶がニセ医者だということがありますが、村人はみんな医者の鶴瓶を尊敬し、神様扱いします。そして鶴瓶もその期待に応えたいと努力しています。ただ、瑛太との言い争いの場面で分かるように、「自分が尊敬されているのか、医者だから尊敬されているのか」ということがこれもだんだん本人がわからなくなってきています。このへんの「嘘」の描き方はさすがとしか言いようがないです。文章で書くと全然面白くないんですが、嘘一つでここまで人間の心の葛藤を上手に描ける監督はこの人しかいないと思います。
また、この人の映画はテーマが「嘘」ということで見てて何となく落ち着かないというか、どこか身体がぞわぞわするのですが、今回は八千草薫と余貴美子が本当は鶴瓶はニセ医者だということに気づいているんじゃないかなというところにかなりぞわぞわしましたね。二人とも普段はニコニコしているくせに、要所で何とも言えない翳りのある表情をしています。この二人の醸し出す不安定な感情の動きが、作品により深みを与えている気がしました。この二人と、香川照之が演じる鶴瓶がニセ医者だと知っている薬の営業マンの合計3人は、鶴瓶がどうして無医村でニセ医者を志し、少しでも本当の医者に近づけるよう努力しているのかを、村人からの尊敬とか医者の父親へのコンプレックスとか年2000万の収入とかそういう単純なものではないもっと別の複雑なものを、それぞれ違う角度からこちらに感じさせていますね。このへんは監督の演出能力だけでなく、役者の演技能力にもかかってくるのですが、八千草薫、余貴美子、香川照之ですからね。まさに鉄壁の布陣です。この3人に比べて演技能力が劣る瑛太は明らかに気づいていない役だったので、問題ありませんでした。
というわけで世間の評判通り非常に出来の良い映画なんですが、ラスト3分間ぐらいは本当にダメでしたね。まずそれぞれの生活に頑張っている余貴美子、瑛太、香川照之が映し出されます。ニセ医者だということを完全に知っている香川照之は鶴瓶を弱みにつけこんでちょっとゆすっているようなシーンがあったし、瑛太は現代医療とは異なる鶴瓶の姿にすっかり舞い上がっていたくせにニセ医者だと気づいて失望してすっかり現実に引き戻され、鶴瓶のことを「うさんくさいと思っていた」とまで言ってのけるので、たぶん監督はこいつらの頑張っているシーンを映して「人間は善人とか悪人とか簡単に決めれないよ。みんな頑張っているんだよ。」と言いたかったんでしょうが、他の映画でもよく見られがちなかなり薄っぺらい描写です。さらにもっとイヤなのがその次の本当のラストのシーンです。自分の病室に突如現れた鶴瓶を見て、八千草薫がとびきりの笑顔を見せるのですが、鶴瓶が現れるということがそもそも「もしかしてこの婆さんが好きだったのか?」とゲスな勘ぐりをしてしまいますし、「鶴瓶はニセ医者なのだが、八千草薫にとっては本物の医者以上の名医であったのだ!」という「鶴瓶はニセ医者なのだが、無医村問題に悩む村人達にとっては欠かすことのできない名医であったのだ!」と同じく絶対にやってはいけないオチすら連想させてしまいます。ここまで長文の感想を書いても他にも書きたいことがまだまだあるぐらい色々考えさせてくれる映画で、ラストさえ良ければ★9や10もあった映画なのに、このラストはとても残念ですね。
評価(★×10で満点):★★★★★★★★