2016年も、終わりを告げようとしています。
さまざまな天災。興奮と涙のリオ五輪。神らせたプロ野球。いろいろありました。
毎年毎年、思うことですが、
(藤子・F・不二雄SF短編集『光陰』より)
本当に、そうなのです。
わかっているのです。
あれしなきゃ、これしなきゃ。そう思いながらもダラダラしているのだから、1日が早いのなんて決まりきっている。
昔はやらねばならないことがあった。受験、試験、演奏会、つねに何かしら目標があった。それに向かって頑張れた。
でも今は目標がない。なくたって誰も困らない。目標立てて達成したって、誰も喜ばない。だったらやらなくたっていい。
自分に言いわけする。イコール、堕落する。
そりゃ、年々足腰が「重」くなるわけだ。
平均寿命で考えれば、人生も半分を過ぎようとしている。
人生すべては逆算だ。受験も試験も演奏会も、逆算で考えた。だったらこの先も逆算だ。
もう先に待ち受けているのは死しかない。
その日に向かって、いかに死ぬべきか。イコール、残された日々をいかに生きるべきか。
死んだように生きるより、生きるために生きる方がずっといい。
「金」色に輝くなんてできないだろう。
それでも、こんなちっぽけな人生でも、生きるために生きていきたい。
一日一日を、軽い足どりで、進んでいこうと思います。