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おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行)
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翌日は鎌倉観光。

夜のうちに横浜から藤沢へ移動。「江ノ電に乗りたい!」という理由だけです。

 

が、次の日も雨! それも尋常でない大雨! 降水確率はなんと100%!

おかげで窓はびしょびしょだし、せっかくの海景色はかすんでるし、

どうしてこうめぐりあわせが悪いのでしょう・・・。

 

それでも来たからには観光しないともったいないので、計画通り鶴岡八幡宮へ。

私の歴史好きは白虎隊から始まりましたが、本格的にハマったのは源平合戦です。

NHKのドラマ『武蔵坊弁慶』を観たからです。

中村吉右衛門が弁慶、川野太郎が義経を演じていました。

義経はタッキー並みに凛々しい好青年でしたが、佐藤浩市演じる木曾義仲のほうに惚れましたね。

『太平記』でも新田義貞が好きですし、

こういう、「1位でゴールしたのに脇が甘くて気づいたら先を越されている」武芸バカ(←ヒドイ)キャラに惹かれます。

 

その義仲の息子である清水冠者義高は、頼朝の娘・大姫と政略結婚させられますが、

父が追討されるとまもなく11歳の幼さで殺害されてしまいます。

当時幼女だった大姫はショックのあまり伏せがちになり、結局若くして病死してしまったという、

鎌倉といえば静御前ですが、負けず劣らずの悲恋物語もあります。

 

その静が、義経への愛を謡った舞殿。

着いた時にはちょうど結婚式が行われていました。

由緒ある神社で愛を誓うのは素敵ですが、こんなお天気ではちょっと残念ですね。

 

徳川秀忠、織田信忠、武田勝頼、足利義詮・・・二代目というとなんだか影が薄くなりますが、

鎌倉幕府二代目将軍・源頼家が家督を継いでいたのも、ほんの四年ほど。

母である政子と、祖父・北条時政により、失脚させられてしまいます。

義高が討たれた時には娘を思うあまり夫を責めた政子ですが、

夫の功績を守ろうとするあまり、今度は息子を死に追い込んでしまう。

実の母と祖父が我が身を殺す--頼家は、どういう気持ちだったのでしょうね。

 

代わって三代目将軍となったのが、頼家の弟である実朝。

姉はまつりごとに利用された挙句若くして死に、

兄もまた政治のために殺害され、

運命の糸を巨大な権力に操られながら将軍にまつりあげられた若者は、

歌を詠むことを好み、正室もわざわざ武家ではなく京の公家から選びます。

どこかで自分の運命を悟っていたのでしょうか。

鶴岡八幡宮の大銀杏に身をひそめていた頼家の息子・公暁に暗殺されたのは雪の降りしきる夜でした。

 

鎌倉の歴史は悲しい歴史でもあります。

 

私は史跡を訪れると、歴史上の人物の墓参りに行きます。

写真を撮るので「悪シュミ」と言われたこともありますが・・・。

頼朝の墓はガイドブックにも載っていないほど質素な扱いで、

ほかの将軍や執権の墓地も寺の一角にひっそりと建っているようです。

今回もあちこち回ってみるつもりでいたのですが、

なにせこの豪雨ですから、泣く泣くあきらめました。

 

それでも、むりやり建長寺と円覚寺へ。

舎利殿は外から見るだけでしたが、厳かな雰囲気を湛えていました。

 

バスに乗るほどでもないと思って歩いたのですが、

容赦なく叩きつける雨は小さな折り畳み傘では防ぎようもなく、

コートはぐっしょり、パンツは変色、鞄の中はびしょぬれ、靴はぐちゃぐちゃ、

電車の時間までは相当ありましたが、すでにグッタリ。

 

観光シーズンなのに、どこも人が少なかったですね。

おかげでじっくり見られましたからね。ほっほっほ(泣)。

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