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春、まだ風の冷たい日曜日。
祖母が他界しました。
連絡を受けたのは、折しも古いアルバムを整理している時でした。
10年前、大学の入学式のために買ったスーツを着て、祖母とふたり、
背筋を伸ばして、並んで写っている写真。
祖母との思い出を数えました。
たとえばひざに乗せてもらったりしたことや、手をつないで散歩したりしたこと、
そのようにかわいがってもらった記憶はありません。
本当は、あったのかもしれません。
記憶の中では、近寄りがたい祖母でした。
でも、祖母は祖母なりに、平等に孫たちを愛してくれたのだと思います。
大正、昭和、平成と、激動の時代を生き、
4人の息子に恵まれ、しかしふたりに先立たれ、
亡くなる前日まで、歩行の不自由な祖父の介護をし、
その終わりは突然でした。
お経を唱えてくれたお坊さんが、言っていました。
「死は誰にでも訪れるということを、故人は今日、その身をもって教えてくれました。
だから、残された私たちは、故人の教えを無駄にせず、
与えられた命を一生懸命に生きていかなくてはならないのです」
棺の祖母は、88歳とは思えない若々しい、やさしいお顔でした。
その最期が安らかなものであったのかどうか、
もう確かめるすべもありません。
あまりものごとを語らない人でした。
生活のひとつひとつで、祖母は私たちになにかを伝えようとしていたのかもしれません。
そして、祖母は祖母の人生を、最期まで祖母らしく、全うしたのだと思います。
親しい人の死。
それでも、その哀しみすら踏みにじる現実があります。
それが世の中だとあきらめるには、
私はそこまで割り切れませんでした。