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誰が言い出したのかはともかく、
履修漏れ問題が世間を騒がせています。
いきなり補習を強いられることになった高校生は、災難というしかない。
とくに受験を控える3年生にとっては、貴重な時間をつぶされるのですから、
たまったものではないでしょう。
かくいう私の出身高校、
倫理・日本史or地理・世界史・政治経済、みっちりありました。
大阪の公立高校ではまだ発覚していませんから、とりあえずセーフのよう。
昨今、『美しい国』という言葉が出回っているので、
日本史を必修にすべきではないかという政治家がいるそうですが。
日本史が好きなあまりに大学で日本史を専攻した私は言う。
高校で日本史を習ったからといって、日本を美しい国と思うようになるとは思わない。
日本は美しい国です。その表現に、私は賛成です。
日本の四季、ことば、美術、建築、音楽、
美しいものを探せば、日本の歴史の中にたくさんあります。
だけど、高校の授業は、はっきり言って大学受験のためのもの。
教室の机に座って教科書を眺め、一本調子の教師の説明を聞いたところで、
どうして日本の美しさを感じることができるでしょう?
日本人が日本の美しさを感じようと思うならば、方法はいくらでもあります。
旅に出る。花をめでる。歌を詠む。日本画を見る。文学を読む。邦楽を聴く。
それらに触れればおのずから、
細胞の中に眠る懐古の思いが、瞼を熱くさせてくれるでしょう。
幼い頃から歴史物語が好きで、大学は絶対日本史と決めていました私ですが、
4年間籍を置いて感じたことは、
日本史学とはいかに不可解な学問か、ということです。
「歴史は科学である」といいますが、
(そんなわけあるか、歴史は数字ではかれんわ!)
と、大の理数嫌いの私は思っていたわけですが、
卒業する頃には、(そうなのかもしれない・・・)と感じるようになっていました。
といっても、マジメに勉強したのは卒論を書いた間の2ヶ月ほどなのですが。
だから、高校の勉強は大学受験のためのものなのですって。