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また公開初日に、松本信者のヤスオーに連れていかれてしまいましたがな。
前回は素人演技を逆手に取ったドキュメンタリー形式の作品でしたが、今回は主に密室空間のひとり芝居。松ちゃんの手腕が試されようというものです。もちろん、観る前から結果はわかってはいますけど。
さて、シンプルなタイトル「しんぼる」。かな表記にしたのは、生々しさを薄めるためなのでしょうか。でもそんなもん何の救いにもなっとらんわと言いたい。
今回はカンヌには持っていかないようですが、そりゃあね、仕方ありませんね。
ルーヴル展で神々しいプットーを目の当たりにした身には、あの演出はいただけません。はっきり言って、不愉快です。
「しんぼる」が、笑いのタネになるのはせいぜい小学生まででしょう。パンフレットで監督は小学生が口にする隠語を連呼していますが、そんなレベルでいい大人が笑えますか。
まあ、本当に笑いにしたかったのは密室内でのひとりドタバタなのでしょうが、小道具には監督独自のセンスを感じます。タイミングや配置などは、こだわったのだろうと思います。しかし、長い。90分のほとんどがこのひとりコントなのですが、いかんせん長い。映画作品として尺を保つためでしょうか。別に70分くらいでもよかったような気がしますが。
この映画にはもうひとつ世界があって、それは『バベル』のように一見密室とはなんのかかわりもなさそうでいて『バベル』とは大違いのかかわりがあることは観る前からわかりきっているスペインのプロレス会場。なぜプロレスなのか、いまいちよくわかりませんが、映画っぽくハンディカメラを使ってまったく違う世界観を作り上げています。私はプロレスにはなんの興味もなくて、試合を観たことも勿論ないわけですが、本物のプロレスっぽかったです、ハイ。この映画でいちばん盛り上がる場面なのではないでしょうか。ある効果が起きる前まではね。
そしてクライマックス。素晴らしいです。何がって、CGが。この技術は絶賛に値します。
――「彼」は「しんぼる」を足がかりにして世界を変える――
彼の変化した姿がある宗教の教祖を思い起こさせたのも癇に障りますが、なにより私がいちばん不愉快だったのは、上記の結論です。
世界を担い未来を作り上げていくのは命であり、命を生み出すのは「しんぼる」である。確かにそれは事実です。
しかしそこに、私は監督の傲慢を感じます。
「しんぼる」だけで命は生み出せず、世界を変えることはできません。イザナギとイザナミ、アダムとイヴ。世界が両性によって創造されてきたのは神話の時代から揺るがない大前提です。
受胎する側の優性を主張する気はありませんが、この結論において彼はその存在をまったく無視しています。結局、そういう思想なのではないですか。もうすぐ子どもが生まれるというのに、こんな作品を観て奥さんはどう思うのでしょうね。よけいなお世話ですけども。
評価:★★☆☆☆(1.5・・・内訳:CG1/プロレス0.5)