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はじめてこの映画を観たのは、小学校の体育館でした。
難しくて、よくわかりませんでした。もう一度観たけれどやっぱりわからなくて。その後に公開された『ラピュタ』や『トトロ』、『魔女の宅急便』のほうがよほど魅力的でした。
成長してから、今なら理解できるのかなあと思いつつ、なかなか観る機会に恵まれず、ようやく先日の金曜ロードショーで視聴した次第です。
泣いてしまいました。
腐海の底の清らかさ、王蟲の優しさといたわり、そして金の野に降り立つナウシカの姿。幼い頃には気づかなかったあらゆる造形の美しさに、今さらながら感嘆します。
そしてこのお話が、ほんの序章に過ぎなかったことも知り、原作本を読んでみました。ざっと一読しその世界観の壮大さに触れただけで、圧倒されます。じっくりとかみしめながら、何度も反芻しないとその核の部分にはたどりつけないのだろうと思います。
環境問題への警鐘、というコメントがこの作品にはよく付せられますが、仮にその意図があったとしても、「地球を汚してはいけません、自然は守らないといけません」という教科書的で安直なメッセージは受け取れませんでした。環境問題に関してはよく自然が善であり人間が悪であるように描かれることが多く、映画版でもそのような過程で人と自然を結びつけるのが青き衣を纏うメサイアなのですが、漫画版のナウシカは死からの復活もしませんし終盤においては映画版ナウシカではありえない決断を下します。人がこの世で生きていく、とはどういうことなのか。地球が産まれてこの方、生命体が幾度もくり返してきた破壊と創造の歴史を、そして未来永劫さえも俯瞰するような見地から描かれた物語は、果てしない時間を超えて旅するような、『火の鳥』の読後感と同じでした。
私は命の営みを破壊する力なくしては生きていけない。火、憎悪、戦争、原子力。今歩いているこの旅路はそれら破壊によって拓かれてきた道なのだと思う。あらゆる命は破壊と創造の糸車によって紡がれる。人も自然も、命そのものがパラドックスなのだ。世界を救うメサイアのナウシカが世界を破滅へ導く決断を下したように。
クシャナという女性に惹かれました。
片腕を失い、さらなる「おぞましいもの」を身体に背負う女性の孤独と哀しみが、その冷徹な姿勢から伝わりました。もちろん、はじめて映画を観た時は「主人公を苦しめるいやな悪役」だったのですけれど。これも歳を重ねたからこそ変化した感覚なのかもしれません。そして原作のクシャナは映画よりもずっと素敵であこがれる女性像です。
評価:★★★★☆