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おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行)
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私は貝になりたい

ずっと前に、所ジョージ主演のドラマが放送されていました。テーマもさることながら、ひそかな所さんファンである私は、それを観よう、あるいは録画しようと思いつつ、すっかり忘れてしまいました。

そのまま、この有名な作品に触れずじまいだった十数年後、中居くん主演でリメイクが決まり、さらにその評判が芳しくないことも漏れ聞いていましたが、先日テレビで放送されていたので、観てみました。

恥ずかしながらこの原作はずっと実話だと思い込んでいました。実際は、減刑された元陸軍中尉の獄中手記を原型に創作されたものだそうですが、戦後からわずか十数年、まだその傷あとも癒え切らない時代に作られたこの物語には、戦争というものの理不尽さ、多くの者の人生を狂わせた怒り、死への絶望などが強く刻まれていたのだと思います。

それからさらに半世紀。

戦争を知らない者が戦争を知るには、それを知る人びとが込めたメッセージだけでは、もう足りえないのだとあらためて実感しました。

役作りで減量したという中居くん(つい中居くんと言ってしまいますが)の演技はすばらしかったです。家族愛にあふれた前半よりも、絞首刑を宣告されてからの両目にただよう絶望感が見事でした。かないもしない来世を語る慟哭、そして最期の言葉。ジャニーズやアイドルという枠を飛び越えて、いち俳優として評価されるべき存在であると思います。

チョイ役なのに理不尽な裁判に裁かれ戦犯という責を負わされた草なぎくんの静謐な台詞も諦念に溢れた背中も存在感がありましたが、やはりこれはどうしてもSMAPを想起させてしまいます。これは鶴瓶にも言えます。キャスティングが映画の質を落としているのは、非常に残念です。

仲間由紀恵も悪くないのですが、やはり中居くんと並ぶとふたりとも華がありすぎて、昭和の田舎で生活する平凡な夫婦には見えません。とくにこの作品では、ふたりのなれそめからはじまって家族愛や信頼といったものがクローズアップされていました。それ自体は最近の戦争ものにありがちなアプローチですし、面会のシーンはとても感動したのですが、そこから「私は貝になりたい」というタイトルに結びつくには、やはり当初の「戦争というものの理不尽さ、多くの者の人生を狂わせた怒り、死への絶望」という純然たるテーマを描くことが必要であっただろうと思います。あんなにも家族を愛し、愛され、最期まで写真を握りしめていた豊松と、すべてを捨てるかのように深い海に潜りたいという独白がかけ離れてしまったのが、最後の最後で残念でした。

戦争が終わって67年。

日本が世界と戦ったこと、その意義は敗戦によって大きくさまを変え、そして今また不安定な世界の中で、日本人はそのことについて命題をつきつけられています。

戦争映画を体育館でいくつも見せられて、また自発的に観るようにもなって、それは歳を経るごとに、あるいは世界情勢の変化のたびに、受け取りかたが変わってきました。

ただひとつ変わらずに思うのは、人と人とが殺し合う戦争はおそろしいということ。命の重みは誰もが平等であり、誰かが、あるいは国家が理不尽に奪うようなことは決してあってはならないということ。

ただこの呆けた願いも、世界中の子どもたちが手にする銃器の前では無力でしかないということ。


 


 


 



 


 


 


 

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