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おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行)
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昨年末の話になりますが、残しておいた録画の第1部を観直してしっかり復習し、第2部に臨みました。

オープニングから背筋を伸ばして鑑賞。

 

『龍馬伝』のイメージが強すぎて、子規の香川照之には違和感ありましたが、それもほんの数分のことでした。

減量して撮影に臨んだというその熱演には、まるで本当に死んでしまったような悲しみと喪失感を味わいました。それでも、太く短い生涯を子規は生きた――生ききったのだ、と改めて強く感じました。命を使い果たす、そんな人生を送ることのできる人間は、この世に何人いるでしょうか。しかし子規はそれを成した。志半ばであったにせよ、平等に与えられた時間を無駄にすることなく、日々を疾走した。彼の命は死してなお、時代に燦然と輝く。人はここまで壮絶に生き、死ねるものなのか、と、改めて生きるという命題に直面した思いでした。

 

そしてもうひとり、時代に命を散らした者。軍人、と呼ぶよりは武将という言葉がふさわしいかもしれない、広瀬武夫。

原作を読んだ時にはそれほど印象が色濃くなかったのですが、このドラマにおいては非常に惹きつけられる魅力的な人物でした。キャスティングもさりながら、原作ではさらりと触れられていただけだったアリアズナとの恋も、甘い要素の少ない物語の中で胸に沁み入るところが多かったです。ロシアとの別れの夜、アリアズナが荒城の月を演奏した際、ピアノの音色に導かれるように現れた豊後竹田の風景。野道を歩く広瀬、その先には子どもたちとたわむれるアリアズナ。決して叶うことのない夢だと知っているだけに、涙を禁じえませんでした。原作の質を損なうことなく恋のイメージを膨らませた、希有な例だと思いました。

 

子規に振り回されながらも決して自分を見失わず我が人生を歩む律の生き方にも感銘を受けました。純粋に兄に尽くした聖女ではなく、人間として当然の悩みや苦しみ、矛盾する思いを抱えながら看病を続け、そして兄の死を迎えると悲しみとともにどこか解放されたようなすがすがしさも生まれた、人間らしい自然な菅野美穂の表情がすばらしかったです。

 

『坂の上の雲』は、壮大な生と死の物語であると思っています。

人が生まれて、そして死に至る。それまでの年月を、いかに生きるか。そしていかに生きるかということは、いかに死ぬかとイコールである。人は死ぬために生まれ、死ぬために生きる。限りあるその時間、十人いれば十人、百人いれば百人の生があり、死して完結する千差万別の物語を紡ぎ続ける。

子規や真之、好古は、常人よりは密度の濃い人生を送ったかもしれません。

しかし彼らは生きた。今ある命を、最大限に。それは戦争や疾病により死が身近であったからこそなのかもしれません。しかし生まれてきたこの命も、時間も、先に横たわる死という着地点も、彼らと何ら変わりなく、私に与えられたもの。この物語に触れるたび、今この瞬間を生きていることについて考えさせられます。過ぎていくこの時間、果たして己は生きた、と言えるのかどうか。

 

舞台はいよいよ日露戦争へ。

日本国の存亡をかけた、壮絶な二〇三高地攻防戦、そして日本海海戦。原作はページを繰る手を止められず、涙を流しながら読んだものでした。

戦争という題材には生じがちな感傷を排除した硬質な筆致にこそ、この作品の価値があると思っています。

最後まで、「命」を描ききる作品であってほしいと思います。

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