忍者ブログ
おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行)
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「奇跡の一枚!」と大事にしていたこの写真。



ミーコが亡くなった時、泣き暮れている母に渡したきりでした。

部屋に飾ってくれてはいたのですが、フレームに入れずそのまま置きっぱなしだったので、だんだん色あせがひどくなり、そのうえなくなっただの水ぬれしただの、あんなに泣いていたくせにあんまりな扱い。
「おいおい、フィルム残ってなくて焼き増しできないんだから、もっと大事にしてくれよ…」とこちらはヒヤヒヤ。

ひさびさに見てみたら、なぜ破れたのかセロテープまで!

きれいにパネルにしてくれる写真屋さん、探そうかな…。

今年でもう10年。
まるで昨日のことのように思い出されます。

PR
今さらながら、アニメを全話視聴しました。
デジタルリマスター版が放送されていたので…。

原作とは趣が異なる、とは聞いていたものの、実際ここまで別物であるとは思いもしませんでした。
いきなりオスカルが「俺」なんて言うし…アンドレはクールだし…全体的に暗いし…。
原作の随所に見られたギャグ場面が皆無なのはアニメの演出的に難しかったせいだとしても、オスカルとアンドレの関係性が終盤までなかなか距離が縮まらなかったのは少しもどかしいものがありました。

私がはじめて原作を読んだのは、それが最初に出版されてから30年以上も経っていましたが、まったく色あせない登場人物とストーリー展開の魅力にとり憑かれたものです。女ながら軍人としてカリスマ性を発揮するオスカルという架空の人物は、当時であればなおさら、世の女性たちの憧れの的となったことでしょう。男社会でその能力をいかんなく発揮するワーキングウーマンの理想型。現実的には非凡な存在でありながら、人なみに恋もするし、想い人の前ではドレスも身にまとって胸をときめかせる、きちんと共感できる部分も持ち合わせています。一方、身分違いの恋に苦悩するアンドレの想いは切ないし、お家の事情で結婚させられたアントワネットの孤独は悲痛。誰しもに感情移入しながら読み進めていくことのできる、おそらく永遠に語り継がれるであろう少女漫画の金字塔たる作品です。

そう。これは少女漫画に他ならず、オスカルとアンドレの身分を超えた愛の物語であり、フランス革命はその色づけに過ぎません。だからこそ原作のフランス革命は民衆の掲げる自由と平等という崇高な理想が強調され、オスカルがそれに心を動かされるという流れになっています。
しかしアニメでは、革命の持つ正と負の側面がそれぞれフラットに描かれていました。ロベスピエールやサン・ジュストは野心に燃えるテロリストであり、平民の貧しさをオスカルにつきつける存在であったロザリーはほとんど目立たないので、オスカルがフランスの現実を実感していたかどうかは判然としません。むしろ己の意志で積極的に革命家の講演へと出向いていたアンドレに影響され、革命に対して受け身な姿勢でいたように映りました。
そして最後の選択に対し、「アンドレに従う」と他人に委ねたのも、受動的、女性的とも受け取れる描かれ方であったようにも思います。

なぜわざわざこのように異なる演出をしてフランス革命を描いたのかはわかりません。ただ女性的というならば、確かにアニメのオスカルは出撃を前に妻として夫の選択に従うというわかりやすい夫唱婦随発言をしていますが、それまでの彼女はアンドレを遠ざけうすうす自覚しつつある想いを押し殺すかのように黙々と業務を遂行していました。何かと感情に左右されやすい女性の行動ではありません。
一方、原作のオスカルはそばにいるのがあたりまえのアンドレに時にはむきだしの感情をぶつけ、それをアンドレがすべて受け止めるものだから、ますます甘えて思うがままに振る舞っていたようにも思えます。それもまたオスカルの持つ女性的な一面かもしれません。

いずれにせよアニメオスカルも原作オスカルも、男性的な強さと女性的な愛らしさを兼ね備えた、女性から見てこれほどカッコいい女性は他にいないだろうと思わせるほど魅力的なキャラクターなのです。その点ロザリーは読者あるいは視聴者そのものです。

どちらが好きかと言われたら、やはり原作なのですが…。


高島屋で。

来る予定ではなかったのに…日本橋へ向かうついでにフラフラ立ち寄ってみたら、『ガラスの仮面』とコラボという看板が。わくわくして7階特設会場へ上がって来たのだけれど。

人が多すぎて、何がなんだかわからんわー!

とりあえず。
 
《Patisserie Crochet》。
カウンターに他のお客さんがいなかった、というのも理由のひとつですが…。
ちなみに向かいの《ガトー・ド・ボワ》ではシェフが来店していたらしく、大にぎわいでした。

自分用。


《BEL AMER》のチョコレート。
これは何種類もの中から選べたので、かなりの人ごみでした。

今年はいろいろのっかったものが好みだったようです。

楽しいけれど、ひさびさの混雑でどっと疲れました。

KKコンビの活躍に日本じゅうが沸いた80年代なかば、私はまだ小学生でしたが、そのフィーバーぶりはよく憶えています。高校野球を見始めたのもちょうどその頃。甲子園の思い出のいちばん最初は、清原のホームランでした。それから30年近く経ちますが、どれだけ印象的な試合や選手を目のあたりにしてもなお、あの衝撃を超えるものは今だかつてありません。

甲子園といえばPL。PLといえばKK。記憶に刻みこまれたひとつの時代。その頃の思い出を語る時、同時にあの一投を、一打を思い描く人はきっと少なくないでしょう。

だからこそ、特別な存在であり続けてほしかった。
きれいな思い出のままで語り続けたかった。

いつしか甲子園を沸かせたKKと、プロ野球選手となって後もさまざまな紆余曲折を経て今を生きる桑田・清原の生身の姿は乖離していきました。そしてついには、「清原和博逮捕」のニュースに驚かなくなっていた自分がいました。

なぜ、あれほどの名声を残した清原が、薬物に手を染めることとなったのか。
真実は本人にしか語ることはできません。
しかし報道は、ファンは、くちぐちに代弁しようとします。甲子園で輝き、プロでも立派な成績を残した野球界のヒーローが罪を犯すには、それなりの理由があるはずだと思うのは当然のこと。そしてそれはこちらが納得できるものであってほしいと思うのもまた、当然の心理です。

だからといって、「それなりの理由」を30年も前のドラフトに求めるのは、何か違和感が残ります。

清原の涙は日本じゅうの同情を買いました。あの瞬間がなければ、清原の人生は変わっていた、それは事実でしょう。しかし、清原は失意のもと入団した西武でその才能を立派に開花させました。プロ野球史に名を残す名選手となったのは、清原自身の努力の賜に他なりません。ドラフトだけは自分の意思によるものではなかったにしても、その後のさまざまな栄光は、清原自身の手によって積み上げられたもの。彼は、彼自身の手によって、悲しみの涙から始まったプロ野球人生を満足の涙とともに終えたのではなかったのでしょうか。

目に触れるどこを切り取ってもドラマチックな清原という人間であるからこそ、罪を犯した理由が30年前のドラフトであるならば、なおドラマチックであると思う。それは思い出を汚されたくない身勝手なファン心理でしかありません。日々ニュースで流れる犯罪のきっかけは、ほとんどが、快楽、誘惑、そんなつまらない瑣末なもの。たとえ清原が何と語ろうが、つまらないことをきっかけにつまらないことに手を染めたつまらない人間、今はそうとしか思えません。

思い出を壊されたファンとしては、失望しかないのです。


【ヤスオー特別寄稿 ある西武ファンから見た清原】
 
 僕は西武ファンである。なのでプロ野球選手を見る物差しは、

「いかに埼玉西武ライオンズの勝利に貢献したか。」

 これのみである。身近な友人が覚せい剤をやれば、そりゃショックも受けるし責めるし止めてほしいとも思う。しかし清原は自分の知り合いでも何でもないので、性格や素行なんぞはどうでもいい。

 清原は西武黄金時代の4番だ。その時代の西武の勝利に多大なる貢献をしている。引退した後に覚せい剤をやっても、西武のペナントレースの勝敗には何ら関係がない。なので清原に対する見方は、少しも変わらない。感謝の気持ちだけしかない。FAで巨人に行ったが、ドラフトの時のドラマを知っているから、特に裏切られた気持ちもない。片岡治大や涌井秀章や細川亨や帆足和幸や和田一浩(引退)や工藤公康(監督)は裏切り者としか思っていないが。

 上の文章を書いたオリックスファンの人、巨人ファンの人、野球に興味のない人なんかは、清原に対して怒りや失望の気持ちでいっぱいであろうが、僕はむしろ6球団強豪のドラフト1位のくせに何の役にも立たないゴミ選手の大石達也に対しての方が100倍怒っているし失望している。西武の敗北に貢献している大谷翔平なんかは憎たらしくて仕方がない。最近は成長している姿を見るのが怖くて、キャンプ中継で大谷が出ると目をそらす。

 プロ野球選手とそいつがいるチームのファンの関係なんて、それでいいと思う。別に聖人君子じゃなくてもいい。自分が応援しているチームの勝利、最終的にはリーグ優勝、日本一に貢献してくれれば、よっぽどの鬼畜な犯罪をしない限り、僕はその選手を嫌いにはなれない。

 ただ、寂しい気持ちはある。西武の勝利に多大なる貢献をした選手は、引退後も、いい余生を送ってほしいといつも思っているからだ。もちろん自分が悪いのだろう。しかし、僕のような物心ついた時からの西武ファンは、「清原の嫁や友人は本当にクズだな、清原が落ちぶれたら逃げやがって。更生させろよ。」と思ってしまう。なぜなら、この人たちは西武の勝利に何も貢献していないからである。
大とんどは終わったけれど、春日大社へ厄払いのお礼参り。

雨が上がって寒さもやわらぎ、ほっとひと息。

お参りしてからの帰り道、なぜかいつもと違う参道へ入ってしまいましたが、少し新鮮な川の音が聞こえました。

遠回りしたせいか、お昼ごはんにちょうど良い時間。

以前も訪れた『平宗』へ。



お値段をひとつあげて、大和地鶏のにゅうめん定食。ごはんは鮎のちらし寿司。おいしゅうございました。

山焼きとお水取りの合間の季節。奈良の町は、外国人観光客でいっぱいです。

しかし、ならまちは若い女性に根強い人気。
散策がてら、友人リクエストの『カナカナ』へ。最初に訪問してからもう9年以上たちます。
やはり行列ができていました。ならまち自体もカフェの町というイメージがすっかり定着しましたが、中でも『カナカナ』はその草分け的存在とあって多くの雑誌で紹介されています。
しばらく並んで、ようやく入店。靴を脱いでお座敷に。



りんごのケーキにホットアップル。りんごづくし…。良い香り。
友人はフォンダンショコラと季節限定のマロンケーキをチョイス。フォンダンショコラもおいしかったので悩みましたが、りんごの魅力に負けました。

ひさびさにカフェでまったり。
友人も気に入ってくれたようでなにより。

次はカナカナランチを約束しました。そして食後のお茶は別のお店で♪

厄は終わった、あとは人生楽しむのみ! そのためには美味しいもの、甘いもの!
歩いて食べて、これぞオンナの醍醐味です。





前のページ      次のページ
カレンダー
12 2025/01 02
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
プロフィール
HN:
さや
性別:
女性
自己紹介:
ヤスオーと古都の片隅で暮らしています。プロ野球と連ドラ視聴の日々さまざま。
ブログ内検索
バーコード
ATOM  
ATOM 
RSS  
RSS 
Copyright ©   風花の庭   All Rights Reserved
Design by MMIT  Powered by NINJA TOOLS
忍者ブログ [PR]